第40話 鯉泥棒
もうすぐ始まる劇を見るため、外にいる生徒の姿はまばらだ。
「母ちゃんあと十分くらいで着くぞ」
「学校には入れなさそうだから隣の駐車場で待ってもらおう。
急いで生徒会室に向かい、走りながらスマホを取り出して電話をかけた。相手は萌花さんだ。
「はーい、あら安相君、どうしたの? 取材は明日だけど」
いつもの軽い調子だけど少しだけ元気がないように聞こえる。疲れているのだろうか。
「萌花さんにお願いがあって……」
「何? 明日文化祭デートして欲しいとか? なわけないか……あの動画のことでしょ?」
「え? 知ってたんですか?」
「ちょっと前に
「冷泉さんが……はい同じです。お願いできますか?」
「うん、まあもう上に掛け合ったよ。上も動画のことは把握していたけど、話題になってるなら黙認でいいんじゃないみたいなスタンスでさ。仕方ないから静ちゃんに言われた通り、映像に映ってる子の母親って三春さくらっていう超優秀だけど超厳しい弁護士だから娘に何かあったらあらゆる法的手段で攻めてきますよって言ったら、皆ビビッて動画サイトの方に削除申請出すことに決まったよ。そのうち有名どころは全部消えるはず」
局の上層部の人に掛け合っていたから疲れていたのか。それにしても冷泉さんはいったいどこまで知っているのだろうかと少し怖くなった。そして気になることも一つ。
「有名どころはって、どういうことですか?」
「個人で保存していたり、違法なことも平気でやるようなサイトにあげられた映像は残るってこと。まあ今回困ってるのは映像そのものじゃなくてコメントの方でしょ? それなら有名どころのを消せば大丈夫だと思うけど」
それはもう仕方ない。心さんの目や耳に入ることがなければそれで十分だ。
「ありがとうございます萌花さん。それじゃあまだやることがあるので失礼します」
「はーい、明日はよろしくね」
電話を切り、もう目の前まで来ていた生徒会室の扉を開けた。
冷泉さんが一人ベランダから外を眺めながら佇んでいるのが見えた。
「冷泉さん」
名前を呼ぶとこちらを振り返った。いつもより表情が柔らかく紅潮しているようにも見える。
「何か良いことでもありました?」
武道場の外階段にいる尊琉と目配せして恋のぼりを吊るしているロープを外しにかかるのと同時に聞いてみた。
「あなたに電話した直後、あなたのクラスの生徒会の子たちに三春さんが体調を崩したということと、動画のことを聞いたわ。それですぐに姉さんに連絡した」
「助かりました。すごく早く対応してもらえた」
「その後、熱田君がここにやってきて、ずっと好きだった、付き合って欲しいと言われた」
どこか惚けているような口調に冷泉さんの答えは想像できた。良かったですねと思いつつも生徒会長なんだから閉会式を盛り上げるためにちょっと待てよとも思った。
「家のこととか色々あるけど何とかするって……ところであなた何をしているの?」
「すみません。冷泉さんたちのクラスの劇、もうすぐ始まるけど今日は見られません」
「それはいいけど、だから、せっかく吊るした鯉を外そうとして何をしているの?」
冷泉さんの問いには答えず作業を続けてついに恋のぼりを取り外すことができそうになった。
僕や尊琉の方で回収しようとすると時間がかかりそうだから地面に落としてしまった方が良さそうだが、緊急事態とはいえさすがに躊躇してしまう。
「お前たち、何をしている!」
恋のぼりの下から響いたのは熱田さんの声。ひらめいた。熱田さんの体格ならできるはずだ。まったく悪くはないのだけれど、密かに閉会式で心さんに美味しい恋心をたくさんプレゼントしてやろうと思っていた僕の計画を一部潰した責任を取ってもらおう。
「尊琉、下に落とそう。熱田さん! 受け取ってください!」
掴んでいたロープを離すと恋のぼりはロープをたどって滑り落ちていき、地面に落ちる寸前で三匹とも熱田さんに受け止められた。普通の男子なら一人一匹が限界のところ三匹同時に受け止められるのはさすがといったところだ。
「熱田さん、尊琉と一緒にショッピングモールの駐車場に停まっている軽トラまで持って行ってください。お願いします。尊琉、僕もすぐに追いつくから先に行って待ってて」
「おう、まかせろ」
「お、おい、いったい何をする気なんだ……」
「信一、彼らを手伝ってあげて」
熱田さんは困惑していたが、冷泉さんからの一言により、合流した尊琉とともに鯉を運んでくれた。
「冷泉さん、ありがとうございます」
「説明は後で聞くわ。あの子のためなんでしょう?」
「はい、あとで必ず説明します」
「鯉がいなくなったことはどう説明しようかしら……」
「……鯉泥棒にやられたってことにしてください」
「下手な言い訳ね」
「そんな、結構良い線いっていると思ったのに」
生徒会室を出て昇降口に向かう前に僕は教室に寄った。急がなくてはいけないがどうしても持って行きたいものがあった。
「あれ、安相君じゃん。来れたんだ。心たちは?」
教室にいた数名の女子に声をかけられた。制服を着ているが頭の上にはなぜか猫耳がついていた。自分の机に向かいつつもその猫耳に目線が吸い寄せられる。
「えっと、ちょっと色々あって今日は来れないんだ。僕もすぐ戻らなきゃいけなくて」
「心の体調が悪いって聞いたんだけど明日は来れそう? これ皆でつけようねって約束して準備しておいたんだけど」
自分の猫耳をいじくりながら残念そうに呟いた。心さんがよく猫の動画を見ていたからそういう話になったのか。猫耳をつけた心さんは、見たい。
「猫耳心さんが見られるように頑張るよ。それじゃ」
自分の机に入っていた目的のものが入ったクリアファイルを持って教室を飛び出した。
「が、頑張れー」
と、少し困惑した応援がかすかに聞こえた。
学校の隣のショッピングモールの駐車場に尊琉のお母さんが運転する軽トラックが待っていた。すでに鯉たちも荷台に積み込まれている。
「ごめん、遅くなった」
「類、荷台に乗れ。荷物の監視だ」
助手席に乗っている尊琉からの指示通り荷台に乗り込む。法律にはそこまで詳しくないが、荷物の看守という目的なら軽トラの荷台に人が乗っても大丈夫とかなんとか。今回がそのケースにあたるかは分からないが緊急事態なので大目に見てもらおう。
この鯉たちに命運が託されている。僕は三匹の鯉たちを抱きしめて、軽トラに揺られた。何となく注目を浴びているような気がして落ち着かなかったが無事に心さんの家に到着した。
「よし、運び出そう」
普通の男子では一人一匹が限度のところを普通の男子である僕と尊琉の二人で三匹運んだ。
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