第27話 助けてくれる?
面談の回りが早く僕の予定時間まではあと三十分ほどある。僕の母さんは時間ぎりぎりになりそうと言っていたので面談はまだまだ始まりそうもない。
心さんから【話がしたいから面談が終わったら一緒に帰りませんか? 駐輪場で待っています】というメッセージが来るのと教室の中から須藤先生に呼ばれるのはほぼ同時だった。
急いで了解のメッセージを送り教室に入る。
「すみません先生、母さんはあと三十分くらいかかりそうです」
「ああ、いいんだ、それで時間通りだしな。それより安相と話がしたくてな。お母さんが来るまで二者面談といこうか」
須藤先生がにやりと笑いながら僕に椅子に座るように促した。
これから三者面談だというのにいったい何を話すのだろうかと構えていると須藤先生の口から出た言葉は意外なものだった。
「さっきの話聞いてどう思った?」
須藤先生は僕が心さんの面談の話を聞いていることに気づいていた。気づいておきながらそのままにしていた。
「どうって言われても……というか聞いちゃってよかったんですかね。扉が開いてたから聞こえちゃいましたけど」
「普通は駄目だ。でも三春からお願いされていたんだ。面談のとき自分が変なことをしても気にせずそのままにしてくれってな。まさか扉を閉めずに廊下、というかお前に話を聞かせるとは思わなかったが」
やはり心さんの行動はわざとだった。そして僕に何を求めているのだろう。
「お前が三春に特別な感情を抱いているのは分かる。三春もきっとお前に……だが先輩、三春のお母さんはさっき聞いた通りだから……」
面談を聞いた限りでは心さんのお母さんはほとんど干渉というか関わっていないように思えた。心さんはおそらく食事をしないだろうから一緒に夕食を食べてコミュニケーションをとるなんてこともしないのだろう。
ただ勉強と男女交際に関してだけは強く干渉し、東大を目指して勉強すること、彼氏を作らないことを守らせているようだ。だから心さんは僕に告白をさせなかった。自惚れかもしれないが、告白していればきっと……。
きっとお母さんの言うことを無視できない理由がある。経済的に依存しているからというありきたりな理由だけでなくもっと大きな何かがあるんだ。そしてその理由の手がかりを須藤先生は知っているかもしれない。
「先生、教えてくれませんか? 心さんのお母さんが、心さんに男は必要ないって言う理由」
須藤先生は目を閉じて腕を組み、首を横に振った。
「生徒に関わる大事な情報を、別の生徒に許可なく話すことはできない。面談の話は三春が望んだから聞くのを許しただけだ」
「なら、須藤さん、あなたの先輩である三春さんが娘に男は必要ないという理由を教えてくれませんか? 興味があるんです、単純に」
屁理屈なのは分かっている。それでも聞きたい。聞いて心さんを救う手掛かりにしたい。
須藤先生は大きくため息をつき、僕をじっと見つめる。しばらく口を開かなかった。色々な葛藤が先生の中で渦巻いていたのだろう。真剣で厳しい目をしながら重い口を開いて出てきたのは僕にとって希望の言葉だった。
「今度の日曜日は暇か?」
僕は頷いた。
やがて母さんが到着して三者面談が始まった。結局具体的な進路希望は言えなかったが、とりあえず一番レベルの高い大学を目指して勉強を頑張ると言うと先生にも母さんにも驚かれたが先生は励ましてくれた。
面談が終了して母さんと別れ、待ち合わせの駐輪場に行くと心さんが待っていた。時刻は午後六時。スマホで何かを見ているようで笑顔も見えて安心する。
「お待たせ、何見てるの?」
『にゃー』
「あ、お、お疲れ様」
どうやら猫の動画を見ていたようだ。いつだったかクラスの女子に紹介されて以来、勉強の合間や暇なときはいつも見ているそう。癒されてふやけた顔をしていたところに僕が来たものだから少し恥ずかしそうにしながらスマホをしまった。
「さっきはごめんね。どうしても類君に事情を知って欲しくて。私っていうフィルターを通さずにお母さんの言葉を聞いて欲しかったの」
「……お母さんとは仲良くないの?」
心さんは目を伏せた。昨日までは家庭のことには踏み込まないつもりだったが、心さんに引っ張り込まれてしまった以上そうは言っていられない。たとえ悲しませたとしても、最後には笑顔にさせればいい。
「……仲良くない。昔は、離婚する前まではすごく仲が良くて、お母さんの楽しい気持ちはすごく美味しかった。でもお母さんとお父さんが離婚してからは今みたいに厳しくなって、遊んでくれなくなって、辛くて苦くて、怒りとか悲しみとかばかりで、でも私は仲良くなりたかった。もう一度昔みたいにお母さんの楽しい気持ちを食べたかった。お母さんのことを思うと辛さや苦さを思い出しちゃって、お母さんと仲良くできてないことを実感しちゃうからちょっと落ち込んじゃう。でも類君やさっちゃんを思い浮かべると甘くて美味しくて優しい味を思い出すからちょっと元気が出る。だから大丈夫」
心さんは少しだけ笑顔を作った。感情の味が分からない僕でもそれが嘘の笑顔だというのは分かった。本当は助けを求めているのに、土壇場になって強がってしまっているのだ。
「嘘は駄目だよ心さん。そんな嘘の笑顔は似合わない。つらいのに無理して笑っちゃ駄目だ」
そんなことを言う僕も心さんに嘘をついていた。四月末の連休前に心さんのお母さんから直接言われていた。心に男は必要ない、と。それに動揺した。
それは明かすべきだ。僕らの関係に嘘は似合わない。
「僕も嘘をついていた。心さんにはばれていたかもしれないけど」
「……ノートを貸したとき? そこでお母さんと会ったんだよね?」
「うん、そこで直接言われたんだ。心さんに男は必要ないって。動揺したから急いで逃げ出した。そのことがずっと気になっていたのに、今さえ楽しければいいかって思って何もしなかった。ごめん。つらいときは僕を頼ってなんて言ったのに、心さんがつらいと思ってるなんて考えないようにしてた」
「私は……」
「僕は困っていたり泣いている人を見つけたら放っておけないんだ。今の心さんはとてもつらそうで泣きそうで、困っているように見える。だから助けたい。駄目かな?」
心さんは目を伏せたまま制服のスカートの裾を両手でぎゅっと握り、大きく息を吸った。そして僕の目を見た。目に溜まるほんの少しの涙に空のオレンジがきらめいて引き込まれる。
いつもそうだ。心さんと大事な話をするときは夕焼け空の下。だから僕は夕焼けが好きだ。
「私には人の感情を食べることができる力があって、それを気味悪がったお父さんに捨てられたの。だからお母さんにも嫌われて捨てられたらって思うと怖くて。お母さんに嫌われるようなことはできない。でも私は恋が大好きで、恋に憧れていて、恋をした。お母さんの言う通りにして嫌われたくない私と、恋をしてその気持ちを表に出したい私がいて、自分の中で矛盾していてどうしたらいいか分からない……ねえ類君、私を助けてくれる?」
夕日に照らされて美しく輝いた一粒の涙の雫が地面に落ちた。ぽたぽたと続けて雫が落ち始める。こんなとき、抱きしめて胸の中で泣かせてあげるのが格好いいのかもしれない。でもそれはまだお預けだ。心さんはそんなことを望んでいない。救われるのを待っているのだから優先順位を間違えてはいけない。
「もちろん。何があっても絶対に助ける。少しだけ待っててよ」
解決の道筋なんて立っていない。でも、やらなければならない。
心さんは「うん」と言って笑ってくれた。
今度は嘘じゃない。
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