第6話 辱めを受ける

 窓側から見て二列目の一番後ろの席に座って、窓から外を見ている三春さんがいた。気のせいなのだろうけれど、三春さんの周りだけ空気が澄んでいて別世界のようにも見える。


 体の向きは教室の前方を向いていて顔だけ窓の方に向いているから、横顔よりもさらに厳しい角度でしか顔は見えないが、今までとは違って長い髪をまとめてポニーテールにしているおかげではっきりと見える耳の形とか、そこにかけられた赤色の眼鏡のつるとか、顔のラインを見ているだけでも僕は癒されて同じクラスにしてくれた神様に心の中で何度もお礼を言った。


「類君?」


 三春さんはこちらを見ずに僕が来たことに気づいた。そんなに分かりやすい気配をしていただろうか。


「うん、おはよう三春さん。同じクラスで良かった」


「おはよう。私も嬉しいよ。それにさっちゃんも同じクラスで前の席なの。今はお手洗いに行っているけど」


 三春さんは頑なに僕の方を見てくれない。


「三春さんって眼鏡なんだ。視力良くないの?」


「少しね。普段はかけないけど勉強したり本を読んだりするときはかけるの」


 今は勉強もしていないし本も読んでいないが、そういう気分なのだろうか。


「髪も今日は縛っているんだね」


「運動するときとかはね。やっぱり邪魔になっちゃうから」


 今は運動はしていないが、そういう気分なのだろうか。


「ところで、どうしてこっちを向いてくれないの?」


「え、そ、それは……」


 よく見ると三春さんの耳や頬の部分がほんのりと赤くなっている。白い肌とのコントラストが美しい。


「恥ずかしいんだよね。心」


 いつの間にか隣にいた増子さんが三春さんに声をかけた。そして僕にも挨拶をしてくれた。


「おはよう類君」


「増子さん、おはよう。あの、いったいどういう状況なの? 廊下の人だかりもそうだけど何か知ってる?」


「あー類君ってSNSとかやらない人?」


「一応見る用のアカウントは持ってるけど最近は全然見てないかな」


「心どうする? 見せる? まあ今見せなくてもどうせ学校のほとんどの人が知ってるからいつか類君も見ることになるだろうけど」


「え、う、うん。そうだよね。だったら今の方がいいかも。恥ずかしいのはいっきに終わらせちゃった方がいいし……」


「じゃあ類君、アカウントがあるなら【♯春から西高】で検索してみてよ」


 言われた通りに検索すると動画付きの投稿がすぐに見えた。サムネイルには西高の校舎と大勢の人が見える。再生してみると合格発表の日の地方のニュース番組の切り抜きの動画だった。


『今日は県立高校の合格発表日ということで西高校に来ています。ご覧ください、難関校の合格をつかみ取って大喜びしている受験生がいます』


 リポーターの誘導でカメラが受験生の方に向けられる。そこには増子さんを抱き上げて、飛び切りの笑顔でくるくると回転する三春さんの姿がはっきりと映っていた。それはもうはっきりと、三春さんのことを知っている人なら確実に三春さんだと分かるくらいに。カメラのピントは完全に三春さんに合わせられていて、たった十五秒ほどの動画だが三春さんの可愛さがしっかり伝わる良い動画だと思う。


 出入口の人だかりの方を見て会話を聞いてみると、皆この動画を見ながら「可愛い」とか「絵になる」とか「実物もめちゃくちゃ可愛い」とか三春さんを褒めたたえる言葉を発していた。


「なるほど、それで恥ずかしくて出入口の方から顔をできるだけ逸らしていたんだね」


「うう」


「もしかして眼鏡をしてたり、髪を縛っているのは変装のつもり? もうばれてるから意味ないと思うけど……」


「う」


 僕が指摘するたびに三春さんがうめき声をあげながら体をびくっとさせて、顔がどんどん真っ赤になっていく。その様子が可愛くてやめられない。


「類君、もうやめたげてよ。心が茹でだこになっちゃう」


「ごめんごめん、可愛くてつい」


「可愛い? 動画が? 今の私が?」


 可愛いという言葉に三春さんが反応してこちらを少し向いた。眼鏡の隙間から見えるわずかな目線ですら可愛いと思う。嘘や誤魔化しはいらない。思ったことをそのまま伝える。


「どっちも」


「素直だね。そういうの、すごく良いと思う」


 三春さんはそう言うと眼鏡を外して、髪を縛っていたゴムも外し、今まで通りの三春さんになって僕と増子さんに向き合った。


「心、もう平気?」


「うん。もう十分堪能したし、類君に辱められるよりは全然平気」


「え、そんなつもりじゃ……」


「ふふ、冗談。あ、私もお手洗いに行ってくるね」


 すっかり立ち直った三春さんは人だかりを堂々と突き抜けて廊下に出て行った。人だかりもいつの間にか大人しくなっていて、三春さんが廊下に出ると同時に解散してそれぞれの場所に戻っていった。教室は先ほどまでの騒ぎは何だったのかというほどの静寂に包まれる。何が起きたのか全く理解できないが増子さんは僕の隣で平然としている。


「あの、ほんとに大丈夫なの? それに堪能したって……わざと?」


「いやいや本当に恥ずかしがってはいたよ……意味はそのうちきっと分かるよ。君が分かることができる人だといいな」


 愛嬌の良い笑顔で増子さんが言った。どうやら三春さんと増子さんの間だけに共有されている秘密があるようだがそれを知るには僕はまだ親密さが足りないみたいだ。

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