第37話 悪意に染まる

 残念ながら心さんは増子さんや他の女子たちと一緒に前夜祭と称してスイーツを食べに行ったそうだ。


 心さんは食べる必要がないだけで、普通に食事をすることはできるし甘いものは好物なのでたまにこうやって友達と一緒にスイーツを食べに行くことがあると言っていた。ただし、食べた分はそのままカロリー過多になってしまうのでダイエット必須と嘆いてもいた。


 それでも心さんが増子さん以外の友達と仲良くしていることを知ると僕まで嬉しくなる。会えなかったのは残念だがまた明日がある。


 なんとなく文化祭前の雰囲気を楽しみたくて校舎の中を歩き回ったりして、そろそろ帰ろうかと教室に戻るとクラスの男子がスマホの画面を見て何やら盛り上がっていた。僕が教室に入ったことに気づくと、男子たちは近づいてきて僕にも画面を見せてくれた。


「安相、見ろよこれ。前に学校内で流行った三春さんの映像。めっちゃバズってるぞ」


 画面に映っていたのは有名な動画サイトに投稿された短めの動画。合格発表のときにその喜びから増子さんを抱きしめて飛び切りの笑顔でくるくると回転する心さんを映したテレビのニュース映像の切り抜きだった。


 久しぶりに見たが驚くほど鮮明に顔が映っていて、心さんの可愛らしさを余すことなく伝えている。二日前に無名のチャンネルから投稿されたそれはすでに百万再生に迫る勢いで、コメントも多数ついている。


 【可愛い】【こんな子と青春したかった】【今から西高受験する】【この子を彼女にできる男は前世でどんな徳を積んだのか】など、心さんを讃えるコメントがついている。僕まで嬉しくなって良い気分のまま帰路についた。


 僕は気づいていなかった。西高の範囲内だけでなく、全世界に広がることがどういう結果を生むのかということに。


 西高は生徒の自主性を重んじる校風で、それが許されているのは西高の生徒たちが常識や社会に生きる一員だという自覚を持ち、他人に不快に思われないような言動をすることができて、越えてはならない一線を弁えているからだ。悲しいことにそれは全世界のすべての人間ができることではない。



 その日の深夜二時、スマホの着信音で目が覚めた。こんな夜中に電話をかけてくる非常識な人間は僕の知り合いにはいなかったはずと思いながら電話に出る。


「類君、急いで心の家に来て! 大変なの!」


 今までに聞いたことがないくらい焦って、泣きそうで、余裕がない増子さんの声がした。


「ど、どうしたの増子さん、落ち着いて。君は今心さんの家にいるの?」


「うん、とにかくすぐに来て! お願い!」


 ただ事ではない増子さんの様子に、僕は迷わず了承して出かける準備を始める。その間に増子さんが事の成り行きを説明してくれた。


 イベントの前日などは増子さんは心さんの家にお泊りすることが多い。文化祭前日の今日も泊っていた。夜中まで色々と話し込んでしまいそろそろ寝なければとなり、心さん、増子さんの順にお風呂に入ることになった。お風呂から上がって心さんの部屋に戻ると、心さんが倒れて苦しんでいたとのことだ。


 準備を終えた僕は家族に気づかれないように家を出て自転車に乗り、心さんの家に向けて走り出す。増子さんとは通話が繋がったままだ。どうせほとんど人もいないし、緊急事態だから大目に見てもらいたい。


「どうしてそうなったか分かる?」


「私がお風呂に入っている間に心はスマホで動画を見ていたんだと思う。知ってる? 合格発表のときの動画、有名なサイトにも上がっててすごい再生数なの」


「うん。もしかしてそれを見たから? でもそれなら入学式のときも……」


「コメント欄見て……」


 さすがに動画を見たり複雑な操作をしながら自転車を運転する技術も勇気もなかったので一度立ち止まって動画を開き、コメント欄を確認した。


 最初の方に見えるのは学校で見たものと変わりない。だが下にスクロールしていくと増子さんが助けを求めてきた理由が分かった。


 誰かが書き込んだ【結婚したい】というコメントを皮切りに、性的な行為を仄めかしたり直接的に心さんに向けてセクハラじみたことを言うコメントが爆発的に増えている。コメント総数一万以上の中で【可愛い】などのまともなコメントは最初の百個くらいで【結婚したい】の後の約一万個は下衆なコメントが占めているように見える。


 僕は再び自転車を漕ぎ始める。きっとあのときと同じ現象が起きたのだ。文化祭開始式で周りの興奮を一気に食べてしまったときと同じように、震災で日本中の悲しみや不安を食べてしまったときのように、ネット上から心さんに直接向けられた下衆な感情を食べてしまったのだ。


 今の心さんはきっと自分に向けて性的な気持ちを持つ人間に周りを取り囲まれているのと同じ状態。いつか心さんは言っていた。中学の頃友達の妹尾さんが好きだった、妹尾さんと付き合ってすぐに体を求めたという一つ上の先輩。その先輩から嘘や気怠さの他に得体の知れない何かの感情を感じて、その味が何よりも嫌いで吐きそうになるくらい気持ち悪かった、と。それはきっと今心さんの周囲を取り巻く感情に違いない。


「もうすぐ着く。一旦切るよ」


 通話を切って自転車のスピードをさらに上げる。


 学校からの帰り道、心さんと別れる交差点まで来た。車なんて通っていないので斜めに横断する。これまでに出したことがないスピードで自転車を漕いだことでバランスが崩れ、ふらつくが重心が偏った方向に思い切って進むことで転ばずに済んだ。


 僕なら助けられる。増子さんもいる。僕ら二人なら心さんを助けられる。この前のように、僕らの感情を食べさせてあげれば良い。ネガティブな感情に取り囲まれているならポジティブな感情を食べさせれば良い。心の中で心さんの好きなところを百個言ってやろう。増子さんには何か美味しいものでも食べてもらおう。それで元通りになるはずだ。


 心さんの家に到着した。さくらさんには少しだけ怪訝な表情をされたが緊急事態ということで二階にある心さんの部屋に通してもらえた。部屋の扉の前で増子さんが泣きながら座り込んでいた。

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