第4話 幸せが増える

「合格おめでとう,類君」


 冷泉先輩が去った後、三春さんはすぐに僕の目の前に現れて祝福の言葉をくれた。もしかしたら一部始終を見ていたのかもしれない。


 喧騒の中、僕と三春さんの間だけぽっかりと空間ができていて、まるで世界には僕ら二人しかいない感覚になる。僕は宙に浮かぶほどの喜びで三春さんと向き合う。ごつごつとした手が僕の身体のいたるところに触れて体が横に倒される。次の瞬間、僕は本当に宙に浮き上がっていた。


「合格おめでとー!」


 五回宙に舞った後僕は地上に降ろされ、残ったのはいたずらっぽく笑う三春さんと面白いものを見るような顔で僕を見ている三春さんの友達の子だけだった。僕を宙に舞わせた集団は早くも次のターゲットを探しに向かっている。二人の反応を見るに三春さんが連れてきたのだろうか。意外とお茶目なところもあるらしい。


「ひ、久しぶり、三春さん」


 急に胴上げされた驚きや三春さんに声をかけてもらえた喜びで心臓がバクバクいっているが何とか平静を装った。


「いいよ、落ち着いてからで」


 三春さんにはお見通しのようだ。そう言ってもらえたので何度か大きく深呼吸をして気持ちを落ち着かせて、再び三春さんと向き合った。


「ありがとう、三春さん。おかげで合格できたよ」


「いえいえ、類君の実力でしょ。あ、紹介するね、さっちゃん。この人が前に話したおい……とっても優しい人の安相類君。それで類君。こちらが私の小学校からの友達のさっちゃん。本名は増子幸ましこさちっていうの。幸せが増える子どもって書いてね」


 おい……は何の言い間違いなのか気にはなったがただの優しい人ではなくとってもが付くほど優しいと紹介された嬉しさでそんなの気にならなくなった。


 その後は僕が第一中学校出身で三春さんと増子さんが第二中学校出身であることとか、二人とも中学校では陸上部だったが高校ではまだ決めていないこと、僕も中学ではソフトテニス部だったが高校では決めていないこと、皆自転車通学だということなどを話し、なんと最後には連絡先を交換してもらうこともできた。


「あ、類君に渡すものがあったんだ。はいこれ」


 三春さんが僕にくれたのは【コーヒー無料券 喫茶にしもと】と書かれた小さな紙だった。裏面には店までの簡単な地図が書いてあって、僕でも分かりそうな場所にある。


「受験の日に類君が助けた翔琉かける君のお母さんから貰ったの。喫茶店をやってるからぜひ来て欲しいって」


「へえ、ありがとう。今度行ってみるよ」


「ここって私たちの中学の同級生のおうちでやってて、結構前からさっちゃんと通ってたんだ。そのうちばったり会っちゃうかもね。翔琉君が同級生の弟だとは知らなかったけど」


 そう言ってにこやかに微笑む三春さん。そういうちょっとした仕草でもドキッとさせられる。


「それじゃあ、学校始まったらよろしくね。私たちこれから中学校に行って合格報告しないといけないから」


「あ、うん、また」


 三春さんが手を振ってくれたので僕も振り返す。高校が始まるまであと三週間近くもあるが、今から待ち遠しい。西高は校風こそ自由で楽しいが勉強は当然厳しいと聞いている。でも三春さんの応援で入試では本来の実力以上の力を発揮できたように、三春さんがいれば厳しい勉強にもくらいついていける気がする。僕の胸中に希望がいっぱい詰まっていく感じがする。


 最後に三春さんは飛び切りの笑顔をくれて僕らは別れた。


 駐輪場に向かう二人を眺めていると急に増子さんが僕の方を振り返り走ってくる。少しだけ息を切らしながら僕の目の前で立ち止まり、神妙な面持ちで口を開く。


「類君、お願いがあるの」


「え? な、なに?」


「心は結構君のこと信頼してるっていうか気に入ってるっていうか……そんな感じだから」


「それは嬉しいな」


「だからね、心の前では嘘とか誤魔化しとかは駄目だからね。心はそういうのすぐに分かっちゃって、大嫌いだから。お願いね」


 最後ににっこりと笑って三春さんの方に戻っていった。


 増子さんとは今日会ったばかりだけれど三春さんの隣でニコニコしていて楽しそうな人だと思った。でもあの神妙な面持ちはいったい何だったのか。嘘が好きな人なんていないのだからわざわざ忠告するほどのことでもないような気もする。


 もしかしたら小学校か中学校時代に何かあったのだろうか。僕のように、心の中の何かを変えてしまうようなきっかけがあったのだろうか。


 それを聞けるだけの関係になりたいと思う。とにかく三春さんの前で嘘や誤魔化しはなし。それだけは心に誓った。



 受験勉強から解放されて高校生活が始まるまでの束の間の何もしなくて良い春休み。といっても高校から春休み中にやっておくようにという課題はそこそこ出されていてずっと遊んでいるわけにもいかない。


 せっかくだから三春さんを誘って喫茶にしもとで課題を一緒にやるなんてことも考えたが、さすがにまだそんな間柄ではないだろうと思い誘えなかった。結局春休みには中学時代の友達と何回か遊んだだけで、あとは課題詰めの毎日だった。


 県内一の進学校である西高では春休みの課題で高校範囲の問題を出していて、すでにもらっている教科書やネットで調べないと解くことができない。時間もかかるし頭も使う、これからの高校の勉強が不安になるような課題だったが、もうすぐ三春さんに会えると思うと頑張ることができた。

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