第7恐怖「置き指」

 事故物件とか、曰く付き物件とか、そんなものは非現実的で自分の人生とは関わりがないものだと思っていた。

 ところが、飲み会の席で知り合ったとある男・Sが、訳ありの物件に住んでいるという。


 なんでも、Sの住んでいるのは都内のアパートで、2LDKなのに家賃が四万円台らしい。内見のときに不動産屋に事故物件かどうか聞いたところ、それはわからないとのことだった。ただし、その可能性は大いにあり得る、むしろそうでなくてはおかしい、と忠告はされたようだ。


 Sは全く霊感がなく、とくに気にならなかったとのことで、その部屋を借りることにし、かれこれ一年ほど住んでいるらしかった。


「それで、何か変わった体験はしたのか?」


 私が聞くと、Sは「たぶん、あるんだと思う」と妙な言い方をした。

 どうやら思い当たる節はあるらしい。が、大したことでもないのだろう。Sがとくべつ呑気な男だということもあるかもしれないが。


 私はその飲み会でSと意気投合し、居酒屋を出た後、実際にSの住むアパートへ赴くことになった。部屋飲みというやつだ。そのまま一晩泊まって検証でもしてやろうと、私は勇んでいた。


 電車を乗り継ぎ、最寄りの駅から十五分ほど歩いて、Sの住むアパートに到着した。

 木造で、築年数は結構いっているように感じられる。玄関扉は黒く煤けていて、不気味に感じられなくもない。


 Sがドアを開け、「どうぞ」と言う。

 少し緊張しながら、中に入る。


 雑然としていた。それが第一印象だ。ゴミなどで汚いわけではなく、インテリアが豊富でオシャレなのだが、隙間なく装飾されているせいで、私にはごちゃごちゃしているように感じられたのだ。


 まるで個性的な雑貨屋さんだ。きっと、幽霊には居心地が悪いだろう。


 私はおもわず苦笑しつつ、靴箱に履き物をしまった。靴箱まで凝っていた。どこで見つけたのか、ゴツくて重たげな木造品だ。


 私はあれこれ観察しながら廊下を進み、案内されるがままリビングのソファに落ち着いた。

 それからしばらく、酒を飲みながら語り合った。トイレくらいは何か感じるものがあるかもしれないと思ったが、扉を開けた瞬間、ふわりと甘いフレグランスが香り、室内はやはりお洒落に飾られていた。


 酒を飲んでいるうち、いつの間にか外が青っぽくなっていることに気がついた。時刻を見ると四時を回っている。


「結局、何も出なかったなあ」

 私が肩を落とすと、Sは「そうなんだよ」と笑った。「別に出るわけじゃないんだ」と。


 始発電車に乗りたかったので、私はリビングの片付けを手伝ってから、「それじゃあ、またな」と玄関へ向かった。

 そのとき、突如として、何かが倒れる大きな音が響いた。

 玄関からだ。


 恐る恐る覗き込むと、あの重たげな靴箱が、玄関に倒れ込んでいた。

 私が呆然としているなか、Sが、


「そう、これなんだよ」


 と興奮ぎみに言った。


「何が」


 私は混乱していた。

 Sは苦笑して「怪奇現象だよ」と言う。

「たまにこれが起こるから、靴箱の上には何も置いてないんだ」


 言われてみれば、これだけ部屋中が飾り立てられているというのに、玄関だけ、やけにすっきりしている。


 ──別に出るわけじゃないんだ──


 私はSのその言葉を思い出していた。なるほど、幽霊は出ていない。

 そう考えると、私は怖さよりもむしろ非現実的な現象に興奮した。


 が、倒れた靴箱を二人で起こそうとしたそのとき、靴箱の後ろの壁の一部が崩れていることに気づいた。


「うわ、なんだよ、酷いなこれ」


 Sは舌打ちをして肩を落とした。

 私は壁が崩れたことよりも、その崩れた向こうに何か異様な気配を感じて、全身に鳥肌が立っていた。


 ──そもそも、靴箱の後ろの壁が崩れる道理などない。明らかに不自然だ。


 こわごわと歩み寄り、壁の向こうを見やる。

 そこには、手の平サイズの古びた木箱があった。


「なんかあるぞ!」


 私はあとずさって、悲鳴のように叫んだ。何か尋常じゃないものを感じたのだ。

 Sはそれを確認すると、「なんだよこれー」と、こともなげに木箱を取り出した。


「おい、大丈夫かよ」と私は声をかける。「それが原因なんじゃないのか、怪奇現象の」

「だろうなあ」


 やはりSはなんでもないというふうに、その蓋を開けた。

 Sの動きが止まった。

 これぞまさに、「目を丸くする」というような表情を浮かべている。


 ややあってから、Sは歪むように苦い顔になって、「なんだこれ!」と悲鳴をあげながら木箱を床に放った。


 木箱から、その中身が飛び出した。

 ひとつだけではなかった。二、三個が転がった。

 それは、干からびた、足の指だった。


 私たちは男二人で悲鳴をあげ、どうしてよいかわからず、あたふたするばかりだった。

 そのうちSはまるでゴキブリでも出たかのような態度になって、キッチンペーパーを何枚も切り取り、転がる指をそれで掴み取ると、なんと、木箱と一緒にゴミ箱に放ってしまった。


「なにしてんだよ」と私が言うと、「捨てた方がいいだろ」とSは言った。

 私は言葉を失った。


 その後、私たちは部屋に戻り、その指についてあれこれ話した。

 あれが一体なんなのか、妄想は無限大に膨らむものの、実際のところはいくら考えたって何もわからない。単なる作り物かもしれない。


 このあとどうするかについて、警察に行くかお祓いに行くかという話になった。

 しかし、Sはどちらも面倒くさがった。


 結局、ちょうどゴミ収集車が来る時間になったので、チャンスだとばかりに、Sは指をそのまま廃棄した。


 以来、信じられないことだが、Sの家で怪奇現象が起こることはなくなった。

 捨てても捨てても指が帰ってくる、なんてことがなくてよかったとSは言う。



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