第15恐怖「囁くものたち」


 あるとき、街じゅうにとある噂が広まった。夜遅く、古くも立派に構えるS駅の構内で、どこからともなく囁き声が聞こえてくる、という。


 それは決まって終電が出た後で、どうも電車から降りた人々の発するものではないらしい。構内からすっかり人がいなくなったあとも、しばらく囁き声は響き続け、女の声だという人もいれば、いや男の声だという人もいる。独り言のようにぶつぶつ喋っているのを聞いたという人もいれば、複数人で会話しているように聞こえたという人もいる。


 S駅にまつわる怪談話は、それが初めてではなかった。というのも、何度か人身事故が起きていたり、急に倒れた人がいたりするらしく、それでときどき、そのような噂が広まるのだ。


 ゆえに、S駅は心霊スポットとして扱われていた。


 隣街に住むオカルト話が大好物のYさんは、囁き声の噂を耳にして、さっそく仲間たちと出向いたという。


 深夜一時だった。Yさんを含む五人の若者がS駅の正面に集合した。

 駅舎入り口はシャッターが下ろされている。構内に入ることはできない。しかし、正面から少し逸れれば、フェンスを越えて簡単にホームへと侵入できてしまう。


 Sさんたちは監視カメラを避けた場所を選び、錆びたフェンスを乗り越えてプラットホームへ下り立った。


 不意に、すぐ近くからシャーっと音がした。

 全員が驚いてそちらを振りむいた。


 ──なんてことはない。そこには比較的新しい便所があった。男子トイレの小便器が、自動で水を流したのだ。


 なんだよ驚かせやがって、と彼らはホームの観察を始めた。

 ホームの屋根には一定間隔で蛍光灯が備えられており、閑散とした駅をぼんやりとした灯りで包んでいた。右手には反対のホームへうつる跨線橋こせんきょうがあり、左手には便所、その向こうに改札があった。


 彼らには見慣れたはずのS駅ホームだったが、深夜というだけでまるで異世界だった。冥界行きの鈍行が、闇の中から音もなく姿をあらわしそうだ。


「とりあえず、向こう側に行ってみようぜ」


 Yさんが提案し、五人は右手の階段を上がった。


「しっ、ちょっと待って」


 途中、仲間の一人が立ち止まった。


「何か聞こえない?」


 五人は耳をそばだてた。しかし、特に変わった様子はない。


「おい、いいよ、そういうのは」


 Yさんが笑って言ったその直後、うしろから何やら音がした。


「うわっ」


 Yさんが悲鳴を漏らした。


「なんだよ、どうした」

「本当に聞こえた。たぶん俺の背後から」


 Yさんが訴え、全員がそちらを見た。


 何もいない。


 が、今度は逆側からハッキリと音が響いた。

 またも全員が振り向く。


「なに、今の音」

「わからん、うめき声?」

「いや、俺には話し声に聞こえた」


 意見が食いちがう。五人はそろりそろりと階段を上がり、渡り廊下に出た。


「ちょ、いま! いま聞こえるよな?」

「ああ、やばいな、確かに話し声だよ」

 遠いような近いようなところから、途切れ途切れに声が聞こえてくる。


「なんて言ってる?」

「わかんねーよ」


 そのとき、うわっ! と誰かが悲鳴をあげた。つられて、みんなが一斉に驚きの声をあげる。


「なんだよ、びっくりさせんなよ!」

「いや、今、すぐ耳元で声がしたんだよ! もういいから帰ろう!」


 五人は怖気ついて、いま上がったばかりの階段を慌てて下りた。

 と、何やら話し声とはまたちがう異音が聞こえてきた。


「水の音だ」


 Yさんが便所を指差した。

 それは自動水洗の音……ではない。明らかに、水量が激しい。


「うわ、なんだあれ!」


 水が溢れているようだった。じわじわと、便所からホームへ床を這っている。

 いや、五人には、それが自分たちに迫っているように感じられた。確かな意思を持って。


 水は思いのほか早くホームを侵食していった。五人は半狂乱になってフェンスまで駆け、我先と飛びついた。

 Yさんは少し遅れてフェンスを登った。


「早くしろよ!」


 仲間が鋭く唸る。だが、そのとき、Yさんの足を何かがぐいっと引っ張った。


「うわあっ」


 悲鳴をあげて足を振り回す。だがそれは離れない。何が足を掴んでいるのかYさんは怖くて見られなかった。


「早くしろって!」


 仲間たちが叫ぶ。


 Yさんはほとんど半泣き状態で、フェンス頂上に上半身を乗せ、慌てて乗り越えた。

 同時に、足を掴んでいた何かがYさんを投げるように突き放した。


「ぎゃっ」


 Yさんはフェンスから落ち、敷地外のアスファルトに体を打ちつけられた。

 激痛が走るなか、ホームを振り返る。


 ──誰もいない、何もない。


 仲間たちに手を貸してもらい、痛む体をおさえながら、Yさんは起き上がった。



 その日、五人はファミレスで夜を明かすこととなった。そして、ホームで体験した一連の出来事を振り返った。


 Yさんが、足を掴まれたような気がしたと話すと、みんなは「それはさすがにない」と言った。登るところを見ていたが、フェンス周りに異常はなかったはずだという。


「足首にアザが残っているかもよ」


 そんな冗談を言われ、緊張しながらズボンの裾をまくってみたものの、やはり異常はない。何かが服に引っかかったとか、そのような勘違いだったのだろうか。


 ところが、耳元で声を聞いたという仲間の一人が、青ざめた顔で、とんでもないことを言った。


「俺、あとから思い返すと……あの話し声は、相談をしてたかのように思うんだよな……」


「相談? なんだそれ」


「いや、耳元でさ、こう聞こえたんだよ……


『あいつにしよう』


って……」


 翌日、仲間たちが便所やフェンスを確認したものの、異変などは何も見当たらなかったという。

 それからというもの、Yさんはその駅を利用するのを、一切やめたらしい。


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