第16恐怖「足元の女」


 二度とバスには乗りません。

 神妙な面持ちでそう語ったのは、Tさんという会社員の男性だ。

 彼は大学生だった当時、友達と夜行バスを利用して、千葉から大阪へと遊びにいった。

 平日だったからか、それほど混雑していなかった。窮屈な座席ではあるが、隣は友達だし、快適なほうだろう。


 最初は小さな声で友達と話をしていたが、出発して三十分もすれば会話もほとんどなくなり、その後いつの間に寝たのか、隣から寝息が聞こえてきた。

 Tさんはなかなか寝付けなかった。やっと意識がぼんやりしてきても、そこから寝入ることができない。意識はふらふらと夢と現実のはざまを漂うばかり。


 そのままかなりの時間が経過した。もしかしたら、浅いながらもとっくに睡眠に入っていたのかもしれない。

 ふと、体が動かせなくなっていることに気づいた。金縛りだ。

 意識はすっかり覚醒したが、指一本動かせず、体は座席に沈んでいくような感じがする。


 無理やり力を込め、なんとか金縛りを解いた。

 それだけでかなり疲労した。頭はぼんやりしている。

 これならまたすぐに眠れそうだと思った。しかし、寝入る寸前、何やら気だるい感じがしてきて、「あ、これはまた金縛りになるな」と思った。前にもそのような経験をしたことがあるのだ。


 案の定、目を閉じてすぐに体を動かせなくなった。

 もう一度ふんばって起きようとする。が、今度はうまくいかない。いっそこのまま放置して、もう一度眠れるまで待つか。

 試しに脱力してみた。すると、体がどんどん沈んでいくような、嫌な感じがした。

 だめだ。どこか力の入る箇所を探そう。力さえ入れば、一気に解けるはず。

 目だ。目ならなんとかなりそうだ。


 Tさんはまぶたにグッと力を込めた。とてつもなく重いが、なんとかなりそうだった。少しずつまぶたが開いていく。

 と、ぼんやりした視界のなかに、何か異物が見えた。


 ──髪の毛だ。足元に長い髪の束がある。


 すっかりまぶたを開ききったものの、金縛りは解けなかった。

 髪の毛は自分の座席の下から、両脚の間を通って伸びていた。そうしてじっと見ていると、椅子の下からズルズルと青白い額が見えてきた。


 頭が、這いずるように姿をあらわす。額から、眉毛、落ち窪んだ目元。

 女だ。女の顔がじっとこちらを見ている!


 たまらず、Tさんは全身にこれでもかと力を込めた。

 どうにか体をひねることができて、金縛りは解けた。瞬間、素早く足を椅子に乗せ、女の顔を避ける。

 そのまま、冷静になるまで少々時間を要した。


 夢だ。現実にそんなことがあってたまるか。

 Tさんはそう言い聞かせ、おずおずと足元を覗き込んだ。


 何もない。誰もいない。

 やっぱり幻覚だった。そういえば、ここまでではないにせよ、前回の金縛りの時も幻覚や幻聴があった。


 Tさんはやっと安堵して、ふと隣の友達を見た。

 ぎょっとした。

 友達は、すさまじい形相で目を見開き、自分の足元を見ていた。まるで、そこに何か恐ろしいものがあるかのように。


「おい」


 Tさんが声をかけるも、反応がない。脂汗を滲ませて、ただじっと足元を見つめている。


「おい、おい!」


 強く揺さぶると、友達はハッとして足を椅子に乗せた。それから足元に何もないことを確認し、深く息をついた。

 Tさんは何があったのか察していたが、「どうしたんだよ」と友達に聞いた。

 すると友達は、


「足元に女の顔があった」


 と苦笑した。

 Tさんも苦笑いで、「あるわけねーだろ」と小さく呟いた。


 大したことじゃないという態度をとったが、心中穏やかではない。二人とも同じ幻覚を見るなんてあり得るだろうか。

 Tさんたちはその後、大阪から千葉に帰る際、新幹線を利用したという。


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