第59恐怖「憑きまとう人」

 

 なぜそんな目に遭ってしまったのか……


 Nさんが体験した話は、とても奇妙で、不可解だ。

 高校二年生に上がったNさんは、心機一転、両親に買ってもらった新しいリュックサックを背負い、意気揚々と通学した。


 電車に乗り込み吊り革に掴まってすぐ、隣の車両からやってきた同じ学校に通う友人から声をかけられた。


「おまえ、リュック開いてるぞ」


 あわてて肩から下ろして確認すると、確かにチャックが開いており、上部が舌のようにべろんと垂れていた。


「やべ、なんか落としてるかも……」


 確認したところ、中身は無事だった。


「サンキュー、このまま乗ってたら、めちゃくちゃ恥ずかしかったよ」


 前はショルダーバックを使っていたのでチャックが開いていても自分で気づけたが、今度はそうはいかない。それにしても、こんなにぱっかりと開いていたのに気づかず背負ってしまうとは……

 Nさんは自分の注意散漫さを呪った。


 だが、帰宅の際にはそのことなどすっかり忘れていた。学校が終わり、近くの飲食店でバイトを四時間ほどして、その帰りのこと。

 一人で駅までの夜道を歩いていると、大人の女性に声をかけられた。


「リュック、開いてますよ」


 あれ、またか……

 Nさんが確認すると、今朝と同じように上部がひらいていた。


「教えてくれてありがとうございます」


 お礼を言い、リュックの口をしめる。

 女性はわずかに微笑んでその場をあとにした。


 まだこのリュックに慣れてないから、気をつけなくちゃ……

 そう思いながら、Nさんは帰り道をふたたび歩き始めた。



 翌日の朝、Nさんは少し寝坊をしてしまった。慌てて準備をして、なんとかいつもの電車に間に合った。


「おまえ、またリュック開いてるぞ」


 友人がそう声をかけてきた。


「え、まじかよ」


 本当だ、また開いていた。しかし、慌しかったとはいえ、チャックを確認した記憶がうっすらとある。


「おっかしいなー」


 Nさんがぼやくと、友人は笑って「何してんだか」と言った。

 もしかして、友人がイタズラでこっそりと開けているのではないだろうか。

 そんなふうにも思ったが、昨日のバイト帰りも開いていたのだ、さすがにこいつの仕業ではあるまい。


 Nさんはそう思い直し、あらためて、気をつけなければと自分に喝をいれた。

 ところが、またもや、バイト帰りにリュックの口が開いていた。


「リュック、開いてますよ」


 教えてくれたのは、昨夜も声をかけてきたあの女性だ。ここらへんの人なのだろう。


「あはは、すみません」


 Nさんはリュックの口をしめながら女性からすぐに離れた。

 恥ずかしかったのも大いにあるが、なんだか妙な違和感をおぼえた。


 おかしい。絶対におかしい。いくら注意散漫とはいえ、こんなに連続して口が開いてるものか。しかし、誰か犯人がいるとも考えがたい。かりにいるとしたら、朝に会う友人と、この女性と、二人ともそれぞれ犯人だということになるのだから。


 さすがにその線はないだろうと思ったが、しかし、可能性はゼロじゃない。もしそうだとしたらこの女はまぎれもなく不審者だ。Nさんは早足になって駅を目指した。



 翌朝、家を出る前に、Nさんはしっかりとリュックの口を確認した。

 間違いなく、確かに、しまっている。


 念のため、チャックが何かの拍子に勝手に開いてしまう可能性を確かめた。

 だが、チャックはしっかりと固定されていた。人の手を使わないかぎり開きようがない。


 ──よし。

 Nさんはリュックを背負い、駅に向かった。


 電車に乗り込む際にもリュックを確認した。背負うのではなく抱えてもよかったが、もし友人がイタズラで開けているのだとしたら、その瞬間をおさえて、馬鹿なマネはやめろとちゃんと言わねばならない。


 車両に乗ってからすぐ、

「おいっすー」

 と、いつもの友人がこちらにきた。

 同じくおいっすーと挨拶して、雑談を開始した。


 並んで立って吊り革に掴まり、会話を交えつつ、横目で友人をしっかりと観察した。こっそりリュックに手を伸ばすような気配は一切みられなかった。

 だが、不意に、背後から声をかけられた。


「リュック、開いてますよ」


 瞬間、一斉に鳥肌がたった。

 バッと振り返ると、そこには、あの女がいた。いつもは夜道で見かけるので顔がよくわからなかったが、しかしまちがいない。声は同じだし、背丈も髪型も一緒だ。こうしてよく見ると、なんて不健康な顔をしているのだろうか。


 ストーカー。


 その言葉がNさんの頭を駆け巡った。

 女を睨みながらリュックを確認すると、やはり口が開いていた。まちがいない。このストーカーがイタズラしているのだ。これまでの朝の時間帯も、こいつが同じ車両に乗り合わせていたにちがいない。


「お前また開いてんじゃん」


 隣の友人が言った。

 Nさんはそれを無視してストーカーを睨み続けた。

 と、満足げに微笑みながら、そいつは去っていった。


「どうしたんだよ?」


 友人が怪訝そうに聞いてくる。


「あの女だよ、俺のリュック開けてんの」


 Nさんがストーカーの背中を睨みながらそう言うと、友人は「どの女だよ?」と言った。車両には高校生や会社員など、様々な女性が乗っている。


「だからあれだよ、いま声かけてきたやつ」


 隣の車両へとうつっていく女の背を指さして、Nさんが説明するも、友人はわかっていない様子だった。女の顔の特徴までも詳細に話したが、そんなやつは見かけなかったというのだ。声をかけてきたのもわからなかったらしい。


 そんな馬鹿な……


 Nさんは衝動的に、すでに見えなくなった女のあとを追いかけた。しかし、端の車両まで探し回ったものの、女は見つからなかった。


 以来、Nさんはそのリュックを使うのをやめた。電車通学もやめ、自転車で片道一時間以上かけて登下校するようにした。

 それから一度も、女には出くわしていないという。


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