第60恐怖「誰がいたのか」

体験者:ウロウロさん


 二十代の頃の話。

 私は当時、探偵として独立したばかりだった友人の仕事を手伝っていた。友人は高校の同級生で、協力してほしいと直接声をかけられたのがきっかけだ。フリーターだった私には割りの良い話だったし、探偵という仕事の物珍しさに、二つ返事で承諾した。


 あるとき、浮気調査の仕事を手伝った。

 連日連夜、私はビジネスホテルの前で張り込みを行った。友人は別の作業に取り掛かっていたのだ。私はひとりきりで、調査対象の男性とその不倫相手との決定的な瞬間を狙い、ひたすら機を待った。


 だが、なかなかチャンスがおとずれない。男性と不倫相手は用心深く、バラバラにホテルに入るのが常だった。証拠になるようなものをおさえられないまま二週間が過ぎた。


 長期戦になるだろうと思うと憂鬱だった。そのビジネスホテルは古く、建物からは重たく不気味な空気が漂っている。人通りは少ない。なるべくなら、近くにはいたくなかった。


 そんな折、夜のしじまのなかで煙草をくゆらせていると、車の音が近づいてきた。

 ターゲットかもしれないと思い、垣根に身を潜めて様子をうかがった。対象の男性は、今夜はまだチェックインしていない。


 それはタクシーだった。ブレーキランプが通りを赤く染め、「賃送」という表示板の文字が、「支払」に変わる。ここで降りるようだ。緊張が走る。

 タクシーがホテル前の街灯付近に停車すると、私は陰からカメラを構えた。


 ──だめだ。車内の様子はさすがにここからでは捉えられない。ターゲットが乗っているのかどうかも全然わからない。


 エンジンの低い唸りが通りを震わせるなか、おとなしく、状況が変わるのをじっと待つ。

 乗客はなかなか降りてこなかった。


 やっとのことでドアが開き、私はふたたびカメラを構えた。街灯のおかげで、しっかりと顔が映せそうだ。

 が、乗客は降りてこなかった。


 ややあって、誰も降りないまま、ドアが閉まった。

 おもわず首を捻った。行き先を変えるのだろうか? もしかして、私がここに潜んでいることを勘づかれたのか?


 次の瞬間、表示板の文字が「支払」から「空車」に変わった。

 理解が追いつかず、思考が停止する。


 我に帰って通りに飛び出し、辺りを見渡すも、人影ひとつない。まちがいなく誰も降りていない。

 タクシーはのそりと緩慢に動き出した。運転手がこちらの様子を伺っているのがわかった。

 慌てて、私は外から座席を覗き込んでみた。が、誰もいない。やはり降りたのか。いや、しかし……


「すみません!」


 とっさの行動だった。私は助手席の窓を叩いた。

 タクシーは停車し、後部座席のドアが開いた。


「あのう……」


 恐る恐る運転手に声をかける。


「さっき、どんな人が乗っていましたか……?」


 運転手は少し考えるようにしてからそれに答えた。


「どんなって、さっき、あんたとすれ違った人ですよ」

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怪異語り ズマ@怪異語り @hamideteruyo

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