第58恐怖「不機嫌な帰宅」


 都内で飲食店に勤める賢二さんという方が体験した話。


 彼が小学五年生のときのことだ。

 三連休最後の日、まだ仲良くなったばかりの友人・Hくんと、自転車で出かける約束をしていたのだが、あいにく雨が降ってしまった。前々から、一日中雨が降るという予報があったらしいのだが、まったく見ていなかったのだ。


 すっかり遊ぶ気満々だった賢二さんはそこで引き下がれず、Hくんに電話し、家に行ってもいいかと聞いた。Hくんの家でテレビゲームがしたい、と。


 しかし、Hくんは乗り気じゃなかった。ゲームは賢二さんの家でやろうというのだ。

 賢二さんはそれも考えたが、自分の家だと、歳の離れた兄にテレビを占領されてしまう。


「なんでじぶんちだと嫌なの? 兄弟とか親が厳しいとか?」


 賢二さんがそう聞くと、兄弟はいなし、両親は出かけているという。


「じゃあ、いいんじゃない?」


 そう言うと、Hくんは黙りこんでしまった。


「部屋が汚いとか、俺気にしないよ? だって俺も汚いし」


 そのようにして説得を続けると、やがてHくんは、


「少しだけなら」


 と、つぶやいたのだった。



 雨足は弾丸のように強烈だった。風も強く、雨具の隙間から水が侵入し、中までびっしょり濡れてしまった。


 Hくんは玄関でタオルを用意してくれていた。タオルで体を拭きながらHくんの家の中を見渡す。良い家だ。そんなに古くはないのだろう。外観からして綺麗だったが、中は想像以上だ。フローリングが輝いている。


 だが、なんだろう……天気のせいか、空気が重たく感じる。

 いや、Hくんの表情が曇っているからそう感じるのかもしれない。やはり乗り気じゃないらしいのは見てわかった。


「親が帰ってくるまえに、俺も帰るよ」


 賢二さんがそう言うと、Hくんの表情はいくらか明るくなった。たぶん親が厳しいのだろうと賢二さんは思った。


 Hくんの部屋は二階だった。7畳くらいあるだろうか。ずいぶん広い。

 さっそくテレビゲームの電源を点け、賢二さんとHくんはゲームに没頭した。


 気づいたら二時間ほどが経過していた。その頃にはHくんもすっかり楽しんでいる様子で、賢二さんはこのまま夕方くらいまで遊んでもいいかもしれないと期待した。

 ところが、不意に、「そろそろ終わりにしよっか」とHくんが言いだした。


「親、もう帰ってくる?」


 そう聞くと、Hくんは「いや、親っていうか……色々あって……」とお茶を濁した。

 そのときだった。

 バァンッ、と、強烈な音が階下に響き渡った。


 一瞬困惑したが、玄関扉の音だと気づく。風だろうか。玄関がちゃんと閉まっていなかったら有り得る。

 ……いや、確か、Hくんは鍵をしめていたはずだ。しっかりしてるなぁと思ったのを覚えている。とすると、誰かが帰ってきたのだ。


 Hくんを見ると、その顔がすっかり青ざめていた。そんなに厳しい親なのだろうか。

 と、廊下をドタバタ歩く音が聞こえた。あからさま不機嫌な様子だ。

 友達が来ただけで、そんなに怒るなんて……

 賢二さんが戸惑っていると、Hくんに腕を掴まれ、クローゼットに隠れるよう促された。


「なんだよ、もうバレてるんだから、隠れなくてもいいだろ?」


 賢二さんがそう言うも、Hくんはきかなかった。しぶしぶ、一緒にクローゼットの中に入る。Hくんのほうを見てみると、両手で体を抱くようにしてぶるぶる震えていた。


 もしかして、虐待されているのだろうか……

 そんなことが頭をよぎる。

 階下の騒音はさらに激しさを増していった。隠れている二人を探しているような感じ。


「お前の親、ちょっとおかしいんじゃねーの……?」


 ついそんなことを言ってしまった。

 すると、Hくんはぽつりとつぶやいた。


「親じゃないんだよ」


 聞き間違いだろうか。Hくんに兄弟はいないというし、親以外に家に入ってくる人なんていないだろう。祖父母? いや、高齢者ということはありえない。ほとんど走り回っているような感じなのだから。


「誰だよ? 親じゃないんだったら」


 賢二さんがそう聞くと、Hくんは「知らない」と答えた。

 知らない……?

 まったく意味がわからない。合鍵を持っている不審者だとでもいうのか。


 とそのとき、ふたたび、玄関のほうから音がした。

 今度は、通常のボリュームという感じだった。扉の開閉音と、それに続いて、ビニール袋や鍵を持つジャラジャラという音。ごく平凡だ。


「ただいまー」


 女性の声。母親らしい。とすると、騒がしかったのは父親なのだろうか。


「H―? お友達来てるのー?」


 母親が階下からそう言うと、Hくんはクローゼットの扉を開けた。表情は落ち着いていた。

 そういえば、ドタバタした騒音はいつの間にか消えている。


「ちょっと待ってて」


 Hくんはそう声をかけてから階段を下りていった。賢二さんは廊下に出て、二人の話し声を聞いた。父親がいる様子はない。

 しばらくしてからHくんはお菓子を持って部屋に戻ってきた。「お母さんが、食べていいってさ」と、さっきのことなど何もなかったかのように振る舞う。


「父親は?」


 賢二さんが聞くと、Hくんは「まだ帰ってきてないよ」と言った。


「はあ? じゃあ、さっきのは誰なんだよ」


 つい、キツイ口調で言ってしまった。

 するとあきらめたのか、Hくんはやっと説明したのだった。


「本当に知らないんだよ。だって、一度も姿を見たことがないんだから」


 それは、Hくんの両親がいないときにやってくる。

 音だけたてて、姿はない。

 いつもくるわけではなく、いつともわからずやってくる。


 ゆえに、Hくんは、自分の家で遊びたくなかったという。



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