第9恐怖「怨みまわり」
私の町には、金網に囲まれた謎の祠がある。
その存在を知っているのは、地域の人でもわずかだろう。
田んぼと林が点在するばかりの寂れた地帯に、ひっそりと鎮守の森があって、その奥にぽつんとあるのだ。
石積みの低い土台に建つ、瓦屋根の木造の祠。大人が一人ぎりぎり入れそうなほどの大きさしかないが、古さびたそれは、ただでさえ異質な存在感を放っている。それを、返しのついた高いフェンスが囲んでいるため、もはや、異常な光景ともいえる。
そこに祀られているものがなんなのか、それはわからない。
だが、その祠にまつわる怪談話なら、私の母から聞いたことがある。
二十年以上前の話だ。
当時、不幸の手紙というものが流行っていた。誰かから回ってくるその手紙を読んだ者は、他の十人に手紙を回さないと不幸になる、というようなもので、その派生系もいろいろと生まれていた。
この町では、「うらみまわり」というものが流行った。
誰が始めたのか、恨んでいる人の家にその恨みをこっそりと言いにいき、誰にも見つからずに言い終えることができたら、玄関扉のどこかに印をつける。ぐるぐると渦巻き状の謎めいた印だ。その印を見つけた家の者は、また他の誰かの家に恨みを言いにいき、そして、同じ印をつけることができなければ不幸な目に遭う。と、そんな、なかなか過激な遊びだった。
とある中学生の女の子が、学校から帰ってきたときに、玄関扉の端にその印を見つけた。
女の子は馬鹿馬鹿しいと思った。こんなものは良くない、自分で止めてやろう、と。女の子は雑巾で印を綺麗に消した。
その夜中のこと。
夢のなかで、夢の内容とは関係のない呻き声のようなものが聞こえてきた。それはだんだんうるさくなっていき、たらまず、女の子は夢から目覚めた。
静かな夜だった。ところが、沈黙のなかに、わずかな違和感をおぼえた。耳をすます。
と、カーテンの閉まった窓の外から、誰かの喋り声が聞こえるような気がした。
こんな夜遅くに、誰か外に出ているのだろうか。
おそるおそる窓辺に近づく。
やはり喋り声だ。だが、会話している感じでもない。
もっとよく耳をそばだてると、おかしいことに気づいた。
声が近い。
女の子の部屋は一階にあるが、窓側は田んぼに面している。それなのに、誰かがすぐそこにいる気がした。
そのとき、女の子はハッとした。
──うらみまわり。
誰かが、私の家に怨みを言いにきているんだ。だから、道に面した正面ではなくて、家の裏から回り込んできたのだ。でも、すでに印はついていた。なぜ、もう一度来たのか。それとも一回目とは別の人なのだろうか。
女の子はとても怖かったが、それと同時に、強い好奇心を抱いた。
うちに怨みを言いにきたのは、一体誰なのか。もし昨日と同じ人物だとしたら、二回も言いにくるということは、仕方なくやっているのではなくて、本当に怨みを持っているのではないか。
女の子はその人物を特定するべく、忍びやかに家の外に出て、裏に回り込んだ。
だが、すでに逃げた後だったらしい。そこに人影はなかった。
それで終わりだと思った。さすがにもうその人物は来ないだろうと。が、次の夜、女の子はふたたび、喋り声で目を覚ました。
そのことに気づいてすぐ、女の子は怒りをおぼえた。よっぽど陰険な人物にちがいない。ここでしっかりと確かめてやろう。
だが、裏に回り込んで確認する時間はない。今ここで確認するしかないと女の子は思った。
音を立てないよう窓辺に歩み寄る。そして、カーテンの端をつまみ、そっと覗き込んだ。
暗くて、何も見えなかった。
だが、月明かりもあることだし、すぐに目が慣れるはず。
女の子はもっとよく見ようと集中した。
そのときだった。
ぬうっと、何か白くて大きなものが、窓ガラスのすぐそこ、女の子の目と鼻の先にあらわれた。
顔だった。普通の人の何倍もある、巨大な顔。
女の子は驚きのあまり飛び退いた。尻餅をついたまま、窓とは反対の壁際まであとずさる。
声は止んでいた。そのまま、何事もなく夜が明けた。
しかし、まだ終わっていなかった。怨みの声は毎晩続いたのだ。何をやってもダメだった。耳栓をしても、部屋をかわっても、どこからともなく声がする。その姿を確認しようとは二度と思わなかった。あの巨大な顔が頭から離れない。あとから思い返すと女性の顔だった気がする。それに、顔だけじゃなくて、体も尋常じゃないほど大きかった気がする。
女の子はほとんど眠れず、日に日にやつれていった。不幸な目に遭うというのは、こういうことだったのだろうか。うらみまわりに参加したら、あの巨大な女はやってこなくなるのだろうか。いよいよ女の子は自分の意思を曲げてしまおうと考えた。
誰もが女の子の異変に気づき始めていたが、最初に動いたのは、彼女の祖母だった。
「あんた、何か良くないもんに付き纏われてるねぇ」
女の子を呼び出した祖母は、あらたまってそう言ったのだった。
女の子は祖母に泣きついた。
「実は、うらみまわりの印を消してしまったの。よそに怨みをいわないまま」
祖母は優しく微笑み、「それでいい」と言った。何かを知っているようだった。
女の子がどうしたらいいか相談すると、祖母は、うらみまわりについて話してくれた。
どうやら、うらみまわりは、この町がまだ村だったころから存在する風習らしい。祖母が若い頃に一度廃れているとのことだった。
祖母は、女の子に、とある祠の存在を教えた。その祠は古くからこの町にひっそりと存在し、うらみまわりを終わらせてくれるものらしい。
祖母は足が悪かったので、女の子はそこへ一人で出向いた。
当時はまだフェンスに囲まれていなかった。
整備のされていない鬱蒼とした鎮守の森の奥に、少し開けた場所があって、そこにぽつんと祠があった。
女の子はお供物をして、名もなき土地の神にお願いをした。
どうか、怨みを引き受けてくださいませ。どうか、どうか。
祖母いわく、そもそもうらみまわりとは、ここまでが一連の流れだという。本来のうらみまわりとは違う形で現代に復活してしまったが、元々は、村中の穢れをその祠に一手に引き受けてもらうためのものなのだ。
女の子が家に帰ると、祖母は「よくやった、怖かっただろうに」と褒めてくれた。
そして、こう言うのだった。
「これで、怨みは元の場所に帰る。怨みを持つ者のもとへ、何倍にもなって」
その言葉に、女の子はゾッとした。
どういうことか祖母にたずねたが、答えてくれなかった。
以来、女の子の枕元に怨みの声が聞こえることはなくなった。だが、うらみまわりに参加した町の人々は、みな、病気や事故などで酷い目に遭い、必ず、巨大な女を目撃したと口にするのだった。
それからしばらくして、祠にはフェンスが設けられた。
そして、とある噂話が町に流れた。
あの祠には、怨念を引き受けすぎて穢れてしまった神がいる。近づくことなかれ、と。
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