第29恐怖「立てこもり怪事件」


 これは、関東地方のとある総合公園で起きた不可解な事件についての記録だ。なお、場所を特定されないよう、部分的に情報を修正している。


 【記録その1】


 その日、Yさんは七歳の娘と五歳の息子を連れて、総合公園を訪れた。休日の午後ともあって家族連れの人が多く、そこそこの賑わいをみせていた。

 Yさんは子ども広場に赴くと、そこでしばらくの間子どもたちと一緒にボール遊びをした。そのうち子どもたちは他の子どもに混じって遊び始め、Yさんは少し離れたベンチでその様子を見守った。

 アスレチックの機能を持つ巨大な滑り台があり、子どもたちはそこで鬼ごっこのようなことをしていた。眺めているうち、Yさんは眠気に襲われ、少し休もうと目を閉じた。


 あっという間に夢の世界に入り込み、それからふと、妙な感じがして目が覚めた。

 どのくらい寝ていたのだろうか……

 視界の端にそびえる時計塔に目をやると、三十分近くが経過していた。

 まずい。しっかりと昼寝をしてしまったようだ。子どもたちは離れていないだろうか?


 心配になって、滑り台に子どもたちの姿を見つけようとした。

 ところが、娘と息子が見当たらないばかりか、そもそも遊ぶ子どもの人数が減っていることに気づいた。さきほどまでの喧騒が消沈している。

 嫌な感じがして、辺りを見渡した。

 どこかふらりと離れて迷子になっていたり、事故にあっていたら洒落にならない。

 と、時計塔のずっと脇のほう、公園の敷地の端にある公衆トイレに目がいった。さきほど時計塔に目をやった時は気づかなかったが、トイレの建物の周りに、幾人かの少年少女たちが集まっている。

 その中に、娘と息子の姿を見つけた。

 よかった。

 Yさんは安堵してそこへ駆け寄った。


「何をしてるの?」とYさんは子どもらに優しく聞いた。

 娘はバリアフリートイレのドアを指差し、「開かないの」と言った。

「誰か入ってるんだよ。そっとしてあげなきゃ」

 Yさんが手を引こうとすると、娘は「でも、ずーっと入ってるんだって」と言う。すると周りの少年少女は一様にうなずき、「中から変な声がする」とそのようなことを言うのだった。


 Yさんはどうすればいいか迷ったが、仕方なしにスライドドアに耳をあてた。

 確かに、何か聞こえる。

 うめき声……いや、喋り声ともつかない何やらもごもごとした声だ。

「すみませーん、大丈ですかー?」

 Yさんは扉越しに声をかけた。

 返事はなかった。もう一度耳をあてる。声はまだ聞こえる。

「もしもーし、何か助けが必要なら、おっしゃってくださーい」

 しかし、これといった反応はなかった。


 気づけば、周りにはほかの大人たちも様子を伺うように集まり始めていた。

 その中の一人が、「あのう……」とYさんに声をかける。

「ぼく、中に人が入っていくのを見かけたんですが……」

 青年は、恐々といった様子で、便所の中の人物についてYさんに話した。


 【記録その2】

 

「ぼくは、スケッチが趣味でして」

 そう語るのは、Tさんという若い男性だ。彼は週末になると、風景や鳥をスケッチするため、総合公園に出向くのだという。


 その日のお昼頃、Tさんは池にやってくる青鷺を描くために公園を訪れた。

 大きな池をぐるりと歩き、お目当てのものを探したが、白鷺ならいるものの青鷺は見当たらない。

 しょうがないので池のほとりに座り、風景をスケッチすることにした。時計塔をメインに、奥のほうに滑り台、手前には池の一部分。

 持参したサンドイッチやおにぎりを食べながらちまちま描いていると、浮浪者のような男が目についた。

 ぼろぼろの汚れた布切れを身にまとい、ゆらりゆらりと、Tさんの描く風景の中を揺れるように歩いていた。

 その男もスケッチに入れてしまおう──ちょうど、男は時計塔を見上げたまま歩みを止めた。これだと思い、その瞬間をスケッチブックに描き始めた。


 と、公園の用務員がその男に近づくのが見えた。近くで掃除をしていたのだろう、ゴミ袋や箒などを携帯している。

 男に声をかけるかと思ったが、用務員は時計塔付近に落ちていたゴミを拾って袋に入れると、そそくさとその場を立ち去った。

 男はしばらく時計塔を見上げたままだったが、そのうちまたゆらりゆらりと歩き始めた。滑り台があるほうに近づいていく。

 このままだと遊具で遊ぶ子どもたちと遭遇し、親御さんにとって気まずいことになるかもしれない。

 そんなことが頭をよぎったが、いらぬ心配だった。

 男は便所に行ったのだ。Tさんの描く風景からは外れ、トイレの建物の中に入っていくのがかすかに見えた。


 Tさんはスケッチに戻り、それから二時間ほど、集中して取り組むことができた。

 スケッチがほとんど完成すると、そこでやっと違和感に気づいた。

 トイレの建物の周りにちょっとした人だかりができている。

 そういえば、とTさんは思った。

 あの浮浪者はどこへ行ったんだろうか。見かけていない。もしかして、まだトイレの中なのでは。

 何やら嫌な予感がして、スケッチブックをリュックにしまうと、小走りで建物へ向かった。


 Tさんがそこへ到着したとき、大人の一人がドアに向かって「すみませーん」と声をかけていた。返事はない様子だが、しかし、どうやら何かしらの声は聞こえてくるらしい。

 間違いない。さきほどの浮浪者のような男が中にいるのだ。ということは、数時間以上も中にこもっていることになる。きっと、何かあったのだ。

 Tさんは浮浪者の男を見かけた件について話をした。

 するとやはり、中で倒れているんじゃないかという意見が周りから出た。


「ぼく、用務員さん呼んできます」

 そう言って、Tさんは体育館の受付や事務室のある建物へと駆け出した。

 その途中で、さきほど時計塔で見かけた用務員と遭遇したのだった。


 【記録その3】


 会社を定年退職してから、総合公園の管理スタッフとして働くHさんは、慌てた様子の若者に声をかけられ、すぐに何かあったのだと察したという。

 若者いわく、トイレに男の人が入ったまま数時間が経過し、中からはうめき声が聞こえ、倒れているのではないかとのことだった。

 万一のことがあってはならないと思い、Hさんはトイレに向かう間に事務室へスタッフ用の携帯電話で連絡した。事務室のほうで救急車を呼ぶということになった。

 大事になりそうだ。

 Hさんはそう予感していた。

 トイレの建物よりも人だかりが目につくと、Hさんはますます不安が募った。

 到着してすぐ、心配ないからといって、子どもたちや親御さんを解散させた。救急車が来た時の説明のため若者には残ってもらった。


 すっかり群衆がばらけてから、Hさんは鍵のかかったスライドドアを叩いた。

「すみません、係のものなんですけどね、何かありましたか?」

 返事らしきものはない。が、かすかに声が聞こえてくる。何を言っているのかはまったくわからなかったが、聞いているとどんどん不安になってくるような調子だった。

 と、若者が口を開いた。

「あのう、中に入っている人なんですけど、さっき時計塔のところにいた、あのホームレスっぽい人なんですよ」

 それはまるで「知ってますよね」というような口ぶりだった。

 Hさんはそうなんですかと返した。そんな男、全く見た覚えがない。


 ときおり中の人物に声をかけながら、Hさんは救急車や他の管理スタッフを待った。

 先に同僚がやってきた。手には工具箱を持っている。

「仕方ないんで、鍵、開けちゃいましょう」

 Hさんはそれに賛成した。すぐに取り掛かったものの、そういうことに慣れていない素人の二人は苦戦を強いられた。鍵を開けたり壊したりする専用の道具などなく、工夫するしかないのだが、どうもうまくいかない。


 そのうち救急車の音が聞こえてきた。

 だがやってきたのは救急車だけではなかった。先に救急車が公園内部に侵入し、あとから警察車両が駐車場に来るのが見えた。

 最終的に集まったのは、男を目撃した若者が一人、扉を開けようと取り掛かっていた用務員が二人、そして、救急隊員と警察官の幾人かだ。


「開けられないんですか?」

 年配の警察官がHさんに聞く。ここを開けるための鍵はないし道具もないことを伝えると、警察官は自ら専用工具を取り出した。

「やったことないんですけどね、ちょっと試してみます」

 そう言うと、少しいじってすぐ、「あっ、開いた開いた!」と言った。

 よかったとみんなが安堵するもの束の間、次の瞬間には「あれ?」と警察官が不審の声をあげた。ドアの取手にグッと力を入れるものの、ドアが開かないのだ。

 そのとき、その場にいる全員が、中からうめき声を聞いた。何を言ったのかわからないが、Hさんはそのときの声を、「まるでお経のような感じだった」と話している。


 警察官が二人がかりで取っ手をもちドアを引くと、ドアは何か変な音を立てて勢いよく開いた。

 すぐ後ろで男がドアをおさえているに違いないとHさんは思っていた。

 ところが、そこはもぬけの殻だった。

 広々としたバリアフリートイレの中には、誰もいなかったのだ。

 みな唖然とした。

 中を調べるも、隠れられる場所はないし、窓は開ききらない仕組みのため、そこから出ていくこともできない。

 どういうことだろうか。

 確かに、中に男がいたはずなのに。声だってみんな聞いているのだから。

 しばらく調査や考察は続いたものの、誰しもが、何が起きたのか全くわかないでいた。


 ただ一つの可能性──

 男はそもそも、生きた人間ではなかった。

 と、それを除いては。


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