第28恐怖「浮かぶあなたは」


 君の家は訳あり物件だ、なんて、言いづらいですよね──

 苦笑しながら、Mさんはそう話す。

 彼は友人の住むマンションが訳あり物件だと気づいているのだが、そこで暮らす当の本人はまだ何も知らないという。

 ではなぜ、Mさんがそんなことを知っているのか。

 彼はそのマンションでの奇妙な体験について語ってくれた。


 あるとき、Mさんはその友人の部屋へ遊びにいった。黒く煤けた古いマンションで、友人の部屋は四階にあった。

 一晩中ゲームをして終電がなくなり、泊まることとなった。

 ソファに横になったMさんは、思いのほかすんなり寝入ることができたという。


 いつの間にか夢を見ていた。

 ぼんやりして曖昧だったが、Mさんは青空をのびのびと飛んでいるようだった。翼はないが、両手を広げてうまく風に乗れている。

 たいていこのような夢では、徐々に低空飛行になっていき、そのうちまったく飛べなくなる。だがこのときは違った。風は止むことなく、Mさんをどこかへ運んでくれた。

 長いような短いような不思議な時間が経って、ふと、Mさんは自分の頭上に目をやった。

 と、すいぶん上のほうに、見知らぬ誰かの顔が浮いており、目が合った。若い女性で、青白い顔だった。

 Mさんはなぜか胸が悪くなり、気持ち悪さで目を覚ました。起きると汗をびっしょりかいていることに気づく。鼓動は早い。

 その後はなんだかうまく眠れなかった。妙にそわそわして落ち着くことができなかったのだ。


 それから幾日か過ぎ、ふたたび友人の部屋へ遊びにいった。

 すっかり同じゲームにハマり、また一晩中友人とプレイした。やはり泊まることになって、ソファに横になると、Mさんは再びあの夢を見た。

 何もかもが同じだった。

 風に乗って空を飛ぶMさん。その上には、浮遊する青白い顔。目を覚ますと汗をかいており、その後は眠れない。

 そんなことが、一度や二度ばかりでなく、その友人の部屋へ遊びにいくたび必ず起きた。自宅や他の人の家では起こらないし、昼寝でもしたものならやはりその夢を見る。

 何かおかしい。普通じゃない。

 Mさんはそのように思い始めていたが、友人宅へお邪魔するのを辞めなかった。なんなら中毒のように、その夢を求めるようにすらなっていたという。


 そんなある日のこと、Mさんがマンションのエレベーターに乗り込むと、そのあとから女性が乗ってきた。

 顔を見た瞬間、心臓が大きく跳ね上がった。

 あの顔だ。あの、空に浮かぶ顔。

 エレベーターが上がっていく最中、気が気じゃなかった。

 女性の顔は青白くないし少し老け込んでいる気がするものの、確かに、夢で見るのと同じだ。勘違いではない。

 毎回見るあの夢が、まさか予知夢のようなものだったとは。


 Mさんは四階で降りたが、女性はそのまま上へあがっていく。おもわず表示板を眺めていると、エレベーターは最上階でやっと止まった。

 衝動的に、Mさんは再びエレベーターを呼んで乗り込むと、同じく最上階を目指した。

 エレベーターから降りて、何をしているんだろうと馬鹿馬鹿しく思った。これではストーカーではないか。

 廊下を見渡すが、もちろんあの女性の姿はない。

 だがそのとき、かすかに、どこからか風が吹き込むのを感じた。

 つられるようにその源を辿ると、屋上への階段を見つけた。

 突き動かされるものを感じ、Mさんはその階段を登った。


 屋上に出る扉は、わずかに開いていた。鍵穴には鍵がささっている。誰かが屋上へ上がったのだ。

 扉の前に立ち、おそるおそる隙間から外を覗く。

 広々とした屋上は薄汚れていた。何かわからないがうっすらと異臭が鼻をつく。

 と、角のあたりにあの女性が立っているのを見つけた。

 ぼうっと突っ立っており、何をしているのかとよく見てみれば、頭を少し垂れて、手を合わせていた。その足元には、花束やぬいぐるみのようなものが置いてあった。

 驚愕だった。


 Mさんはそのとき初めて、自分は夢の中で空を飛んでいたのではなく、落ちていたのだと、気づいたのだった。

 そして、宙に浮かぶあの顔は、今まさに屋上に立つこの女性の若かりし頃なのだ、と。

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