第51恐怖「エキストラ」

体験者:にぎりこぶしさん


 役者をやっていた頃の話。

 小さな俳優事務所に所属していた俺は、新人時代、とある恐ろしい体験をした。

 それは、ホラー映画にエキストラとして出演したときのことだ。


 俺は同じ事務所の仲間たちと合わせて五人で、ホラー映画の撮影に参加することになった。

 撮影現場は、地方にある湖に面した廃ホテル。


 通常、撮影現場が都内から離れている場合は、制作会社が用意した車で現場まで向かうのだが、俺たちは、所属事務所が所有するロケ車のハイエースに乗り合わせ、みんな一緒に現場へ向かった。


 まだ暗い早朝から出発し、数時間後に到着した。

 廃ホテルはそれらしい不気味な雰囲気を醸し出していた。空が曇っていたせいもあるのだろうが、建物やすぐそこの湖は、陰鬱な気配が漂っている。


 とはいえ、市の観光課が撮影場所として管理・提供しているためか、建物の中は比較的きれいだった。美術スタッフや大道具スタッフが、たくみにホラー仕立てに装飾しているようだった。


 俺らは大量にあふれかえったゾンビの役だった。ゾンビメイクは、下地をメイクさんにやってもらい、血やアザなどは自分たちでメイクアップした。なにぶん人数が百人近くはいたので、スタッフが足りないのだ。


 撮影はその日のうちに終わる予定だったが、夜になって、機材のトラブルにより撮影が中断されてしまった。


 一般募集から参加したエキストラの方々は、そのタイミングで解散することとなった。しかし、俺らのような俳優事務所に所属している役者たちは、その後も現場に残った。五十人前後はいたと思う。メイクを落とせないまま、控室がわりの大ホールで待機となった。


 結局、日を跨いでもトラブルは解決されなかった。そもそも電源に問題があるようなのだ。

 撮影スタッフは工夫をこらしながら、残ったバッテリーで動かせる機材を使ってちまちまと撮影を進めていたが、結局、予定していたシーンの全てを撮ることは叶わなかった。


 最後には深夜一時を過ぎていたと思う。ついに、撮影は断念された。

 メインキャストの方々は、おそらく近くのホテルに泊まるのだろう、メイクを落として私服に着替えると、そそくさと帰られた。


 一方でエキストラ勢はというと、そのまま待機するほかなかった。終電はとっくにないし、スタッフは片付けや翌日の準備で忙しいので、ロケバスを稼働させるにもまだ時間がかかるのだ。


 しかし、俺ら五人には事務所のハイエースがあった。

 着替えを済ませ、夜食用に用意されたお弁当をスタッフさんから受け取り、俺らは東京に帰るため車に乗り込んだ。


「すみませーん、この車って、×××プロモーションの方々ですよねー?」


 エンジンをかけてすぐ、運転席の窓を制作スタッフさんがノックし、声をかけてきた。


「そうですけど、どうかしました?」


 運転席の俳優Yが、すぐに窓を開けてこたえた。


「いやー、めっちゃ申し訳ないんですけどね、車にほかの人も乗せていけたりしませんか? ロケバスが一台減っちゃってて、こっちに何人か乗せてくれると助かるんですけど……東京に戻られる方を二、三人でもいいんで」


「全然いいっすよ。このハイエース、最大十人乗りで、僕らが五人なんで、あと五人いけます」


「マジっすかー、めっちゃ助かります! じゃ、ソッコーで呼んできますんで!」


 そう言ってスタッフさんがホテルに戻ってすぐ、ぞろぞろと五人の役者たちが車に近づいてきた。


「あ、この車ですか? 乗って大丈夫です?」


「うん、どうぞどうぞ!」


「失礼しまーす」


 五人は疲れた様子で、それぞれ車に乗り込んだ。そのあとから、さきほどのスタッフさんが段ボールを抱えて小走りでやってきた。


「これ、夜食なんで。ちょうど五人分ね!」


 そう言って段ボールを車内に置くと、おつかれっしたーと威勢よく挨拶して、その場を後にした。


「じゃ、いきますかー」


 車は、黒々と横たわる巨大な湖に沿って、走り出した。

 しかし、ほんのすぐあとで、突然エンジンが停止してしまった。とある短いトンネルを抜けたときだ。


「あららー、エンストだ。なんでだろ……」


 Yが嘆息をもらした。

 車はうんともすんともいわなくなってしまった。原因は不明だ。


「仕方ないですね、こりゃ」


 違う事務所の年配の役者さんがため息をついた。


「この際、ここで仮眠でもとりますか」


     *


 どのくらい経っただろうか。

 俺が助手席で寝入っていると、突然、エンジンのかかる音が聞こえてきた。


「ようし、きたきたー」


 隣を見ると、Yがハンドルを握っている。


「みなさん、そろってますかー? 外出た人、戻ってきてるかな?」


 どうやら、エンジンは完全に復活したようだ。

 俺は車内を見渡して、人数を確認した。


「七、八、九……あれ、一人いないなぁ。トイレか、タバコかな?」


 後部座席にひとつ空きがあった。

 外を見たところ、近くには誰もいなさそうだ。やはり用を足しに出たのだろうか。

 ──ところが。


「いや、揃ってますよ」


 年配の方が、そう言った。

 その方は、ちょうど空いている席の隣に座っていた。


「え? 隣の人、戻ってないじゃないですか」


 俺はその席を指差して言った。


「おかしいな……」


 年配の方は首をひねって唸る。


「たしかに最初は十人いた気がしますけど、でも私の隣はずっと空いてましたから、やっぱり最初から九人だったんじゃ……」


「いやいや、十人ですよ」


 Yが反論する。


「さすがに寝ぼけすぎですよ、まったく。あなたの隣にいたでしょ? 女性の方が」


 途端、車内に変な空気が流れた。

 女性……いたような、いなかったような……

 記憶を辿ってみるも、なぜか曖昧だ。でもやっぱり、人数は十人だったはず。


「でも女性なら立ちションってわけにはいかないですよね。そこらへんにいるんじゃないかな。タバコでも吸ってるとか。ちょっと外見てきますよ」


 俺は車を出て、ケータイの明かりで辺りを照らしながら、その女性を探した。

 すると、前方に、ぼんやりと光が見えた。


「あっ、いたいた!」


 暗くてほとんど見えないが、向こうから女性がとぼとぼ歩いてくるのがわかった。十人目にちがいない。


「おーい、もう出発しますよー!」


 俺は大きく手を振り、そちらへ歩み寄った。

 と、そのときだ。


「おい止まれ!」


 突然、背後からYの叫び声があがった。

 びっくりして振り向くと、運転席の窓からYが身を乗り出していた。


「あぶねえ! おちるぞ!」


 ハッとして立ち止まり、足元を見てゾッとした。もう一歩踏み出していたら、湖の堤防から真っ逆さまだったのだ。


 では、あの女性は──


 顔を上げた瞬間、女性の姿は、煙のようにフッと消えた。

 彼女が立っていたそこは、完全に、湖の上である……。


 その後、九人のままで車は出発した。結局、最初から九人だったと結論づけたのだ。女性など乗っていなかった、と。

 しかし、それは間違いだ。女性は確かに乗っていた。そして、トンネルを抜けたところで降りたのだ。降りて、湖の上を歩いていったのだ。


 俺がその話をすると、車内のみんなは一様に凍りついた。何人かは同じように女性の姿が見えていたらしい。だから、みんな俺の話を信じてくれたのだった。


 あの女性は、一体なんだったのだろうか。


 湖で亡くなった人か、あるいは廃ホテルで亡くなった人なのか。俺らは車内では黙っていたが、たぶんみんな、帰ってからもそのことで頭がいっぱいだったと思う。


 ちなみに、映画はお蔵入りとなった。あの夜に撮った映像データのほとんどが損傷していたそうだ。

 俺は、どうしても、単なる機材の問題だとは思えなかった。



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