第44恐怖「一日でバイトを辞めた話」

 体験者:ぶいぶいさん


 東京の某商店で、配達のアルバイトを始めた日の出来事。

 バイト初日、アルバイトの仲間たちと挨拶を交わして、先輩から配達の一連の流れを軽く教わった。聞くかぎりは簡単そうだったが、実際のところ慣れるまではかなり大変だという。

 配達は基本的に一人で行うものだが、新人のうちは先輩と一緒に品物を届けることになり、完璧に作業をこなせるようになるまでは、先輩が付きっきりになるとのことだった。


 さまざまな説明を受けながら、俺は先輩に付いて家々をまわった。都内の入り組んだ地域のため、車やバイク等は使わない。自転車はたまに使うらしいが、たいていは徒歩での配達だ。お客さんはほとんどが地元の常連さんで、慣れてしまえば家の場所がわからないというケースは稀とのことだった。


 しかし、複雑に入り組んだ住宅街は、家の所在がわかりにくいため、慣れないうちは家を探すのにとても時間がかかるということだった。時代もあると思うが、当時はケータイで調べてもうまくいかないことがあったのだ。

 なんとか、午前中の配達は順調に終えることができた。


 午後になって、新規のお客さんに届けなくてはならない荷物があった。

 家はやはり入り組んだ住宅街にあるらしく、たとえ仕事に慣れている先輩でもどの建物だか簡単にはわからないとのことだった。もちろん区画はわかるのだが、ピンポイントで家を探し当てるのは難しいのだ。


 なかなか見つからず、結局、時間指定のなかったその届け物は後回しとなった。

 そうして、ほかの品物をすべて届け終えてから、夕刻、再びその品物の届け先を探すことになった。


 住所を確認しながら、先輩と一緒に区画の家々をまわって配達先の建物を探した。

 とある狭くて曲がりくねった道を前にした時、俺はその手前で待機することになった。


「わるいけど、ここで待っててくれる? この地図でも覚えながらさ」


 先輩はそう言って俺に大きな地図を渡すと、コンクリートブロックに囲まれた狭い道を進んでいった。道の先には古びた家がごちゃごちゃと立ち並んでいて、夕陽に包まれたそれらは、どこか陰鬱な雰囲気が漂っていた。


 先輩はなかなか戻ってこなかった。俺は配達に使う地図を睨むのも飽きてしまい、ケータイをいじっていた。

 しばらくして、奥のほうに見える古びた家の窓に、人影を見つけた。


「あれ……もしかして、あの家か?」


 ここからではよくわからないが、人影は大きく手を振っているように見える。

 とっさに、俺はペコリとおじぎして、聞こえないとわかりつつも、


「いま、行きまーす」


 と声を張り上げた。

 さて、どうしたものだろう。道を進んで先輩を探すか、ここで待つか……

 窓をもう一度見ると、人影はさらに大きく、すばやく手を振っている。


「なんか、怒ってるっぽいな。行くか」


 俺はため息をつき、入り組んだ道を進んだ。

 その家はすぐに見えなくなってしまい、どのへんに位置しているのか掴みづらかった。俺は何度か曲がるほうをまちがえ、ちがう家に行き当たるなどした。しかし、ときおりチラリと見えるその建物に、だんだん近づいているのがわかった。

 と、前から先輩が歩いてきた。あれっと声をあげた先輩に、俺は聞いた。


「先輩、もう荷物届けました?」

「いや、結局わからなかったけど、どうした?」

「俺、見つけたんですよ。あそこの家です。住人が窓から手振ってたんです」


 しかし、先輩は顔を曇らせた。


「あれか? いやいや、あれは空き家だったぞ。ボロボロだし、入れないようになってた」

「え? でも……」


 納得がいかず、俺は少し道を進んで、その家の窓が見える位置に出た。


「あっ、ほらっ、まだ手振ってますよ!」


 建物を見上げると、やはり窓の人影は大きく手を振っていた。さきほどよりも激しく、明らかに怒っているように感じられる。


「ええ?」


 先輩はいぶかしみながら俺の近くに立って、同じように建物を見上げた。

 と、先輩の顔が青ざめるのがわかった。


「ばか!」


 先輩はそう短く発すると、俺の腕を掴み、慌てて道を引き返した。息が荒く、何度も建物を振り返った。


「なんすか、どうしたんすか!」

 慌てて聞くと、


「お前、目わるいだろ?」

 と、震える声で先輩が言った。


「あれな、手振ってたんじゃねえよ。こうさ、頭を横にぶんぶん振って、そんで長い髪がバッサバッサと……どう見ても、生きた人間じゃなかったぞ……」


 その道を出てから、ふたたび建物のほうを見ると、人影はすっかり消えていた。


 その後、注文者から電話で連絡が入り、住所の記載が間違っていたことが判明した。先輩は、あらためて正しい住所へ届けるから、また明日よろしくなと俺に言った。

 しかし、俺は次の日のバイトを休んだ。そして、二度と行かなかった。

 だって、先輩、


「あんなことは、よくある話だよ」


 なんて言うんだぜ?


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