第43恐怖「声をかけてくる女」

 体験者:パレオ女子さん


 高校生のときに体験した、ゾッとする話。

 私は、町外れの山すそにあるY高校に進学した。古びた三階建ての校舎で、足を踏み入れた瞬間、胸が変な感じにざわめいた。歴史ある建物だったので、なんとも不気味に感じられたのだ。


 ある日のこと。バレー部の練習が終わり、一人で用具を片付けていた。二年生や三年生はかんたんな片付けをすませるだけでよく、残りを一年生が担当するのが習わしだが、その日は私だけが残っていた。ほかの一年生は風邪で休んでいる子が多く、あるいは塾や習い事などの用事があったのだ。


 片付けが終わり、体育館を出る頃には、ほかの部活はとっくに終了していた。生徒は誰も残っていない。

 私はミーティング室で待機していた顧問の先生と一緒に体育館を出た。先生が体育館の出入り口を施錠し、私たちはかんたんに挨拶をかわしてから別れた。


 早く二年生にあがりたいなーなどと思いながら、体育館から駐輪場に向かっている最中だった。ふと、尿意に襲われた。

 家まで我慢するのはつらい。学校ですませてしまおう。そう思い、昇降口へと歩みを変えた。ところが、すでにそちらの扉も施錠されていた。


 やはり我慢しようかと悩んだが、そうこうしているうちに尿意は限界近くまで迫っていた。どこか外にトイレはなかっただろうか……

 と、そこで、体育館裏の便所に思い当たった。


 体育館裏は荒れていて、雑草が伸び放題だった。便所の建物はなんだかすすけており、壁には亀裂が入っている。こんな汚くて不気味なところ、普段は絶対使わない。

 悪臭を放ち、汚れのこびりついた和式便所に入った。顔をしかめながらも、さっさと用を足してしまう。すばやく事をすませると、私はホッと一息ついて個室から退出した。

 洗面台の鏡は割れていた。なんだか不気味だからあまり見ないようにしよう。そう思いながら手を洗っていると、


 パキパキッ


 私が使ったところの隣の個室から、異音がした。まるで、割れた鏡をふんづけたような音。

 私はビクッと体をふるわせ、そこの扉を凝視した。個室は、私が使った方と音がした方の二つしかない。それまではあまり気にしていなかったが、どちらも最初から戸が閉まっている型だった。あるいは建て付けが悪かったのかもしれないが。


 と、また「パキパキッ」という異音がした。

 もしかすると、大きな甲虫でもいて、そいつが中で暴れているのかと思った。田舎では、虫や小動物が不気味な音の発生源であるケースがしばしばあるのだ。

 どちらにせよ、私は怖がりだったので、すぐさまトイレから退出しようと出口へ向かった。

 そのときだった。


「ちょっと……」


 ──女性の声。か細く、かすかに震えている。

 反射的に、勢いよく個室を振り返った。気づかなかったが、その個室の戸には鍵が掛かっているらしい。まさか、私のほかに人がいたなんて。


「ちょっと……」


 ふたたび声がした。まちがいなく私に声をかけている。

 そのとき、恐ろしい想像が私の頭の中を駆け巡った。いわゆるお化けではないかということだが……それと同時に、「まさかそんな」という考えもあった。


 私はその場から動けずにいた。もし、私と同じように誰かが残っていたのだとしたら、何も言わずに去るのはどうだろう。でも、なんと声をかければいいのか……頭のなかでは無数の言葉がぐるぐると回っていた。

 すると、個室の中の女性がこう続けた。


「ちょっと……助けてもらえませんか……?」


 助ける……というと、何か困っていることでもあるのだろうか?

 やはり、生徒か教員が残っていて、トイレットパーパーか何か必要なものが手元に無いのかもしれない。私は自然にそう考えた。

 私は肩にかけたスポーツバックの中に手を突っ込みながら、個室へと歩み寄った。


「ちょっと……助けてもらえませんか……?」


 女性は繰り返しそう言った。私はバッグをあさりつつ、何を手伝えばいいですかと声をかけようとした。

 が、その瞬間。


 ゴリゴリ、ゴリゴリ……


 妙な音がした。

 最初は何の音かわからなかった。しかし、耳をすませたとき、それが戸を爪で引っ掻く音だとわかった。


「ひっ──」


 私は悲鳴を押し殺した。やはり、中にいるのは普通の女性ではない。直感的にそう思った。

 私は震える足で、慎重に、音をたてないように後ずさった。その間も、戸を引っ掻く音は続き、女性は私に声をかけてきた。


「ちょっと……」


 ゴリゴリ、ゴリゴリ……


「助けてもらえませんか……?」


 ゴリゴリ、ゴリゴリ……


 次第に、引っ掻き音は力強さを増していった。私は緊張しながらも、やっとのことで出口まで後退した。しかし、床に散っていた割れた鏡の一部をふんづけてしまった。その瞬間、パキンという音が、いやに反響した。

 と、爪の引っ掻き音がはたと止んだ。


 まずい──!

 強烈に嫌な予感を覚え、おもわずトイレから飛び出した。そうして、振り返ることもなく、私は全速力で駐輪場まで駆けたのだった。


 その夜、私はベッドに横たわりながらも、目を閉じることができなかった。謎の女性の声が私の頭を支配しており、その正体は何だろうと考えがめぐった。

 遅くまで残っていただけのちょっと変な人か……あるいは……考えたくもないような存在なのか。

 生徒間の噂を調査したり、長く勤務している教員に話を聞いたりすれば、もしかすると何か分かるのかもしれない。しかし、私にそんな勇気はない。


     *


 太陽が顔をのぞかせ、薄暗くも青白い光が部屋に差し込む時間になった。

 尿意を感じた私はトイレに足を運び、その扉を見つめた。しかし、扉は鍵で施錠されている。家族が入っているのだろうか? ところが、中からあの声が聞こえてきた。

「ちょっと……助けてもらえませんか……?」


     *


 例の体験のあと、そのような夢で飛び起きることが何度もあった。

 それほどのトラウマ体験なので、私は体育館裏のトイレには二度と近づいていない。


 あの声の主は果たして何者だったのか……私はその答えを知ることなく、高校を卒業した。社会人になった今でも、ときどき、声をかけてくる女の夢を見る。

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