第4恐怖「びっこ」

 Mさんが小学五年生のときの話。


 当時、Mさんは母方の実家へ行くのをいつも楽しみにしていた。祖父母は毎回お小遣いをくれるし、めったに行くことのない外食にも連れていってくれる。それに、祖父母宅にはMさんにとって珍しいものがたくさんあり、敷地も広くて冒険には事欠かない。好奇心旺盛のMさんには、娯楽施設のように感じられたということだ。唯一ネックなのは、車で片道三時間もかかる遠い田舎にあるということくらいだった。


 冬の連休中のこと。Mさんは母親と弟と三人で祖父母宅を訪れた。

 到着するや否や、Mさんは我先にと家の中にお邪魔し、祖父母と挨拶を交わしてから、いつものように好き勝手に遊び始めた。

 弟はといえば、乗り物酔いが激しいため、広い和室の客間でひとり横になって休んでいた。


 しばらくしてお茶にしようということになった。それはMさんの楽しみにしていることのひとつだった。旅行好きの祖父母は、このときのために珍しいお菓子をお土産として保管しているのだ。


 弟もお菓子を楽しみにしているはずだったが、呼びかけても部屋から出てくる気配がなかった。

 Mさんが客間のふすまを覗き込むと、弟は部屋の隅で三角座りをして震えていた。


「まだ具合わるいのかよ?」


 Mさんがいうと、弟は静かに首を振った。それから、意味ありげに縁側のほうへ目をやった。弟とは反対側に位置する縁側は、障子戸のひとつが開いており、庭の風景が見える。


「なんだよ?」


 Mさんが眉をひそめると、弟は、


「知らないおじさんが庭を行ったり来たりしていて怖い」


 そう言うのだった。

 しかも、そのおじさんというのが、明らかに不審な様子で、片足をひきずっているのだという。


「ほら!」


 と弟が指をさした。

 Mさんには何も見えなかった。


 馬鹿馬鹿しく思い、障子をぜんぶ開け放った。庭が一望できたが、あたりに人はいない。


「怖いなら早くこっちこいよ」


 Mさんは弟の手をとって居間へと連れていった。


 その後も、弟は一日中、びくびくしていた。

 Mさんは遊びに夢中になって、特に弟のことを気にかけなかった。

 その夜、祖父母は二階の寝室へ、Mさんと母、弟は、いつものように客間に布団を敷いて寝た。


 川の字の真ん中に寝て、弟はようやく安心したようだった。Mさんも遊び疲れて、一度も目を覚ますことなく、朝までぐっすり熟睡できたという。


 ところが、翌朝。

 Mさんが目を覚ましたとき、まぶしい光が客間に差し込んでいた。母と弟の姿はなく、台所のほうからうっすらと話し声が聞こえた。時刻を確認すると、すでに十時をまわっている。ずいぶん長く眠っていたようだが、なんだか頭がぼんやりしていて少し寝足りない感じがした。


 ふらふらと洗面所へいき、顔を洗っていると、台所のほうから「おはよう」と母がやってきて、Mさんにこうたずねた。


「もう、痛くない?」


 何を言っているのかわからなくて聞き返すと、母のうしろから祖母がこちらを覗き込んで、「あら、大丈夫そうね」と言う。

 Mさんには何の話か見当もつかない。


 すると母は不思議そうにして、「なに、覚えてないの?」と言うのだった。

 さっぱりだった。話が見えない。


「昨日、あんなに大騒ぎしてたのにねえ」

 祖母が言った。

「だから何の話だよ?」

 Mさんが聞いた。すると母は腕を抱えて答えた。

「あんた、昨日の夜中にとつぜん、『痛い痛い痛い痛い』って、脚を抱えて騒ぎ出したんだよ」


 ──まったく覚えがない。脚も痛くないし、夢すら見た覚えがない。

 何も問題がないので、Mさんは別段気にならなかったが、居間へ来て弟と顔を合わせたとき、ぎくりとした。


 弟は、〈だから、言ったでしょ〉と、そのような表情を浮かべたのだ。


 瞬間、Mさんの頭に、足をひきずるおじさんのことがよぎった。

 気を遣ったのか、弟はそのことについて特に何も言わなかった。母や祖母も、悪い夢を見て寝ぼけていたのだろうということで、それ以上話題にしなかった。


 以来、Mさんと弟は、祖父母宅へ遊びに行く頻度が激減した、という。


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