第33恐怖「死招き猫」


 ここ最近の話だ。


 僕は毎朝、そして毎夕、高校の登下校の途中で、通行量の多い踏切を渡る。ある日の夕暮れ、遮断器が閉じられたまま、なんだかいつもより長い時間が経過し、かなり混雑する状況となった。


 部活動を終えた疲れと待ちくたびれが重なり、ため息がこぼれた。しかし、そんな気持ちも、遮断機の向こうの線路上でとあるモノが手招きしていることに気付いたその瞬間、あっという間に吹き飛んだ。

 それは、ガリガリに痩せ細った猫だった。


 周りを見渡すと、だれもかれもスマートフォンをいじっていて、猫の存在には気づいていないようだ。

 僕は線路上の猫を観察した。自動で動くおもちゃの招き猫のようにも見えたのだが、どうやら本物の生きた猫らしかった。僕がいる側へ手招きする緩慢な動きは、独特の色気めいた気配を放ち、その瞳は、夕焼けを反射して怪しげに光っていた。


 やがて僕は焦りを感じてきた。早くそこからどいてくれ、逃げてくれ。そう胸の内で訴える。なんで誰も気づかないんだろう。


 僕がなんらかの行動を起こすまでもなく、猫は猫たる警戒心と身体能力を披露するかと思われた。しかし、一向にそこから動かない。そしてまた僕も動けなかった。猫をそこから移動させるための具体的な行動に出るには、厄介な気恥ずかしさを抱えていたのだ。


 と、モヤモヤしているうち、僕の近くにいたおじさんが遮断機のほうへ駆け寄った。おじさんはかなり焦った様子で、何事かをぼやきながら、猫を助けようと遮断機をくぐった。


 アッと思い、僕はおじさんを止めようとした。おじさんが遮断機をくぐるのとほぼ同時、おそらく急行であろう電車が、凄まじい勢いで姿をあらわしたのだった。


「あぶないっ!」


 誰かが声をあげた。まさにその瞬間、電車が勢いよく通過し、招き猫とおじさんの姿は轟音が響くのと同時に消えた。


 結果からいえば、おじさんは無事ではなかった。が、命は助かった。

 おじさんは猫を助ける直前で電車に気づき、踏切の向こう側に身をかわそうと急いだらしい。しかし、体をほんの少し電車にひっかけたようだ。おじさんは怪我を負った様子で、うずくまったままほとんど動けず、その場で呻いていた。


 周りにいた人々のうち数人がおじさんを安全な場所へと介助し、とり囲んで心配そうにした。他の人々は何度も振り返りながら、帰路についた。

 僕はというと、踏切を渡れないままそこで呆然と突っ立っていた。事故と招き猫との因果関係について、ぐるぐると嫌な考えが渦巻いていた。

 しばらくして救急車が駆けつけた。

 僕は我に返って、その場から立ち去った。


 それからも、僕はその踏切を利用した。

 招き猫のことは僕だけの秘密のような存在となり、毎日踏切を通るたび、その姿を見つけようとした。


 事件からしばらく経った朝。僕はいつのものように踏切の前で電車が通過するのを待っていた。僕の隣にはスーツを着た中年男性がいて、焦ったように腕時計を見つめており、その瞳には疲労が滲んでいた。僕が横目に見ていることに気づいた男性は、口の端に苦笑いを浮かべた。気の良さそうな人だった。


 ふと、何かに気づいたように、スーツの男性が踏切に目をやった。誘われるようにその視線を辿ると、線路上にあの猫がいた。ガリガリに痩せ細った、手招きをする猫。


 ──と、僕の思考が本格的な活動を始めるよりも早く、スーツの男性が素早く踏切に駆け寄った。そのまま遮断機をくぐろうとする。


「あぶない!」


 僕は声をあげた。「電車! 電車きてますよ!」


 しかし、彼が止まる様子はなく、遮断機を持ち上げた。


「あぶないってば!」


 慌てて、彼を止めようと駆け寄った。強引にでも止めようと手を伸ばし、スーツの裾を掴み、思い切り引っ張る。男性はバランスを崩し、尻餅をついた。


 その瞬間だった。轟音とともに、急行電車が通過していった。強烈な風が頬を打ち、心臓がどきどきと鳴り止まない。

 電車が過ぎると、警報音がはたと止み、遮断機が上がった。


「危ないって言ったじゃないですか」


 僕が語気を強めて言うも、スーツの男性はまだ唖然としていた。それからふと我に返ったように、


「あれ、さっきの女の人は?」


 と言った。

 女の人──?

 その言葉に、僕は全身が硬直して、背に鋭い悪寒が走った。まるで冷たい刃をあてられたみたいに。


「無事だった……ってことだよね? どこいったんだろう?」


 彼はふらりと立ち上がって、戸惑いを残したまま僕にそう言うと、苦笑した。


「女の人……のことはわからないです」


 僕は心細く答えた。それから一言付け加えた。


「でもあのう、猫ならいましたけど……」


 しかし彼は、猫など見ていないし、どうでもいいというのだった。それよりも、線路の中央に若い女性が立っていたのだと……。


 そのとき、僕は恐怖と混乱のなかでひとつだけ確信を得た。あれはただの猫なんかではない。決してちがう、と。


 以来、その踏切では細心の注意をはらうようにしているし、友人には危ないから使わないほうがいいと話している。


 絶対に近づかないよう、


「女の霊にあの世へ連れ込まれる」


 なんて怪談話とともに。

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