オノゴロさまの家(3)

 部屋には電気ケトルが備えつけられていて、リアが手ずから紅茶を淹れてくれた。


 お茶の用意ができると、リアは器用に右足だけで立ちあがり、ベッドにどさりと横たわる。

 ぼくはそのときはじめて、リアは左足が不自由なんだと知った。


「はしたなくてごめんね。これが一番楽だから」

「おかまいなく。ってか、もっとこう……お手伝いさんとかいっぱいいるのかと思った。こんなに広い家だし」

「んー、昔はいたみたい。今は通いのハウスキーパーさんと、お父さまのヘルパーさんがいるくらいかなあ。うち、もうだいぶ落ち目なんだよね」

「邪悪な金持ちじゃなかったの?」

「んふぅふ、悪は滅びる定めなのだよ。実際、昔は土地とか会社とかいろいろ持ってたらしいんだけど、今はもうほとんど残ってなくて。先の見通しは暗いんだ。鴻兄さんも、婚約者に逃げられちゃったしなあ」

「え。なにそれ」

「うち、新上あらかみのほうに総合病院を持ってるの。残り少ない事業のひとつね。で、そこの女医さんと鴻兄さんがいい仲だったってわけ。洲本すもとさんっていう、精神科医の先生」

「逃げられちゃったっていうのは?」

「実家に帰っちゃって、もう戻ってこないつもりっぽいんだよね。少し前に、入院患者が暴れる騒ぎがあったらしくてね。そのとき患者にケガさせられたのがショックだった……とかなんとか」

「ふうん」


 なんていうか、どこも大変なんだなあ。


 話がふっと途切れたその瞬間、ぼくはふと、トイレに行きたくなった。


「ごめんリア、トイレ貸してもらっていい?」

「ああ、案内するね」

「いいよ、悪いよ」


 と、ぼくが遠慮するのも聞かずに、リアはするりと車椅子に乗りこんでしまった。


「いいからいいから。うち、増改築くり返してるせいでわかりにくいんだよね」


 そう言って自室を出ていくリアに、ぼくは黙ってついていく。

 確かにリアの言うとおり、神代家の屋敷はだいぶ入り組んだ構造をしていた。廊下はやたら何度も折れ曲がっているし、その左右には、似たような障子しょうじふすまの部屋がいくつもいくつも並んでいる。

 キッチンや浴場の入り口を通りすぎた先、屋敷の一番奥のどんづまりにトイレがあった。駅にある多目的トイレみたいに広くて立派だ。


 リアに扉の前で待ってもらい、さっさと用をすませる。

 便器には、しっかりウォシュレットまでついていた。使いなれないそれをいじってみるべきか、ちょっと迷っていると、


 どん。


 足の裏が、床のふるえをとらえた。


 どん。ど、どん。

 どんどんどんどん。


 地震……じゃ、ない。

 伝わってくる揺れに、人っぽさ・・・・があった。

 脳裏に浮かんだのは、床下にいる誰かが、長い棒みたいなもので床をどんどん突きあげているイメージだ。そして。


 ――ぃぃぃいいいぇぇぇええエエエ!!


 絞め殺される寸前のニワトリみたいにしわがれた、女の人の絶叫が、床板をつらぬいて聞こえてきた。

 ぞわぞわっと悪寒に襲われたぼくは、手洗いの水をはねちらかしながら、あわててトイレを飛びだした。

 廊下では、真っ白な顔色をしたリアが床をにらんでいた。


「リ、リア。し、下に、誰か……」

「しっ。わかってる。――こっち来て」


 リアはそう言うと、車椅子を急ターンさせて来た道を戻りはじめた。ぼくは、小走りにその背中を追うしかない。

 自室へ戻ってきたリアは、ひどく疲れたようすで、車椅子の背に体をあずけた。視線を白い壁紙に逃がしながら、ひどく小さな声で言う。


「……あれは……比和子ひわこおばさん」

「え?」

「私が小さいときからずっと、地下室に住んでるの。ちょっと、心の病気があってね……。普段なら、昼間は静かなんだけど、今日に限って、なんで……」

「地下室? でも、それ……」

「問題あるよね。わかってる。でも、しょうがないの。あの人は……オノゴロさまのお嫁さんだから・・・・・・・・・・・・・


 なにそれ? と聞きかえしたかった。

 なのにとっさに声が出なかったのは、その言葉が、なんだかひどく、おぞましい響きを持っていたからだ。

 リアはひひっとヒステリックな笑いのかけらをこぼすと、大きく見開いた目でぼくを見あげた。


「比和子おばさんが死んだら――今度は私の番。もう決まってるの、生まれたときから。次は私がオノゴロさま――オノゴロ童子・・・・・・さまの、お嫁さんになるんだって」

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