籠のひばり(2)

「……」


 ぼくは無言で鴻介さんの顔を見つめた。

 聞きたいことは山ほどある。ありすぎて、いったいなにから聞けばいいのかわからなかった。


「そう怖い顔をしないでくれ。VIP待遇でないのは認める。しかし、住めば都というだろう? 慣れればそこも、そう悪いものではない……らしいよ」

「……住む・・?」


 思わず問いかえした瞬間、口の中がずきりと傷んだ。昨日、顔をぶたれたときに切れてしまったらしい。

 鴻介さんは平然とした顔で水差しの水をコップに注ぐと、格子の隙間からこちらにさし出してきた。透明な水で満たされたコップを見た瞬間、ぼくは猛烈なのどのかわきに襲われて、そのコップをひったくっていた。


「できれば、もう少しまともな食事を用意してあげたかったが」


 と、続いて鴻介さんは、お盆に乗っているカロリービスケットをこっちに手渡そうとする。コンビニでよく売っているやつだ。


「今夜はもう、おつとめの時間まであまり時間がない。こんなもので勘弁してくれ」

「おつとめ、って……?」


 問いかけながら、ひと息で空にしたコップとビスケットを交換する。

 どう考えてものんきに食事している状況じゃないんだけど、それでも空腹には勝てなかった。あの時計が正しいなら、ぼくは、丸一日飲まず食わずだったのだ。

 ばりばりとビスケットにかじりつくぼくをみながら、鴻介さんは悠々と、コップを二杯目の水で満たした。


「リアから聞いていなかったかな。本来、あの子が引き継ぐはずだったお役目について」


 ビスケットを口に運ぶ手が止まった。


「オ――オノゴロさまの、お嫁さん」

「そう、それだ。我が家の屋敷神であるオノゴロ童子さまの無聊ぶりょうをなぐさめ、この奥座敷におとどまりいただくための、大切な役目さ。ほら、君の後ろ……あの箱の中で眠っておられる」


 ぼくは弾かれたように振りかえった。

 通路の蛍光灯がついたおかげで、座敷の全容が見わたせるようになっていた。

 広いだけで、家具らしいものはほとんどない。

 ぼくが寝かされていた小汚い布団のほかは、例の円い明かりの近くに、和紙を貼った紙箱がぽつんぽつんと置かれているだけだ。

 壁は、遠目にもざらざらした砂壁。

 ぼくの、ちょうど真正面の壁の一部がへこんで、いわゆる「床の間」みたいになっている。そこには掛軸かけじく花瓶かびんも飾られていないけれど、代わりに注連縄しめなわがはってあり、いちばん奥にひとかかえほどもある木箱がでん・・と置かれていた。

 木片をパズルみたいに組みあわせた、寄木細工の箱だ。

 遠目から見るかぎりでは、どこがフタなのかもよくわからない。


 リアはなんと言っていたっけ。


 ――この家の地下には、大きな座敷があって――その一番奥の神棚に、オノゴロさまの箱がお祀りされてるんだって。

 ――そしてお嫁さんに選ばれた女の人が、毎晩、オノゴロさまの遊び相手になってあげるの。


「ちょ、ちょっと待って。じゃあ、ここは……リアの家の、地下室? 比和子おばさんが、ずっと監禁されてたっていう……!」

「監禁とは人聞きが悪いが……まあ、今さら取りつくろう必要もないか。君の推測は正しいよ。そこまで理解したなら、おのずと自分の立場もわかるんじゃないかな」


 まさか。

 そんなはずない。だってそれは――ぼくじゃない・・・・・・はずだ。


「昨夜、その檻の住人だった比和子さんが死んだ。心臓麻痺だった。嫁を失ったオノゴロさまは、ただちに次の嫁を――リアを求めた。だがそのとき、リアは君の手引きによって、遠くの土地へ逃げようとしていた。オノゴロさまは、ひどくお怒りになった」


 昨夜、ぼくたちが遭遇した、あれ。

 ぬめぬめとした、得体の知れない闇のかたまり。その中で光る、のっぺらぼうの巨大な頭部と、だらりと垂れた手足――。

 オノゴロ童子。


「オノゴロさまは君たちを追いかけた。捕らえ、この屋敷へと連れ帰った。しかし――そこでなにか、間違いがあったようだ」

「まち……がい」

「自分の腕を見てみるといい」


 あわてて、ぼくはパーカーのそでをまくってみた。

 右腕に、青紫色をしたアザがあった。

 それはくっきりと、人の手の形をしていた。小さい子供の手だ。

 ぼくは思いだす。あのときだ。殴り倒されたリアを助けに行こうとして、オノゴロ童子のまとう闇に腕を突っこんでしまった、あのとき……。


「それは、オノゴロさまに選ばれたあかしだ。まあ……過去には一族以外の女性を外から連れてくることも、何度かあったようだからね。きみも、そういうものだと思われたのだろう。いずれにしても」


 鴻介さんは無感情な声で告げた。


「きみにはオノゴロ童子さまの嫁として、残りの一生を、その座敷で過ごしてもらわねばならない」


 その瞬間、ぼくの脳はフリーズドライみたいに固まってしまった。

 言葉の意味はわかるはずなのに、なにを言われているのか理解できない。


「ウ……ウソだ」

「いいや、残念ながら本当だ。僕らもたいそう困惑している」

「そんなこと、ありえない」

「ありえないのではなく、ある・・んだ。きみが遭遇したモノも、その座敷牢も、すべて現実だ」

「こんなの犯罪だろ! 許されるわけない!」

「そうだね。未成年略取、および監禁――。僕らとしても、ずいぶん余計なリスクを背負いこんでしまった。まったく頭が痛いよ。リアがおとなしくそこに入ってくれれば、なんの面倒もなかったんだが」


 リア。

 そうだ。リアは、どうなった?


「リアは……無事なの?」

「ああ。おかげさまで何事もなく。まったく、我が妹ながらまんまとしてやられた・・・・・・よ」


 やけに思わせぶりな言い方だった。


「それ、どういう意味」

「……さて、そろそろ時間だ。オノゴロ童子さまがお目覚めになる前に、僕はおいとまするよ。おつとめというのは、そこにある玩具でオノゴロ童子さまの遊び相手になってあげることだ。なるべく退屈させたり、機嫌をそこねたりしないよう頑張ってくれ……とはいっても、最初のうちは体で覚えてもらうしかないかもしれないが」

「そんなこと聞いてない! 質問に答えてよ! ねえ!」


 ぼくは座敷牢の格子にしがみつくと、がたがたと揺すった。びくともしない。


「リアは、オノゴロ童子の嫁になっても、監禁されるわけじゃないって……。なにからなにまで話が違うじゃんか!」

「ああ、それか。それはね、ウソをついたんだ」


 ウソ?

 リアがぼくに……ウソをついたって?

 固まってしまったぼくを見て、鴻介さんは片頬をゆがめる。


「あの子はずっと、お役目が回ってくるのを恐れていた。嫌で嫌でたまらなかったんだ。君という身代わりができて、今頃ほっとしていることだろうさ」


 そう言い捨てると、彼は階段をのぼっていってしまった。

 通路の電気が落とされて、ふたたび、座敷は闇に包まれる。天井からぶら下がった電灯の真下だけが、切りとられたように明るい。


「ふ……ふざけるな。開けろよ。開けろ。ここから……出せ。出せ! 出せ、出せ出せ出せ出せ、出せ――――――っ!!」


 ぼくは格子を揺さぶった。平手で何度もたたき、肩からぶつかった。

 それでも、檻は揺るぎもしなかった。


 何分もしないうちに、のどがかれた。

 ぼくは格子にもたれかかり、肩で息をする。

 頭の中で、後悔と恐怖と混乱がぐるぐるぐるぐる回っていた。胃がほとんど空っぽなのに吐きそうだ。


 かた。


 背後で音がした。


 ぼくはゆっくりと振りむいた。

 電灯が投げかける明かりの向こう、壁に掘られた祭壇に目をこらす。

 暗闇の中、箱がゆっくりと開きはじめていた。

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