籠のひばり(3)

 かた。

 かた。かた。かた。


 寄木細工の箱が、開いていく。手も触れていないのに、ひとりでに。

 箱はやたらと複雑な構造をしているようだった。

 中から木の棒が何本も飛びだしたかと思うと、いろんな部品がルービックキューブみたいにぐるぐると回転し、ぐばっと大きく変形する。

 みるみる形を変えていった箱は、最後に、人の両手がなにかを包みこんでいるような形に展開して、止まった。

 暗くてよく見えないけれど、箱の中には、あやとりみたいに無数のヒモが張りめぐらされているみたいだった。その、あやとりのヒモの中心に、なにか黒くてキラキラした、石のようなもの――黒曜石?――が吊られている。


 次の瞬間、「石」から、闇があふれ出した。


 裸電球の照り返しでかろうじて見えていた祭壇のようすも、壁や天井の輪郭も、なにもかもがまっ黒に塗り潰されていく。

 ガスのようにとらえどころがなく、粘土のように重い、闇のかたまり。

 床から天井まで伸びあがった闇は、畳二枚ぶんくらいの広さにふくらんで、止まった。

 ぼぅ、とそ中心に明かりが浮かぶ。

 あの、紫がかった満月だった。

 暗闇で光る深海魚みたいなぼんやりした光が、だらりと垂れる手足を浮かびあがらせる。やせた子供のシルエット。ビニールみたいな質感。


 あ、そ、ぼ。


 満月のほうから、あの声――いや、音がした。

 意味は認識できるのに、何度聞いても、人の声とは思えない。うわべをなぞって、まねているだけだ。

 こいつは人間どころか、ぼくの知るどんな生き物ともかけ離れている。ぼくはそれを、文字どおり肌で感じていた。鳥肌の立った皮膚ひふに伝わる音の振動は、言葉にできないほど異質だった。


 あそぼぉ。


 ず……しゃ。


 そいつは――オノゴロ童子は、畳の上をすべるようにして接近してきた。

 ぼくは無言で後ずさる。


 あそぼ。あそぼぉ。


 すぐに背中が格子に当たる。格子にそって横移動すると、オノゴロ童子も闇のかたまりをともないながら追いかけてきた。


 ず……しゃ。ずずっ……しゃ。


 巨大な質量が畳をこする。

 宙に浮かぶオノゴロ童子じゃなく、そのまわりの闇が音をたてているように思えた。


 あそぼ。あぁそぉぼぉぉ。


「い……嫌だ」


 オノゴロ童子は、中央の明かりへは踏みこまず、明かりのまわりを迂回するように動いた。光が苦手なのかもしれない。

 ぼくは格子から離れ、円い明かりを盾にするように動いた。自分とオノゴロ童子との間にこの光がある位置関係を、常にキープできれば――……。

 いきなり足首をつかまれたことで、ぼくの思考は中断させられた。


「えっ?」


 かたまりから長く伸びた闇が、ぼくの足にまとわりついている。そう気づいたときには畳の上に引きたおされ、勢いよくひきずられていた。


「う、わ」


 悲鳴をあげるひまもない。

 ぼくはそのまま、砂壁にたたきつけられた。

 痛い。それ以上に――息ができない。

 体を丸めて、少しでも痛みを逃がそうとする。のどから息をしぼり出す。

 ひゅ、と空気を切る音がして、ムチのようにしなるなにかが降ってきた。

 肩を打たれる。壁にたたきつけられたときの、にぶい「面」の痛みとは違う、するどく弾ける「線」か「点」の痛みだった。


「いっ……!」


 かはっ、と、自分の意思と無関係にのどが鳴る。


 あそぼ。

 ひゅ。


 ふたたび、風を切る音がした。

 目にはほとんどなにも見えない。それでも、闇の動きを風圧として感じる。

 反射的に顔をかばうと、無防備なお腹をムチが直撃した。今度は、重い痛みが体の奥に沈みこんでくる。

 たまらず、ぼくはさっき食べたばかりのビスケットを全部吐いてしまった。自分の吐いたものから顔をそむけようとしたところに、


 あそぼぉ。

 ひゅ。


 側頭部を打たれた。

 未消化のビスケットの中に頭からたたきつけられる。


 あぁぁそぼ。あぁぁそぉぉぼぉぉぉ。

 ひゅ。

 ひゅ。

 ひゅ。


 滅多打ちだった。

 頭の中で、白や黄色が爆発する。

 ぼくは自分の体がわからなくなった。打たれた瞬間だけは肩や腰の存在を意識できるけど、それ以外の感覚はしびれたような痛みに沈んでしまって、ちゃんと手足がつながっているかもわからない。

 五感はあっという間に塗りつぶされた。わかるのは液体が出ていく感覚だけだ。目からは涙、鼻からは鼻水、口からはよだれ、皮膚からは汗。

 最後にかろうじて残っていた耳の機能が、かろうじて、自分の泣きさけぶ声をとらえた。


「あっ……そぶ……あそぶっ! あそびます……あそび、ますっ……!」


 打撃がぴたりとやんだ。

 闇の中に、ぼくがぜいぜいひゅうひゅうとのどを鳴らす音だけがひびく。

 ぼくが、体に居座る痛みにのたうちまわっている間、オノゴロ童子は不気味なほど静かにしていた。

 津波みたいにぼくの神経をなめつくしていた痛みが、少しずつ引いていく。ぼくはようやく、自分の輪郭を取りもどすことができた。

 ぼくの呼吸が落ち着くのを待っていたみたいに、オノゴロ童子は、


 あそぼ。


 と言った。

 闇が波打つように動いたかと思うと、明かりの近くに並んでいる紙箱のひとつがひっくり返り、中身をぶちまけた。

 円い明かりの中に、キラキラした粒が広がる。

 色ガラスでできた、平べったいおはじき・・・・だった。


 遊ぼう、って……これで?


 ぼくは、のろのろと這いずって、明かりに近づいていった。

 全身を洗う痛みの洪水が去って、今は、体のあちこちに痛みの水たまりができている。ずきずき、ひりひりと焼けつくような、うずくような感覚。口の中は、また血の味がした。

 ぼくの見ている前で、おはじきが勝手に集まり、ふたつの山ができた。山のひとつはオノゴロ童子の側に引きよせられ、ひとつひとつ、畳に並べられていく。

 ぼくが明かりの中に身を乗りだし、そのようすを見つめていると、


 ばちんっ!


 見えないムチが畳を打つ音がひびいた。

 ぼくはあわてて、自分のおはじきを並べはじめた。

 ルールがわからないから、見よう見真似でやるしかない。痛みと恐怖で、滑稽こっけいなくらい手がふるえた。


 ぼくがおはじきを並べおえると、オノゴロ童子側のおはじきのひとつが、ちょん、と見えない手にはじかれて、ぼくの陣地のおはじきに乗った。

 ぼうっと見ていると、オノゴロ童子のまわりの闇が波打ち、重なった二枚のおはじきが回収されていく。

 その間、オノゴロ童子の本体はただ風船みたいに浮かんでいるだけだった。


 ばちんっ!


 また、畳が鳴った。

 ぼくの番だと、急かしているんだ。

 ふるえる指でおはじきをはじいた。ほとんど飛ばない。

 ぼくが自分のおはじきを戻すと、オノゴロ童子はおもむろに自分のターンに取りかかった。そうしてまた、ぼくの陣地のおはじきを強奪していく。


 ゲームは黙々と進行した。

 オノゴロ童子は見えない手をあやつり、ほとんど百発百中でこっちのおはじきを持っていく。対するぼくは……当りまえだけど、一枚も取ることはできない。

 それでも、ぼくは少しだけ安心していた。少なくとも、遊びに集中している間はこいつになぐられる心配はないみたい。


 また、ぼくのターンが回ってきた。

 ぼくがはじいたおはじきは、またしても見当ちがいのところへ転がっていく。ぼくが、おはじきを回収しようと手をのばしたところに、


 ひゅ。


 風切音に身を引くひまもなく、手を打たれた。

 たまらずのけぞったところへ、近くにあった紙箱がミサイルみたいに飛んでくる。僕に命中した箱からは、小さくて硬いカードがまき散らされた。花札だ。


「い……っ!」


 ふたつ、みっつと紙箱が飛んでくる。

 ぼくはたまらず壁際へ逃げようとしたけれど、そこで、さっきと同じように足をすくわれた。

 バランスをくずして倒れた先に、例の格子があった。

 受け身もとれずに頭からぶつかる。目の奥で火花が散って、なにもわからなくなった。

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