籠のひばり(1)

 寒い。

 下から染みこんでくるような冷たさを感じて、ぼくは目を覚ました。


 闇の中に、まるい明かりが落ちている。

 あの紫がかった白じゃなく、オレンジ色をした電球色だ。天井からかさのついた電球が下がっていて、スポットライトのような円形の光を真下に落としているのだった。

 光の中には、なにもなかった。ただ、すり切れてけばだった畳が敷かれてるだけだ。

 光の輪の外は、墨を塗り重ねたように暗い。


 身を起こそうとした瞬間、頭に、割れるような痛みが走った。

 視界がぐわんぐわんと揺れて、とても立ちあがるどころじゃない。


 ぼくは這いつくばったまま、周囲を手探りした。

 体の下に、しけった布団が敷いてある。ぺったんこで、他人のにおいがしみついていた。薄い毛布が何枚か。布団の外は、畳敷きだ。指でふれると、すっかり冷えきっているのがわかる。


 ぼくはミノムシみたいに毛布にくるまったまま、闇の中へ這いだした。畳のふちの線に沿って、手探りで進んでいく。

 すぐに壁かふすまに行きあたるだろうと思っていたのに、なかなか終点にたどりつかない。どうやら、かなり広い部屋みたいだ。二十畳? 三十畳? そんな広い和室に入った記憶なんて、人生で数えるほどしかない。

 頭痛がひどい。目がかすむ。

 そのせいか、なかなか闇に目がなれない。


 っていうか、ここはどこだ。ぼくはどうなったんだ。


 ようやく、行動に思考が追いついてきた。

 切れ切れになった記憶のかけらが、頭の中をサブリミナル映像みたいに流れていく。

 紫がかった地上の満月。光る子供。夜の路地。引き戸に映った赤い影。林の踏み分け道。爆音で通りすぎてゆく赤い車。なぎ倒される車椅子。顔を伏せて泣いていたリア。ぼくの手をなかなか離そうとしなかった、彼女の手。


 困ったことに、記憶と一緒に痛みまでよみがえってきた。

 頭だけじゃなく、全身が痛い。

 右の肩と腰にはにぶい痛みのかたまりが居座っている。どうやら、倒れたときに強く打ったらしい。手の甲や足首にはすり傷。ひりひりと痛む。一番ひどいのは顔で、手でふれた左のほっぺたが、暗闇でもそうとわかるほど腫れあがっていた。

 気を失う前に見た「あれ」はなんだ。リアはどこだ。あれから、なにが起きたんだ。

 なにひとつわからない。痛みのせいで、考えがまとまらない。


 そのとき、指先がようやく畳でないものにふれた。

 角ばった木の感触。柱だ。古い木材らしく、つるつるしている。さらに手で探ると、一定間隔で縦横に木材が組み合わされているのがわかった。

 要するに、木の格子だ。

 かなり大きい。左右にどこまでも続いている。


 頭の中に、絵を描いてみる。暗い畳敷きの部屋。そして木の格子。

 これって。

 座敷牢ざしきろう、ってやつなんじゃないか?

 小さいころ、時代劇好きの母さんに教えてもらったおぼえがある。昔の日本家屋で、扱いに困った家族や病人を、そういう場所に閉じこめていたんだって。


 そのとき、目の前で白い光が炸裂した。

 光が目に刺さる。たまらず目をつぶった。

 しぱしぱ何度もまばたきをすると、焼きついた格子の影がゆっくり消えてゆく。


 蛍光灯の光だった。

 格子の向こう側は、コンクリート打ちっぱなしの細い通路だった。壁は雑に塗られたモルタルで、壁の上のほうを、銀色の換気用ダクトが這っている。

 通路の突きあたりにはスチールのロッカーが据えられていて、その上に、なんの装飾もないデジタルクロックがポンと置かれていた。

 日付と時刻が読みとれる。十二月三十日、午後九時三十二分。

 リアに電話で呼び出されたのは、二十九日の夜だった。じゃあ、ぼくは、丸一日近くも気を失ってたのか?


 ロッカーの反対側は、どうやら上階へ続く階段になっているようだった。

 誰かが、その階段をおりてくる。

 コッ、コッコッ、コッ……。

 やがて姿を現したのは、リアの上のお兄さん……神代鴻介さんだった。手には、水さしとコップの乗ったお盆を持っている。


「やあ」


 鴻介さんは、眼鏡の奥の目を細めた。


「目覚めてくれてよかったよ、志筑ひばりくん。おつとめ・・・・の初日に、なんとか間に合ったようだ」

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