明日に向かって撃て!(4)
「……ばり。ひばり!」
ぺちぺちと、ほっぺたを張られる。
目を開けると、半泣きのリアが至近距離からのぞきこんでいた。
走行中の車内だ。峠道の景色はもう、半分闇に沈みかかっている。
「リア……」
「よかった……。一体どうしたの? 急に気絶したりするから、私……」
「いや……なんて言ったらいいか、その」
「あんたバッカじゃないのッ!?」
大声に驚いて振りむくと、峰子が縫の襟首をつかんで、がっくんがっくん揺さぶっていた。ぼくらの視線に気づいた峰子は、縫の首を指さしながら怒鳴る。
「こいつ、首に靴紐巻いて自分で絞めたのよッ!」
「ゲホッ。ど……どうせ気絶したら力なんて抜けるんだし、死にはしないと思ったんだって。現に死ななかったじゃん。夢は魂のナントカって言ってたからさ、一瞬でも死にかければ、あたしでも近づけるかなーって……」
「バカ。超バカ! 普通に死ぬ可能性もあったじゃないのよッ! あんた、こんなんで死んだらぶっ殺すわよ!?」
「ひと言で矛盾すごくない!?」
とりあえず、大変だったのはわかった。それより、今は……。
「オ、オノゴロ童子は?」
「追ってこない。というか……見失った。ひばりが気を失ったあたりから、姿が見えなくなって……」
と、父さんが言いかけたそのとき、ワゴンをすさまじい衝撃が襲った。
車内の全員が、たまらず悲鳴をあげる。天井がへこみ、めきめきと音をたてた。コントロールを失った車は、ガードレールとの間に火花をあげながら横すべりをはじめた。
窓のすぐ外に、紫色の満月が浮かんでいる。
オノゴロ童子だ。斜面の上から駆けおりて、体当たりしてきたんだ。
顔が……ある。大きく開いた左目と、左右の鼻の穴。右端には、渦を巻くような形の耳の穴がある。ただの穴ぼこが、今では明確に顔のパーツとして機能しはじめていた。
父さんがハンドルをあやつって、なんとか車を立て直そうとする。それでもオノゴロ童子は、脚の爪を車体にがっちり食いこませていて離れない。リアが叫んだ。
「伏せてーっ!」
サイドウインドウに浮かんだ顔めがけ、リアが発砲した。
轟音とともに、粉々になった窓ガラスが飛びちる。
直撃を食らったオノゴロ童子の顔が、ぎゅうっとゆがむ。力まかせに突きとばされた。
車は勢いよく二回転半ほどして、鼻先からガードレールに激突した。
父さんはフルブレーキを踏んでいたけど、それだけでは勢いを殺しきれない。車はガードレールを突きやぶって、道路の外に飛びだした。その下は急斜面だ。コンクリートで固められた法面の下は木が生いしげり、雪が積もっている。
ワゴンは運転席側を下に向けて、斜面をすべってゆく。ブレーキの絶叫。フロントガラスが低木の茂みをなぎ倒していく。
そして、視界いっぱいに雪だまりが広がって――。
にぶい衝撃とともに、車は止まった。
ワゴンは、斜面の
床に固定された車椅子から、リアが投げ出されそうになる。ぼくはそれを受けとめようとして、結局、ふたり抱き合うようなかっこうで転んだ。
シートベルトをしていた父さんと縫、峰子は、ベルトに引っかかって宙吊り状態になってしまった。それでも、三人ともなんとか生きている。
ぼくは、ガラスのない後部の窓から、外をのぞいた。
空が濃紺に染まっている。太陽はほとんど、地平線に消えかかっていた。
わずかに残った紫色の光だけが、斜面を照らしている。そこに、黒々としたオノゴロ童子の巨体があった。ぐらり、ぐらぁりと揺れながら、こっちに近づいてくる。
ぼくは、リアを見た。銃を持っていない。あわてて外へ視線をもどすと、三十メートルばかり離れた、茂みのそばの雪の上に、サベージのシルエットがぽつんとあった。
さっきのどさくさで、窓からほうり出されてしまったんだろうか。
どうする。
どうしたらいい?
頭の中がパニックになりかかったそのとき、オノゴロ童子の動きが止まった。
紫色に戻った満月の下の、コブのようなふくらみが、ボコボコと脈打っている。それは、みるみる上にせりあがってきて……満月の表面を内側から破って、外へ飛びだした。
粘液にまみれながら、雪の上に落下したもの。
それは、人形だった。少女をかたどった人形。すらりとした手足、チョコレート色の髪、そして、首にかけた金色の懐中時計……でも、その形を保っていられたのは、ほんの一瞬だった。
胴体が、飴みたいにぐにゃりとゆがんだ。髪の毛が抜け、腕が溶け落ちる。立ちあがろうと踏んばった脚が、ぼぎりと折れた。
「ああッ……は、早すぎ、た……! こんな、はず、じゃ……アアアア!!」
機械がきしむような金切り声。
メイズさんの断末魔の叫びだった。
次の瞬間、オノゴロ童子の触手がメイズさんに巻きついた。大きく振りかぶって、勢いよく地面にたたきつけ、ごりごりとすり潰す。人形の手も足も顔もなにかもバラバラになり、鎖の切れた懐中時計が雪に落ちる。オノゴロ童子はそれを、脚先の爪で念入りに踏みつけはじめた。
服のそでを引かれた。
リアと目が合う。転んだときに打ったのか、ひたいから血の筋が流れ出ていた。
「ひばり……」
リアが、雪の上に落ちたサベージに目を向ける。
縫たちと父さんは、上向きになってしまったドアからどうにかして脱出しようと四苦八苦している。割れたリアウインドウから脱出できるぼくたちが、サベージに一番近い。
「連れて……行って。あそこまで」
うなずく。
沈みゆく太陽めがけて、オノゴロ童子が勝利のおたけびをあげた。
ぼくとリアは車から這いだし、斜面を走りはじめた。
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