ゲームオーバー(1)

 ぼくらは肩を組んで走った。片脚でけんけんするリアを、ぼくが反対側から支える。

 三十メートルなんて、普段ならなんてことない距離だ。だけど今はそれが、絶望的に遠い。もう体力がほとんど残っていないのを感じた。そうでなくても傷だらけだ。足の裏だってまだ治っていない。


 必死で呼吸する。空気が冷たい。肺が焼けそうだ。


 メイズさんを粉砕する作業に没頭していたオノゴロ童子が、のろりと身を起こした。

 闇の中、紫色の顔が煌々こうこうと光っている。車に組みつかれたとき、リアが撃った五つ目の穴が左耳。メイズさんが開けた裂け目は、六番目──大きな口だ。

 穴ぼこの左目が、ぼくらをとらえた。


 銃との距離は、まだ半分ほどある。遠い。──だとしても。


「行ける……」


 リアがつぶやいた。ぼくも応える。


「うん。行けるよ!」

「行ける……行ける!」


 行ける。

 ぼくたちは……行けるんだ!


 オノゴロ童子が咆哮した。狂った管楽器の音が、ふたたび言葉の形を取りもどす。


 そ……ぼ。

 あそぼ。

 あそぼぉ。


 オノゴロ童子。

 あいつも、ある意味では被害者なのかもしれない。頼んでもいないのに生みだされ、閉じこめられ、いいように使われてきた。あいつには、親も兄弟もいなかった。理解してくれる友達さえも。

 でも、ぼくはあいつに同情はしない。あいつがやったのは、自分の苦しみを、別の誰かを苦しめることでまぎらわすことだった。闇に──檻に──家に閉じこめられていたあいつが選んだのは、自分自身がその闇と、檻と、家と同化することだった。

 オノゴロ童子とあの屋敷、そして鴻介さんとその先祖たちは、みんなまとめて、神代家というひとつの化物だったんだ。

 ぼくは、そうはならない。リアだってならない。

 こんなところは出ていく。行きたいところに行く。どこまでだって、行ってやる!


 リアの指が、サベージの吊り紐スリングをすくいあげた。

 ふたり、転がるようにして急停止する。

 リアがレバーをはね上げた。宙を舞う空薬莢ケース。次弾をこめる。


 雪を踏みわけ、オノゴロ童子が歩きだした。徐々に加速する。


「支えて!」


 リアは脚を前に投げだし、お尻を地面につけたかっこうでサベージを構えた。ぼくはリアの後ろに回って、彼女を抱きしめる。リアが全体重をぼくにあずけてきた。負けじと踏んばる。

 ハッハッハッと肩で息をしていたリアが、フーッ……と細く、長く息を吐きだした。吐息が雲のように尾を引く。

 ぼくの腕の中で、リアの体が、引きしぼられた弓のつるみたいに固くなっていくのがわかった。極限まで張りつめられ、研ぎすまされていく。

 引き締まった横顔。寒さで赤く染まった、白い肌。ヘアバンドがずれて、栗色の髪が風に舞う。


 きれいだ。とても。


 オノゴロ童子が、雪を蹴った。突進してくる。

 できたばかりの口を大きくゆがめて、そいつは歓喜の声をあげた。


 あぁぁぁぁぁぁそぉぉぉぉぉぉぉぼぉぉぉぉぉぉぉぉ!!


 最後の息を吐ききるのと同時に、リアはつぶやいた。


遊びは終わりゲームオーバーよ。──くそガキ」


 最後の銃声が、闇を切りさいた。

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