明日に向かって撃て!(3)

 そこは、土に埋まってしまったはずの、あの地下室に似ていた。

 ただ、赤い。

 天井全体がステンドグラスに覆われていて、そこから降りそそぐ、赤を基調とした光が部屋中を染めていた。

 奥の壁もごっそりえぐれて、祭壇のかわりに、奇妙な機械がそこに埋めこまれていた。ものすごい数の歯車とバネと鋼線ワイヤーがからみあい、何層にも分かれた円盤をゆっくりと回している。まるで、時計の怪物だ。

 その時計の前に、メイズさんが立っていた。


「おかえりなさい、ヒバリ。私の手のひらで、いい夢は見られた……?」


 笑って、手をさしのべてくる。

 反射的に後ずさろうとしたら、かかとが空を蹴った。あわてて振りむと、なにもない。

 座敷の、いちばん外側の畳のふち──本当なら木の格子がはまっていたあたりから、部屋は崖のように切れ落ちていた。下をのぞくと、どこまでも無間の闇が広がっている……いや。ずっと下のほうに一点だけ、ぽつんと小さな光が見えた。

あれが出口か。


 もっとよく見ようとすると、左手を強く引かれた。

 たまらず転ぶ。

 見ると、ぼくの左手首から銀色に光る鋼線ワイヤーが伸び、メイズさんの持っている懐中時計につながっていた。メイズさんはあどけない仕草でその鋼線ワイヤーを人さし指にからめ、くるくると巻く。


「いーとーまきまき、ねじをまき……くるりと回って、もとの場所……クスクスクス。今度は逃げられないわよ、ヒバリ。いえ……今度は、というのは正確ではなかったわね。おまえは一度も、私の手の内から出られたことなどなかったのだから」


 鋼線ワイヤーに引かれて、ぼくは畳の上を引きずられた。メイズさんは軽やかな足どりでぼくに近づいてくると、ぼくの首をわしづかみにし、幼い見た目から想像もできないような力で持ちあげる。


「ヌイに聞いたのなら知っているはずよね? この世のすべては、私の思いどおり。おまえは、いろんなことを自分で決断したつもりだったのでしょうけど……そうしむけたのは、私。渾沌のについて教えてあげたのも、おまえがトンネルに興味を持つよう誘導したのも、すべてはこの瞬間のためだったのよ。希望でぱんぱんにふくれあがったおまえを、最後の最後でどん底につき落とし……最高の恐怖で熟しきった命を、おいしく食べるの」


 メイズさんは、陶器のように輝く歯をむき出して笑った。

 ぼくはなんとかふりほどこうとするけど、細い指も、きゃしゃ・・・・な手足も、びくともしない。


「クスクス。むだよ。あきらめなさい、ヒバリ」

「い……や、だ」


 あきらめない。

 あきらめるもんか。

 もし、ここまでのできごとがこいつの計画どおりだったとしても……心までは自由にさせない。ぼくの心を折るのがこいつの望みなら、折れてなんか、やるものか。


「ねえヒバリ。私はとても、お腹がすいているの。どうせなら、気持ちよく食べられてくれないかしら。そうなることが、おまえの運命なのよ。おまえが生まれたのも、十四歳まで育ったのも……すべて今日、ここで死ぬため。私が、そう決めたの」

「ち……がう! 勝手に決めるな!」


 生まれる家も、家族も、選べない。

 それでも、この命はぼくのものだ。どこに行くか、誰と生きるかは──。


「ぼくが決める。おまえじゃない!」

「そう。自分の運命は、自分で決めるんだよ」


 肩を強く引かれた。驚いて、横を見ると。

 須賀縫が立っていた。


「なっ……」


 がちがちがち、とメイズさんの懐中時計が音をたてる。

 メイズさんの表情が、はじめてゆがんだ。そのすきに縫は、ぼくをメイズさんの手からもぎ離し、切りたった崖へ向かおうとする。


「ゴメンね! 遅くなっちゃった!」

「いや……っていうか、どうやって……うっ!」


 左手に激痛。

 鋼線ワイヤーが、ぴんと張っていた。メイズさんが両手で鋼線ワイヤーをつかみ、ぼくをたぐり寄せようとしている。縫とぼくは足を踏んばり、全力であらがう。

 まるで、奇妙な綱引きだ。


「ヌイ……! おまえはとんだ愚か者だわ。わざわざ自分から、死ににくるなんて……!」

「へへん。愚かはそっちだっての。おまえはなにかも全部わかってるなんて言うけど、ほんとはなにもわかってない! あたしだって、半年前におまえとつながったんだ。おまえとひばりのつながりに、巻きこまれる・・・・・・くらいなら……できる!」

「いいえ、わかっているわ! わかっていた! なのに……ヌイ、おまえはとんだこぼれ球よ。よりにもよって……あんな方法・・・・・ッ……!」

「そこだよメイズさん。おまえが、本当にわかってないのはさ……人間の心だよ。いざってとき、人間がどれだけ勇気を出せるか……どれだけ助けあえるか、おまえには絶対わかりっこないッ! ひばり!!」

「う、うん」

「早く戻ろ。リアたちが待ってるよ!」

「……わかった!」


 ぼくたちは、渾身の力で鋼線ワイヤーを引いた。左手から、みちみちと異音がする。メイズさんがうろたえ、絶叫した。


「や、やめなさい。やめッ……やめろッ!!」

「うああああああ──ッ!!」


 ぶつん、と音をたて、ぼくの手首から鋼線ワイヤーが抜けた。

 メイズさんがたたらを踏む。その足が、畳を踏み抜いた。


「!!」


 座敷の床が避ける。赤い世界に闇があふれ出した。黒々とぬめる、イソギンチャクのような無数の触手がメイズさんにまとわりつき、のみこむ。

 ぼくと縫は迷わず崖に走ると、そこから飛びおりた。

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