渾沌殺し(1)

「神話や伝説っていうよりは、一種の寓話ぐうわなんだけど……『荘子そうし』っていう中国の古い書物に、こんな話が載ってるの。しゅくこつというふたりの神が、渾沌こんとんという顔のない・・・・神にとても親切にしてもらった。しゅくこつはお礼として、渾沌に顔を作ってあげようと思い、渾沌の顔に七つの穴を開けた。両目と両耳、左右の鼻の穴、口で七つね。だけど七つの穴を開け終わったとたん、渾沌は死んでしまった」

「なにそれ。変な話」


 縫のしらけた反応に、峰子が口をとがらせる。


「だから寓話だってば。渾沌って要するに、ルールの通じない、わけのわからない状態ってことでしょ。反対に、目鼻をつける──顔を与えるっていうのは、人間に理解しやすいよう、人間のルールにあてはめるって意味よ。秩序の枠の中に押しこめられた時点で、渾沌は渾沌でなくなる。つまり……死ぬ。渾沌であるオノゴロ童子を殺せば、メイズさんも渾沌から新しい体を作ることはできなくなるはずよ」

「はず、って……なんだかアテにならねェな」


 と、声をあげたのは鷹次さんだった。


「あたりまえでしょ。相手は化物だもん。確実な方法なんてあるわけない。これは賭けよ。分の悪い賭け。でも私の数少ない経験から言わせてもらうと、おばけって平気で物理法則は無視するけど、寓意メタファーとか契約とか、そういう言葉の問題には縛られがちな気がする。呪術って、もともとそういうものだしね」

「つまり……おばけは理系じゃなく、文系の問題ということかい」


 父さんがズレたコメントをする。ぼくは恥ずかしくなった。


「父さん、まじめにやってよ」

「いや、違うんだひばり。俺は座をなごませようと……」


 そこに再び、鷹次さんが割りこむ。


「待てよ。仮に、その呪術とやらをやるとして……だぜ。あいつの顔に七つも穴を開けなくちゃいけねェんだろ。どうやって開けるよ、そんなもん」

「どうって……なんかドリルとか、やりとか」

「ねェよそんな道具」

「ない……か。まあ、そうよね」


 と、峰子は急にトーンダウンしてしまう。鷹次さんは続けた。


「そもそも、あのバケモンに接近して顔面に穴開けるなんて、自殺行為以外の何物でもねェだろ。たとえ相手がクマだったとしても、真正面から向かっていって七回も刺すなんてな無理だぜ。しかもあいつは、熊よりヤベェ」

「車は? 自動車にこう、トゲトゲかなんかくっつけて、どーんと体当たり……」


 と、妙なアイディアを挙げたのは縫だ。鷹次さんはそれも一蹴する。


「ガレージは無事だったから、オレの車と兄貴のワゴンは動かせるがな。体当たりじゃ無理だろ。あいつの顔……ま、あの光ってる場所がそうだとするならって話だが、地上から二、三メートルは高さがあるぜ。届かねェ。第一、トゲトゲだのそんな細工してる時間だってねェんじゃねェか。あいつは光に弱いって話だろ。だとしたら」


 鷹次さんは、壁にかかった柱時計をにらんだ。


「夜が来たら、強くなるってことじゃねェのかよ」


 現在の時刻は、午後二時半を回ったところだった。

 今は真冬だ。五時には日没が来る。もし、鷹次さんの考えどおりだとしたら……ほとんど時間はない。

 縫が言った。


「だったら、なおさらジッとしてる意味ないじゃん。今のうちになんとかしなきゃ」

「だからって、ンなわけのわからねえ作戦に賭けるこたねェと言ってるんだよ。もっと確実な手があるだろ。たとえば、オレが車でヤツの気を引いて……そのスキに別方向から麓を目指す、とかよ。せめて警察だか自衛隊だか呼べりゃ、状況はマシになるだろ」

「鷹兄さん」

「ンだよ。オレだって……責任感じてンだよ。落とし前つけるにゃ、これしかねェだろ」


 その言葉を皮切りに、みんながいっせいに口を開いた。お互い、それぞれの主張を譲らな。

 でも、このまま議論を続けて意味があるとは思えない。ぼくは立ちあがった。


「ねえリア」

「な……なに。ひばり」

「リアのお父さんが持ってた銃──きみなら、撃てるんじゃないの」

「はあっ!?」


 全員の視線が、リアに集中した。

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