渾沌殺し(2)
神代家はほとんど瓦礫の山と化していた。
特に念入りに破壊されていたのは、鴻介さんの部屋だった。彼が作っていたという式盤もきっとめちゃくちゃだろう。もしかするとメイズさんは、それを壊すためにオノゴロ童子を暴れさせたのかもしれない。西林詩歌の心からここの式盤に移動したときのように、渾沌から作った新しい器に乗りかえようとしているんだ。
さいわい、銃の保管されていた鷲悟さんの書斎は比較的無事だった。
縫と峰子が見張りに立ってオノゴロ童子を警戒し、父さんと鷹次さんが瓦礫をどけて入り口を作る。まだ本調子じゃなかったけど、ぼくもいちおう手伝った。
鹿撃ち用のハーフライフルは、金属のロッカーの中に厳重に保管されていた。銃弾が詰まった紙の箱もいっしょだ。
狩猟用の銃と聞いて僕が想像していたのは、半分くらい木でできているようなものだったけど、鷹次さんがロッカーから取りだしたそれは、真っ黒なプラスチックとゴム、あとは金属でできていた。
リアは鷹次さんから銃を受けとると、なにやら真剣な目つきで調べはじめた。大人ふたりは「今のうちに車を調べてくる」と言って、ガレージのほうへ走っていく。
寒空の下、リアがレバーやベルトの金具をいじる、かちゃかちゃという音が、やけに大きく響いた。ゆっくりと、日がかげりはじめている。
「なんて銃なの、それ」
「サベージM212。狩猟目的なら、割とよく使われてるやつ」
「ハーフっていうから、もっと小さいのかと思ってたけど」
見た感じ1メートルくらいはある。充分大きい。
「あは。そのハーフは、銃身の
「え? じゃあそれ、ライフルじゃないの?」
「違うよ? 分類上は散弾銃。って言っても、コレって実質サボットスラッグを撃つための銃なんだけどね。散弾に向かない散弾銃。もともとスラッグ弾っていう、散弾銃用の一粒弾があって、サボットスラッグはそれをハーフライフル用にした……」
「ごめん。……よくわかんない」
「んふぅふ! そりゃそうだ」
銃の話はわからなかったけど、再会以来ずっとしおれていたリアの笑い声が聞けたので、まあよしとした。人間、好きなものの話をすると、どんなときでも生き生きしてしまうものらしい。
「で……どう。撃てそう?」
「整備は問題ない……かな。勝手にだけど、私もちょこちょこお手入れしてたし。でも実際に撃ったのはもう何年も前だし、そもそも私にとっては他人の銃だから、照準は不安しかないって感じ。ゼロイン……って知らないか、ええと、試し撃ちして調整できたらいいんだけど」
「音する?」
「する。超する」
「なら無理じゃないかな。オノゴロ童子に気づかれそう」
「だよね……。となると、ぶっつけ本番か……う~ん……」
リアは下くちびるを噛んだ。みるみる、さっきまでの生気のない表情に戻ってしまう。
「ねえ、ひばり。やっぱり……やめない?」
「リアがイヤだって言うなら、ぼくは無理強いしないけど」
「そうじゃ……なくって……」
オノゴロ童子を銃撃して、七つの穴を開ける。
リアはまだ、ぼくの思いついたこの作戦を了承したわけじゃない。どのみち銃があれば心強いし、車の状態も確認しておく必要があるからと、ここまでついて来ただけだ。
ついでに言えば、縫と峰子はけっこう作戦に乗り気で、大人ふたりは反対寄りだった。だけど、ぼくにとって大事なのはリアがどうするかだ。リアがやると言うならふたりだけでもやるし、やらないなら別の方法を探すしかない。
ハーフライフルの銃身を見下ろしながら、リアは歯切れの悪い口調で言った。
「私……ひばりにだけは、無事に家まで帰ってほしくて……それなら、さっき鷹兄さんが言ってたおとり作戦のほうが確実じゃないかなって思うの」
「でも、それじゃ」
「聞いてよ。鷹兄さんは、自分が責任とるみたいなこと言ってたけどさ……それよりもっとおとり向きなのが、ひとりいるじゃんって話なんだよね」
「……自分がそうだ、なんて言わないでよ」
「あは。言うよ。言うって……だってさあ。私が……逃げたいなんて言わなかったら、こんなこと起きなかったんだよ。鴻兄さんもお父さまも、植木店の人たちだって死ななかった。ひばりだって、あんなつらい目にあわなくてすんだんじゃん。ここまでやっといて、自分は助かりたいなんて……言えないよ……」
「なんでさ。リアは悪くないよ。なにもしなければ被害が出なかったって言うんなら……ぼくだって、ずっとあの地下にいたほうがいいことになっちゃうし。別に、そんなふうに思ってるわけじゃないんでしょ」
「そうだけどッ。もういいの!」
かたかた、銃が音をたてる。真っ白になるまで銃身をにぎりしめた手がふるえていた。その手の甲に、ぽたりぽたりと水滴が落ちる。
「私、もう……期待したくないの。なにかを望んだせいで、よけいに多く失うくらいなら……最初から望まないほうがマシだって、わかっちゃったもん。……こういうものだって思えばいいんだよ。自由とか未来とか、最初からなかったんだって割りきれば、別につらくない。私、もうあきらめたいの。あきらめて……楽になりたい……」
「……わかるよ、その気持ち。よくわかる」
ぼくも、そうだったから。
はじめて会ったとき、ぼくはリアのあきらめにシンパシーを感じた。
希望があるから、怖い。期待するから、裏切られたとき心が痛む。
洗面台下にトンネルを見つけた、あのとき。
もし、あそこから逃げようとしていなければ、ぼくはあそこまでの恐怖や、苦痛や、絶望を味わうことはなかった。父さんたちのケンカから耳をふさいでいたときみたいに、見なかったことにしているほうが、心は平和だったろう。
「でも……なにもしなかったら、きっとぼくは死んでた。失敗して、ひどい目にもあったけど、少しは変わったこともあったんだ」
地下室が崩れたあのとき、スチールロッカーに逃げこめたのは、カギが開けっぱなしになっていたからだ。ぼくの脱走騒ぎがなければ、あのとびらはたぶん、閉ざされたままだった。
リアがぼくを見つけてくれたのは、闇の中でも声をあげたからだ。そうしなければ、あんなところにぼくが埋まっているなんて、誰も気づけなかっただろう。
今ならわかる。
バイロケーションなんてものが現れたのは、ぼくが本当は、今を変えたかったからだ。あいつが現れたおかげで、ぼくの環境は少しだけ変わった。でも、それで満足してちゃダメだったんだ。
ぼくは、自分がなにを望んでるかを知るべきだった。
「望んだからって、どこへでも行けるわけじゃないし……行った先に幸せがあるかどうかも、わからないけどさ。それでも、自分が思ってるよりは遠くまで行けるものなんだ……きっとね。だから」
ぼくはしゃがんで、リアの顔を見あげた。
「あきらめるなんて、言わないで」
リアも顔を上げて、ぼくを見つめ返した。目も鼻も真っ赤だ。
「ぼく、リアが好きだよ。幸せになってほしい。だから、いっしょに行こうよ。戦おう。ぼくのたちの家出は……まだ終わってない」
ぼくは右手をさし出した。いろんなことがあって、すっかりささくれと赤ぎれだらけになった指。
リアの手が浮いた。ためらいがちに伸ばされ、引っこんで……それからもう一度、伸びてくる。ぼくを探して傷だらけになった指が、ぼくの手に重なる。
リアがしゅん、と鼻を鳴らして、泣き笑いになった。
「ずいぶん……派手な家出になっちゃった」
「家出はさすがにアレかな。じゃあ、えーと……巣立ち、ってことで」
裏の林からスズメの群れが飛びたち、すぐに見えなくなった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます