希望と絶望の穴(2)

 昼食のトレイの回収には、鴻介さんと鷹次さんがふたりでやってきた。

 ぼくが食事を吐いたという話を聞いて、体調を確認しに来たらしい。


 ぼくが入室を許可すると、ふたりは格子の一部を大きく開けて(そこがそんなふうに開くんだということを、ぼくははじめて知った)中に入ってきた。鴻介さんがぼくの熱を測ったり、舌の色を見たりしている間、鷹次さんは洗面所に入って、ぼくが濡らした着物を洗濯カゴに詰めこんで出てきた。


「脈が早いね」


 ぼくの手を取りながら、鴻介さんは言った。

 実際、そのときぼくの心臓は、いまにも爆発しそうなくらいに脈打っていた。


「そりゃあ……こんなふうに、ドカドカ押しかけてこられたら緊張するよ」

「それは悪かったね。しかし何度も言うようだが、僕たちに君を傷つける意図はないし、できる限り健康に、快適に過ごしてほしいと思っている。これは本当だ。実際……過去の記録と比較しても、君は実にうまくやっている。こんなに早く、オノゴロさまに気に入られた花嫁は君くらいだよ」

「そうなんだ。……ぼくって、割とあきらめがいいほうだからさ。環境に順応するのも早いのかも」

「はは。なるほどね。まあ……それも一種の才能だよ」


 そんな話をしている間、鷹次さんは洗面台でガチャガチャなにかやっていた。どうやら掃除をしているらしい。洗面台下の収納は、できるかぎり元どおりにしたつもりだけど……本当に、どこも見落としはなかっただろうか。そう思うと、本当に吐き気がしてきた。


「どうも顔色が悪いな。栄養剤を置いていくから、飲んでおきたまえ。あとはおつとめの時間まで、ゆっくり眠ること」

「……どうも」


 診察が終わると同時に、鷹次さんも出てきた。険しい目つきで、じろりとにらまれる。

 思わず身がすくんだけど、ぼくは体調が悪いふりをしてごまかした。


 ふたりが立ち去ったあと、ぼくは布団にくるまりながら、あのトンネルを掘った誰かのことを考えていた。

 たぶん──あの「誰か」は、生きてここを出ることはできなかったんだろう。もう脱出が成功していたなら、絶対にトンネルは発見されて、埋められているはずだ。

 もしかしたらトンネルが作られたときは、まだあそこがネットじゃなく、他と同じ木の格子だったのかもしれない。ネットになってはいたけど、今みたいに劣化していなかったのかもしれない。

 一日や二日のわけはない。五年……十年……それだけの長い間、こんなにつらい作業を続けたっていうのに、結局、その苦労がむくわれることはなかった。トンネルを掘りぬいて床下に出た彼女が、木の格子にぶち当たったときの気持ちを考えると、ぼくは暗い気持ちになった。残酷だ。残酷すぎる。

 その結末を知っていたら、彼女は掘るのをやめただろうか。

 それとも、あきらめずに出口を探しつづけただろうか。


 疲れていたせいか、それとも緊張からか、その日は夕食の味もよくわからなかった。

 夜が来て、オノゴロ童子の相手をする。今夜はおはじきだったけど、花札ほどは盛りあがらなかったらしく、オノゴロ童子は意外と早く、箱に戻っていった。

 疲れに襲われて、墜落するように眠った。


 夢の中では、メイズさんが待っていた。


「あの穴はダメよ」


 ぼくの顔をみるなり、メイズさんは言った。

 予想はしていた。それでも頭の奥がジン、としびれる感じがした。


「……ダメって?」

「あなたが、あそこから逃げだすことはできないということ」

「どうして」

「オノゴロ童子がいるからよ。あれは決して、自分の花嫁を逃がさない。たとえ男たちの目を盗んで逃げだすことができても、結局は、あなたが捕まった夜の再演になるだけ。そのことがわかっていれば、あの穴を掘った女も、ムダな希望は持たずにすんだのに。……可哀想よね」


 そうだろうか。

 本当に、それはムダな希望だったんだろうか。結末が同じなら、あきらめてじっとしていたほうがよかったんだろうか。

 ぼくには、だんだんわからなくなってきていた。

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