希望と絶望の穴(3)

 一月三日。

 冬休み九日目。監禁五日目。


 穴のことが気になっていたせいか、夢の回廊攻略は、前の晩以上にうまくいかなかった。最後にはメイズさんから「今夜は疲れているようだから、また明日、がんばりましょう」と言われてしまった。

 メイズさんは、何度もぼくに言い聞かせた。

 あの穴から逃げてもムダだ。

 鴻介さんや鷹次さんは、ぼくを監禁しつづけるために神経をとがらせている。

 そしてなにより、オノゴロ童子。あいつがいるかぎり、逃げきることはできない。ぼくが自由になるには、メイズさんをあいつの心臓まで送りとどけて、戦ってもらうしかない。


 理屈はわかるけど──でも。


 これまでの花嫁たちと、ぼくは違うんじゃないか。そんな気もする。

 花嫁がもともと神代家の人間だったなら、たとえ逃げても、この屋敷に連れもどされてしまう可能性は高い。でも、ぼくは違う。世間的に見れば、ぼくは拉致監禁の被害者だ。いくら神代家が警察に影響力を持っているといっても、隠しきれるとは思えない。

 リアに言わせれば、神代家は──落ち目なんだし。

 そしてオノゴロ童子。あいつの動きも、まだわからない。そもそも、ぼくがあいつの「お嫁さん」にされてしまったのは手違いなんだ。もしもぼくが逃げて、逃げて、あいつの手の届かないほど遠く……たとえば東京の家まで、逃げることができたら。

 さすがのあいつも、あきらめるんじゃないか。

 あきらめて、本来の「お嫁さん」である、リアのところに行くんじゃないか。


 別に、他人を犠牲にしたいわけじゃない。

 わけじゃないけど……もし、リアが本当に、ぼくをはめたんだとしたら……それはおあいこっていうことになるんじゃないか。


 朝食のあと、ぼくはそんなことをぐるぐる考えていたけど、結局、結論は出なかった。

 空いた時間を、ぼくは何度も寝返りを打ってすごした。

 これまでで一番、時間の進みを遅く感じる。

 本当に苦しいのは絶望じゃない。あやふやな希望があることだ。助からないと思うことより、助かるかもしれないのに、自分の判断ミスでそれがダメになってしまうかもと思うことのほうが、はるかに怖かった。


 しんどい気持ちで昼食を食べ、吐きそうになりながら夕食を流しこんだ。

 オノゴロ童子の希望は、また花札だった。ぼくは、メイズさん占いの結果にそって動くだけの機械になりきることで、その時間をやり過ごした。


 それでも、夢の回廊攻略には、どうしても身が入らなかった。

 廊下をうろつく死人をやりすごし、息を殺して座敷を通りぬけてゆく間も、ぼくはずっと、あのトンネルのことばかり考えていた。

 廊下を曲がる。襖を、障子を開ける。階段をのぼって、おりる。


 と、なんだかようすの違う部屋に出た。

 和室だけど、勉強机とベッドがある。壁には、古い映画のポスター。机の上にはパソコンがあった。この前のテレビと同じように、モニターに謎の厚みがあって、しかも一部がブルーグリーンのシースルー仕様になっている。丸っこくてかわいいけど、机に置くにはジャマそうだ。

 これも昔、神代家で暮らしていた誰かの部屋をコピーしたものなんだろう。

 そのまま部屋を通りぬけようとしたとき、ブーンと低いうなりをあげて、パソコンのモニターが点灯した。

 これは……もしかして。

 思わず足を止める。

 ひとりでにデスクトップが起動したかと思うと、ウィンドウがぱっと開いて、動画が再生されはじめる。

 どうやらまた、防犯カメラの映像みたいだった。神代家のリビングらしき場所を、やや低い場所から見上げる構図だ(場所が場所だから、もしかするとペットカメラとか、そういうものかもしれない)。

 応接テーブルの前のソファには、ひとりの男性が、うつむき加減に座っている。

 くたびれたベージュのコート。まゆの下がった、あまり覇気はきのなさそうな表情。

 ぼくは、それが誰だか知っていた。一週間前まで、毎日のように見ていた顔だった。


 そこに映っていたのは、志筑かける

 ぼくの父さんだった。

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