希望と絶望の穴(4)

「と……父さん?」


 ぼくはパソコンの画面に近づくと、食いいるように画面をのぞいた。間違いなく、それは父さんだった。


「父さん! ねえ……父さんってば!」

『落ち着いてヒバリ。それは現在いま起きていることではないわ。昨日の、昼間のできごとよ』

「昨日だって……?」


 なら、どうしてぼくに黙ってたんだ。あの穴のことだって、前もって教えてくれていたら……このタイミングで飛びだして、父さんに助けを求められたじゃないか!


『ヒバリ。あなたの言いたいことはわかるわ。でも、その方法ではうまくいかなかったの。ほら、見ていて……ジンダイコースケのポケット』


 ちょうどはかったようなタイミングで、画面の中に鴻介さんが現れた。

 グレーのセーターに、これまで見かけたことのない、黒のジャケット姿。父さんのむかいのソファに座るとき、そのジャケットのすそがめくれて、ズボンの後ろポケットがやけにふくらんでいるのが見えた。

 スマホ……かな?


『電話ではないわ。あれはスタンガンよ。知っているかしら……電気を流して、人間を気絶させる機械。もしもあなたの父親がなにかに気づいたなら、コースケはそれを使って彼を昏倒させ、永遠に口を封じるつもりでいたわ。あなたが飛びだしても、ふたりそろって共倒れになっていただけ』

「そ……そんな」

『コースケは骨の髄まで神代家の男よ。家のため、オノゴロ童子の秘密を守るためなら、暴力もいとわない。あなたの父親は、そんな男の殺意に対し……とっさに立ちむかったり、打ち勝ったりできる人なのかしら』

「……いや。それは……」


 父さんは、どっちかというと押しが弱くて、なんでもなあなあ・・・・で済ませてしまうような人だ。不満があってもその場は言わず、後になってから恨みごとめかして蒸しかえす。そういうところが、よく母さんとのケンカの原因になっていた。

 突然、凶器で襲われたりしたら、きっとなすすべもなくやられてしまっただろう。

 理屈はわかった。わかったけど……。


『……心配ですね。もう三日……いや、四日目ですか』


 そこでやっとチューニングが合ったみたいに、画面から音声が聞こえてはじめた。父さんはくたびれきったようすで、出された紅茶の表面をぼんやり見つめている。


『……本当に、なにも知りませんか。娘がいなくなった日のこと』

『申し訳ありませんが、僕はなにも。妹を呼んでありますから、くわしいことはあの子にたずねてみてください』

『すみません。こんなふうに、突然押しかけてしまって……』

『とんでもない。娘さんの身を案じる気持ちは、よくわかりますよ。家族なのですから当然です。……ああ、リア。こっちだ』


 リア。

 ぼくは鴻介さんのしらじらしいお芝居よりも、その名前のほうに引きつけられた。

 すぐに、低いタイヤの音をさせながら、車椅子に乗ったリアがフレームインしてくる。

 角度の関係で、顔はよく見えない。


『ああ、これは……。すみません、わざわざ』


 父さんがあわてて腰を浮かせかける。車椅子のリアを呼びつけてしまったことに恐縮したらしい。

 そんな父さんを軽く手で制して、リアは言った。


『かまいませんよ。慣れていますから。それより……ひばりさん、まだ見つからないんですか』


 ぼくの知っているのとはまったく違う、起伏にとぼしい声だった。


『……ええ。二十九日の夕方、うちの母が留守番を頼んで出かけたのを最後に、誰もあの子の姿を見ていないんです。戸締りはきちんとしてあったし、コートも持ちだされていたので、おそらくあの子が自分の意志で出かけたんだと思うのですが……その先がわからない。……お嬢さん。あなたはあの日の昼、うちの子と遊んでくれたそうですね。もしかして行き先のヒントになるようなことを、聞いていませんか』


 リアは軽くあごに手を当て、考えこむそぶりをした。


『そう……ですね。ひばりさんは……ご両親の離婚のことで、とても悩んでらっしゃるようでした』

『ああ……。あの子は、そんなことまで話していましたか。いやはや、まったくお恥ずかしい。私たちがいけなかったんです。あの子のことを、もっと見ていてやれば……』

『……鯛焼きを』

『は?』

『鯛焼きを、ふたりで食べたんです。バスロータリーのベンチに座って、電線を見上げながら……。ひばりさん、そのとき言ってました。早く東京に帰りたい・・・・・・・・・って』


 ぼくは耳をうたがった。


『ほ、本当ですか。それは』

『ええ、確かに言ってました。東京なら、ネットカフェなんかを泊まり歩くこともできるのに、こんな田舎じゃそれもできない、息苦しいって……。ですから、もしかしたら』


 ウソだ。

 ウソだ、ウソだウソだ……そんなこと、言ってない。


『と、東京の妻に伝えます。もしかしたら、ひとりで戻ってるかもしれないとは思っていたんですが……やっぱりなぁ……』

『……あの。ひばりさんが見つかったら、私たちにも連絡いただけますか。短い間とはいえ、お友達だったわけですから……どうしても、心配で』

『ああ、もちろんです。こんな優しいお嬢さんに仲良くしてもらえて、あの子もうれしかったでしょう』


 そう言って、父さんは今度こそ立ちあがった。


「ま……待ってよ!」


 ぼくは、パソコンのモニターに叫んだ。むだと知りつつ、両手でゆさぶる。


「父さん! 行かないでよ! ぼくはここだよ! ここにいるよ! ねえッ!! なんとか言ってよ──リア! リアってば!!」


 フレームアウトしていく父さんを、リアが目で追う。

 はじめて、画面にリアの顔が映った。

 少しも血のかよっていない、プラスチックの作り物みたいな顔だった。両目は暗い穴のように、なんの感情もうつしていない。

 知らない──こんな女のことは、ぼくは知らない。

 これが本当のリアなのか。もしもそうなら、ぼくがリアだと思っていたのは。

 ──誰だ。


 ひざから力が抜けた。その場にへたりこむ。

 ぼくは、なにもわからなくなった。ウソと本当、現実と夢がたがいに溶けあい、すべては渾沌の中にのみこまれていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る