逃走ふたたび(3)

「た、たすっ……」


 叫ぼうとした瞬間、口の中にタオルを突っこまれた。飛雄さんだ。そのまま、鴻介さんとふたりがかりで暴れるぼくの手足を押さえつけてくる。


「んんん! んんーっ! んんんーっ!!」


 おじいさん──幸児さんが押し入れから毛布を引っぱり出してきて、ぼくの上にかけた。そのまま、三人がかりでぐるぐる巻きにされる。

 その間も、玄関から聞こえてくる声はやまなかった。


「あっ、なんか音する。やっぱ誰かいるんじゃん。ちょっとー? すーいーまーせーんー!!」


 ばんばんという音が、やがてガタガタ引き戸をゆさぶる音に変わる。


「ちょ、バカ、縫ッ。やめなさいよ他人ひとにッ」

「なに。取材はしつこく食い下がるのが大事って、峰子が自分で言ったんじゃん」

「あんたのそれは無遠慮っつーのよッ! 無学・無神経・無デリカシー!」


 今度は丸眼鏡の子の声だ。今日もふたりいっしょらしい。

 男たちが目を見かわした。これまでで一番、顔が青ざめている。鴻介さんと飛雄さんがぼくを押さえつける役として残り、幸児さんがあわてて玄関に向かう。


「な……なにかな」

「あ、出てきた! あのさ、おじいさん。今さっき、悲鳴みたいなの聞こえなかった?」

「ひ──悲鳴? さて、わしには聞こえなかったが」


 ぼくは力いっぱいもがき、叫んだ。毛布にくるまれている上にふたりがかりで押さえつけられているせいで、ぴくりとも動けない。タオルごしに出す声も、顔をうずめさせられた毛布にほとんど吸収されてしまう。

 それでも、なんらかの物音は玄関まで届いたらしい。玄関から中を覗きこんだふうに、ポニーテールの声が大きくなった。


「……やっぱ、なんかバタバタしてない?」

「いや、それは……ネコがな。シャワーを嫌がってひどく暴れておるから、息子がな」

「えっネコ? 見たいかも」


 がたがたがたッ、と玄関戸がけたたましく鳴った。どうやら、勝手に中へ入ろうとするポニーテールを幸児さんが阻止しているらしい。


「いかんいかん! なッ、なんなんだね君たちは! 帰りなさい!」

「すっ、すいません! この子バカなんです! あの、実は私たち、冬休みの自由研究で、このあたりの言い伝えや怪談について調べてて……地元に伝わるおばけの話とか、ご存知ありません?」

「いや、この状況でいきなりおばけの話する? あんたのほうが絶対ヘンじゃん」

「私の段取りムチャクチャにしたのはそっちでしょこの野蛮人バーバリアンッ」

「いッ、い、いいかげんしなさい! 知らんよそんなもんは! とにかく帰りなさい! 帰れッ!」


 ぴしゃりと玄関が閉められる。

 ふたりはそれからもしばらく、他人の家の玄関先でごちゃごちゃと言い合っていたが、やがてザクザクと雪を踏む足音が遠ざかっていった。


「んんーッ! んんんーッ!!」


 行かないで。

 気づいて!


 ほんの数メートル。声を出せば、届く距離。

 なのにそれが、絶望的に遠かった。


***


 そしてぼくは、ふたたびあの座敷牢へ連れもどされた。


 地下への入口は、なんと神代家のガレージの奥にあった。はね上げ式のフタをがこん、と上げ、想像していたよりも長い階段を、地下へと降りてゆく。

 運ばれているとちゅうに聞こえてきた会話でわかったけれど、飛雄さんというのは、この家の当主──寝たきりになっているリアのお父さんのヘルパーをしているらしい。もちろん黒谷庭木店としても、神代家はお得意様だ。

 ぼくは敵の手のひらの上から、結局、一歩も出ていなかったことになる。

 そう思っても、今さら悔しさは感じなかった。

 ぼくの感情はすり減ってなくなってしまい、怖さもつらさもなくなっていたからだ。

 鴻介さんたちはぼくの手当てをすませると、あわただしく地下室を引きあげていった。救急箱を戻すときに誰かが閉め忘れたらしく、ロッカーの扉が、微妙に半開きになっていた。


 ゴミのように畳に転がされたまま、ぼくは夜をむかえた。

 オノゴロ童子はぼくを花札にさそったものの、ぼくは一切、反応をしなかった。二、三発、あの見えないムチでぶたれたけど、たいして痛みも感じない。

 オノゴロ童子はひと晩じゅう、いらいらと座敷牢の中をうろつきまわり、壁や天井を引っかいたり揺さぶったりした。

 やがてオノゴロ童子が箱に戻ると同時に、ぼくは眠りに落ちた。


 目を開けると、あの大正ロマンふうの部屋だった。

 でも、内装がいつもと違う。本棚や書き物机がなくなって、天蓋てんがいつきのりっぱなベッドが置かれている。ぼくは、その上に寝かされていて……メイズさんが、膝枕をしてくれていた。


「──つらかったわね、ヒバリ」


 メイズさんのしなやかな指が、ぼくの髪をなでる。


「ごめんなさい。あの穴の話をしたとき、もっと強く止めておけばよかったわ。そうすれば、こんなふうにあなたが傷つくこともなかったでしょうに」


 そうかもしれない。

 結果的には、なにもかもメイズさんの言うとおりになったわけだし。


「もう……いやだ」

「そうでしょうね」

「なにも、考えたくない……」

「ええ。いいのよ、それで。なにも考えなくていいの。心と体を私にゆだねて、あなたは私のお人形になるの。私の言うがまま、思うがままに動く、すてきなお人形にね。そうすれば……なにもかもうまくいく」

「うまく……いくの? 本当に?」

「もちろんよ。私を信じて──。まいまい迷子の、囚われ人さん……メイズさんの、言うとおり……。クス……クスクス……クスクスクスクス……!」

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