ライフルと車椅子(2)

 一歩遅かった。

 ぼくが戻ったときにはもう、壇ノ市町行きのマイクロバスはロータリーを出て遠ざかっていくところだった。緑色がかった窓ガラスの向こうに、見おぼえのあるポニーテールがちらっと見えた……気がする。


 ひざに手をついて、呼吸を整える。

 しまった。やらかした。

 今回のひとり旅では、こういう失敗はしたくなかったのに。

 できれば家族みんなに、ぼくひとりでなんでもできるというところを見せておきたかった。ぼくはもう中学生で子供じゃないし、なんでもひとりでできるんだってところを。

 とはいえ、次のバスが三時間後となると、おばあちゃんに連絡しないわけにはいかないし……そうなればきっと、最終的には父さんたちの耳にも入ることになるわけで……。


 そんなふうに悶々としていると、背後から、静かなモーター音が近づいてきた。

 振りむくと、ゲーセンにいたあの女の子だった。電動車椅子を操り、まっすぐこっちへ向かってくる。

 理由はわからないけど、なんだか上機嫌そうだ。


「んふぅふ。また会ったねえ」

「……そうだね」

「あのね。私、これから兄さんの車で壇ノ市まで帰るところなんだけど……よかったら乗っていかない?」

「え。いいの?」


 本当なら、まさしく渡りに船というやつだ。

 だけど……ついさっき会ったばかりの、名前も知らない相手の車に乗るっていうのは、ちょっと……。

 そんなこっちの逡巡を見透かしたように、彼女はにんまりと笑った。


「不安なら、おうちに確認してみたら? 神代じんだい家の車に乗せてもらうって言えば、壇ノ市の人には通じるから」


***


 彼女の名前は、神代リアといった。


 リアの言うとおり、神代家の名前を出すと、おばあちゃんはすぐ納得してくれた。神代家というのはいわゆる「地元の名士」で、山のほうの集落(初鳥ういとり、という)に立派なお屋敷を構えているんだとか。

 当然、おばあちゃんはリアのことも知っていた。家のことを抜きにしても、車椅子ユーザーの彼女は、地域では目立つ存在みたいだ。


 電話を済ませてロータリーで待っていると、すぐに、大きな黒いワゴン車がやってきた。

 運転席から現れたのは、リアのお兄さん――神代鴻介こうすけさんだった。グレーのセーターに、ブラックレザーのコート。フレームレスの眼鏡をかけている。


「やあ、君かい。リアの新しいお友達っていうのは」

「はあ。まあ……」


 友達……と言っていいのかどうか。


「そんなに固くならなくていいよ。どうせ、あの子が無理に誘ったんだろう。地元には同世代の子が少なくてね。話相手に飢えてるんだ。大目に見てやってくれ」

「あ、こう兄さんったらひどぉい。それじゃ、私がちょっかいかけてるみたいじゃない。一応、純粋な好意で声かけたんだけどなぁ。ねえ、ひばり?」

「う、うん。正直助かった。ありがとう」


 軽く自己紹介しただけで、即、呼び捨てにしてきたのにはびびったけど。

 ちなみにリアは中学三年生。学年的には、ぼくのひとつ上ということになる。

 でも「リアさん」と呼ぼうとしたらものすごく不服そうな反応をされたので、結果的に、こっちもタメ口きかざるをえない流れになっていた。


 鴻介さんは慣れた手つきで車椅子昇降用のリフトを降ろし、リア本人ごと、車椅子をワゴンへ積みこむ。

 後部座席に乗りこんだぼくは、感心しながらそのようすをながめていた。当のリアはリクライニングに背をあずけ、リラックスしたようすだ。


「志筑さん、だったかな。よければ家の前まで送るけど、くわしい住所はわかるかい」


 運転席に乗りこみ、ワゴンを発進させながら、鴻介さんが言った。


「あ、いや、そこまでは。バス停とかで降ろしてくれればいいです」

「遠慮は要らないよ。狭い街だし、どのみち大した距離じゃない」

「や、ほんと、大丈夫なんで」

「そうだよ鴻兄さん。化物屋敷・・・・の車が家の前に停まってたりしたら、悪い噂のタネになっちゃう」

「え?」


 なんて?


 びっくりして振りむいたけど、リアはにやにや笑っているだけだった。

 対して、ルームミラー越しに見える鴻介さんの表情は、苦虫を噛みつぶしたようになっている。


「リア。そんな言い方をするものじゃない」

「はぁい。んふぅふ」


 微妙に気になる……けど、聞きづらい……。

 そんな、こっちの困惑にはおかまいないしに、リアはさっさと話題を変えてしまった。


「ね、ね、ひばり。いつまでこっちにいるの?」

「ん……予定では、冬休みいっぱい」

「ホントに? クリスマスも年末年始も、ずーっと? 退屈だよぉ? このへん、なーんにもないし」

「前にも来たことあるから、それは知ってるけど。スマホさえあればゲームもできるし、マンガも読めるから、いいかなって」

「そっかぁ」


 そこで、リアがぷつりと黙りこんだ。

 やけに長い沈黙のあと、おずおずとした口調で、こんなことを言う。


「あのね。もし、ひばりが嫌じゃなかったら、だけど……私の家に、遊びに来ない?」

「いいの?」

「うん。……まあ、うちだって別に、面白いものがあるわけじゃないけど」

「そうじゃなくて。中三でしょ? 受験は?」

推薦すいせーん

「うわ。うらやましい」

「んふぅふ。うち、邪悪な田舎の金持ちだから。地元の学校にはコネが利いちゃうの」


 またそんな、反応に困ることを言う……。

 そっと鴻介さんのほうをうかがうと、案の定、なにか言いたげな顔をしていた。言わなかったけど。


 神代リア。

 変な女だ。

 親しみやすいような、露悪的なような。

 高慢なような、甘え上手なような……なんだか、少し寂しげなような。

 それでも、不思議と惹きつけられるものがあるのは事実だった。


「わかった。そういうことなら、お邪魔しようかな」

「ホント!?」


 ぐわっと身を乗りだしてくる。目が、きらきら輝いていた。


「ホントに? ホントに、来てくれる?」

「う、うん。行くよ。どうせヒマだし」

「そっかぁ。……じゃあ、約束したからね。来てくれないと、私、泣いちゃうぞぉ。……んふふ、んふぅふ!」


 それからの道中、リアはずっと、絵に描いたように上機嫌だった。

 ……やっぱりちょっと、変な女。

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