救世主はメイズさん(4)
深夜零時。
はじまりは、昨日とまったく同じだった。
かたかたかたと、祭壇の上の箱が振動をはじめたかと思うと、ひとりでに展開してゆく。やがてその中から、オノゴロ童子が姿を現した。
わだかまる黒い闇。その中でぼんやりと光る巨大な円と、子供のシルエット。
蛍光灯は消されていた。ぼくは、裸電球の落とす丸い明かりだけをはさんで、オノゴロ童子と
あ、そ、ぼ。
問いかけにうなずく。
オノゴロ童子が闇をうごめかせると、ぼくが片づけた紙箱のひとつが見えない力でスライドし、明かりの下でひっくり返る。
ぶちまけられた中身は、花札だった。
オノゴロ童子は、それきり動かない。どうやら、カードを切って配るのもぼくの仕事のようだった。
緊張で指がふるえた。いつ、またあの見えない鞭が飛んでくるかわからない。トランプよりも小さくて固い花札は扱いにくく、シャッフルに失敗して落とすたびに心臓がはねた。
お互いに手札を配り、場にカードを並べる。
オノゴロ童子に配った手札の一枚が、す、と浮きあがり、場のカードにぴしゃりとたたきつけられた。
ゲーム開始だ。
花札にもいろいろと遊び方があるらしいけど、オノゴロ童子のお気に入りは「こいこい」というルールだそうだ。
場に出ているカードと自分の手札のカードに、同じ種類の花……と、いっても松とか
カードには植物以外にもいろいろな図柄が描かれていて、その組み合わせでいろいろな役を作ることができる。何ラウンドか勝負して、高得点の役をたくさん作ったほうが勝ちだ。
こんなふうに書くと簡単そうだけど、ぼくにとってはかなり厄介なゲームだった。
まず、花札自体に慣れていない。絵柄になじみがないから、どれとどれが同じ植物扱いのカードなのかわかりにくいし、役だってうろおぼえだ。
そして一番の問題点は──ゲームの相手が、このオノゴロ童子だという点。
一方的に負けちゃいけない。だからといって、勝ちすぎてもだめだ。
ほどよく勝ったり負けたりして緊張感をもたせたうえで、最後はオノゴロ童子に気持ちよく勝ってもらう必要がある。
だけど、そんなの──今夜はじめてやるゲームで、できるわけがない。
案の定、ぼくは役を作るのに必要なカードを、次から次へと横からかっさらわれてしまった。みるみる負けが続いていく。
はじめ黙々とゲームを進行させていたオノゴロ童子が、だんだん、闇の中で妙な音をたてはじめた。畳をぴたぴたたたく音。天井をがりがり引っかく音。
あいかわらず人間らしさは感じられないものの、不機嫌なのは充分すぎるくらい伝わってきた。
ぼくは、胃の中のものがぐうっとせり上がってくるように感じた。
この座敷牢での「こいこい」は十二ラウンドが一セットだ。今は第九ラウンドだけど、ぼくはいまだに
(そろそろ、一回ぐらい上がらないと──こいつがゲームにあきて、かんしゃくを起こしでもしたら)
なんて、焦ったところで引きが強くなるわけでもない。
あっという間にオノゴロ童子は短冊札を五枚集めて、役を完成させてしまった。
がっくりきたところで……オノゴロ童子がカードをあやつり、畳の
横に置いた鴻介さんメモによると、これは「こいこい」の合図。さらなる高得点を狙って、ゲームを続行させる行為だ。その代わり、ここで相手プレイヤーに役を作り返されてしまうと、二倍の失点になる。
(こいつ、ぼくをなめてるな……)
チャンスではある。
だけど、とっさにどの手札を切ればいいかわからない。
まだ山札に眠っているはずの、「松に鶴」と「
……未来予知?
そのとき、ぼくはこれまで記憶の隅に追いやっていた、今朝がたの夢のことを思い出した。
メイズさんと交わした会話と……彼女に教えてもらった、「メイズさん占い」のこと。
普通に考えれば、ただの夢だったとしか思えない。けど記憶は、やけに鮮明だ。第一、こうやって化物とさし向かいで花札をしている状況からして現実感がないんだから、今さらおかしなことのひとつやふたつ、増えたところでなにも変わらない。
ぼくはダメもとのつもりで、心の中で呼びかけた。
(メイズさん、メイズさん。ぼくの手札に残ったカス札三枚、どれを捨てたらいいですか)
なにも起こるはずない。そう思っていた。
それなのに。
すぐさま、ぼくの左手にはめたスポーツウォッチに異変が起きた。なんの操作もしていないのに、夜行塗料を塗られた針がきりきりと動いて──ぴったり八時を指して止まったんだ。
(う……動いた。本当に?)
ぼくは驚き、それ以上に混乱した。この「八時」の指す意味が、すぐにはわからなかったからだ。
(八番、八時──いや。「八月」……かな?)
花札のカードは、植物ごとに十二ヵ月の季節が割りあてられている。
二月は梅、六月は牡丹……といった具合だ。
八月の割りあては、芒。ぼくが狙っている役に必要な、「芒に月」に対応したカードだ。
もし、ここでぼくが芒のカードを捨て、山札を一枚めくって出たのも芒のカードだったなら……ぼくはそのカードを手に入れることができる。
悩んでいる余裕はない。ぼくは芒のカードを切った。
山札をめくる。出たのは──。
「芒に月」。
心臓がはねる。
カードを取れたので、さらにもう一枚、追加で山札をめくることができる。手元には松のカードもあるので、ここで「松に鶴」が出れば逆転勝利なんだけど──。
現れたのは、全然関係ない、桜のカス札だった。
肩を落としたぼくの前で、オノゴロ童子がターンを進める。イノシシのカードを取り、山札をめくる。出たのは。
「松に鶴」。
オノゴロ童子は、それを取れない。ぼくのターンが回ってくる。
ぼくは飛びつくように、そのカードを取った。
役が完成する。四光。十点……いや、「こいこい」へのカウンターだから、ニ十点。
(お──追いついた)
たった一ラウンドで。
ぼくはおそるおそる、オノゴロ童子のようすをうかがった。
相手の姿からは、感情もなにも読みとれないけど……さっきまでやかましかった異音が、やんでいる。
そのまま固唾をのんでいると、また、ぶわりと闇が波打つのがわかった。
オノゴロ童子の取り札や場に出ていたカードが、まとめてこっちに押しよせてくる。
早く次のゲームの準備をしろと、せかしているみたいだった。
それから、ぼくは「メイズさん占い」の結果どおりに花札をプレイした。
ぼくは続くラウンドで負け、その次のラウンドでまた勝って、一瞬だけど総合点数でオノゴロ童子を逆転した。そして、緊張の最終ラウンド──オノゴロ童子は見事に大きな役をあがり、総合勝利をおさめる。
この一戦は、明らかにオノゴロ童子のお気にめしたようだった。
ぼくはそれから、同じ十二ラウンドのゲームを四セットもつき合わされた。ゲーム内容は、勝ったり負けたり、実にドラマティックで、ときにはぼくが総合勝利をもぎとったりもした。
その間、あの闇の
通路のデジタルウォッチが深夜の三時をまわり、眠気でぼくの頭がぼんやりしてきたころ、オノゴロ童子がおもむろに動いた。
どきりとして、身を固くする。
反射的に顔をかばったぼくの前で、オノゴロ童子と闇は、床の間の祭壇に向かってゆっくりと後退をはじめ──出てくるときのようすを逆再生したかのようにしゅるしゅると縮んで、箱の中へと消えていってしまった。
開いていた寄木細工の箱が、かたかたと折りたたまれて、元の形に戻る。
座敷牢は、痛いくらいの静けさに包まれた。
(お……終わった)
どうやら、無事に今夜を乗りきったらしい。
そう思った瞬間、どっと疲れが押しよせてきた。ぼくは花札をぞんざいに片づけると、布団にもぐりこんで、泥のように眠った。
そして、また夢を見た。
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