バイロケーション(1)
ぼくの両親は不仲だ。
その傾向自体は、ずっと昔からあった。けど、面と向かって言いあいをするようになったのは、ぼくが中学にあがったころからだった。
もしかしたら、ぼくの中学受験があんまりうまくいかなくて、二次志望の私立に通うことになったのがきっかけだったのかもしれない。とはいえ、それがなかったとしても、いつかはこうなっていただろうな、という確信がある。
父さんと母さんの共同生活は火種だらけだった。
帰宅時間。家事の分担。ぼくの成績のこと。お金のこと。実家のこと。あれを触った。これを動かした。ああ言った。こう言った。約束した。忘れた。前からずっと我慢してた――。
うちはリアの家みたいに広くない、ごくふつうの2LDKなので、両親がひとたび言い争いをはじめたら、家のどこにいても声が聞こえてきてしまう。
ぼくにできることといえば、イヤホンを耳につっこんで音楽を爆音でかけ、頭から布団をかぶって、嵐が過ぎるのを待つことだけだ。
不思議なもので、それだけやってもなお、ケンカの雰囲気はぼくのところまで伝わってきた。ふたりがケンカをはじめると、空気がちくちくささくれだって、ぼくの肌をおろしがねみたいに削りはじめるのだ。
そうなると、ぼくに残された逃げ道は眠ることだけだった。それも普通に眠るというより、自分からむりやり意識のスイッチをオフにして、気絶する感覚。
そんなことを週に何度もくりかえしていたせいで、ぼくはまわりがどれだけうるさくても眠れるという、変な特技を身につけてしまった。
最初に電話がかかってきたのは、夏休みの終わりくらいだったから……もう三、四か月ほど前のことだ。
その日も、いつものように父さんと母さんはケンカをしていた。あるいはもう言い合いは終わって、その後の無言タイム(ふたりとも、やたら大きな音でドアを開け閉めしたり食器を動かしたりする)に入っていたかもしれないけど、よくわからない。ぼくはそのとき、例によって自分の部屋で睡眠……もとい気絶していたからだ。
電話をとったのは、父さんだったんじゃないかと思う。機嫌が悪いときの母さんは、何百コールされても絶対に電話をとらないからだ。
電話は、警察からだった。
たった今、夜の繁華街で
もちろん、それはぼくじゃない。
ぼくはずっと自分の部屋にいた。電話がかかってきてすぐ、父さんが部屋まで確認しに来たから間違いない。
さっきも言ったとおり、ぼくの家はそんなに広くないし、そもそもマンションの三階だから、両親に気づかれずこっそり出入りするなんて不可能だ。おまけに、「ぼく」が補導された繁華街は、電車で四駅も離れた場所にある。
――人違いです。うちの子じゃありません。
当然、父さんはそう答えた。
――ですがこの番号、本人から聞いたものでしてね。名前は、志筑ひばり。十三歳。住所は西東京市ことりヶ丘四丁目の……。
名前も電話番号も住所も正確だった。なら、その補導されたという子を電話に出してくれと言うと、警官は「それはできない」と答える。
なんでもその「志筑ひばり」は、交番まで補導してひととおりの個人情報を聞いたあと、ちょっと目を離したすきに逃げだしてしまったというのだ。
学校でぼくを知っている誰かが、ぼくの名前を
その場はひとまず、そういうことになった。
ところが、話はそれで終わらなかった。
それ以来、「志筑ひばり」は、頻繁に姿を現すようになったのだ。
そいつは、決まって夜遅く、カラオケやゲームセンター、コンビニ、あるいはもっとガラの悪い場所――飲み屋街とか――でぼうっとしているところを発見された。
たいていはパーカーにカーゴパンツというかっこうだったけど、たまに制服を着ているときもあった。ぼくが通っている私立中と同じブレザーだ。
あからさまに未成年なそいつを怪しんで、見回りの警察官が声をかけると、意外とすんなりついてくる。
名前をたずねれば、生気も感情もない声で、淡々と自分のことを話した。
志筑ひばり。十三歳。住所は西東京市ことりヶ丘四丁目……。
制服姿のときは、学生証も携帯していた。それで学校のほうに連絡が行って、担任の先生が呼びだされたこともあった。
先生は、交番のパイプ椅子に座ったそいつを見て、
「確かに、うちの生徒です」
と言ったらしい。
そうしてまた、ぼくの家に電話がかかってきた。
父さんは人違いだと言ったけれど、先生はなかなか納得しなかった。そこで、部屋で眠っていたぼくが揺り起こされて、電話に出なくちゃならなくなった。
「……もしもし? 先生?」
『えっ。あ、志筑か!? 今、どこからかけて……』
「家ですけど」
『ちょ、ちょっと待て!』
バタバタと走っていった先生は、さっきまで交番の椅子に座っていた「志筑ひばり」が、
そいつのすぐ近くには警察官がいたのに、出ていくそぶりも、物音も、なにひとつ気づかなかったという。預かったはずの学生証さえ、煙のように消えていた。
ぼくには完全なアリバイがあり、「志筑ひばり」を補導した側には、なんの物的証拠も残っていない。
それでも、関係者の心にはしこりが残った。
同じことが五回六回と続くうちに、しこりは大きくなっていく。おかしな言いがかりに対するいらだちは疑念へ、そして薄気味悪さへと変わっていった。
意味も理由もわからない。
証明もできない。
けれど、ぼくの――志筑ひばりの周りで、なにかが起きている。みんながそう感じていた。
もちろん、誰よりもそれを強く感じていたのは、ぼく自身だった。
***
「それで、ネットでいろいろ調べてみたんだ。成りすましとか、自分と同じ顔の人間がいる確率とか。で、そのうち、それまでぜんぜん興味持ってなかった、怪談とかオカルト系の情報が目につくようになった」
ぼくはそこまで一気に話すと、冷めた紅茶をちびりとなめた。
「完全に同じとまではいかないけど、ぼくのと似てる話もけっこうあったよ。そういう現象を表す言葉がいろいろあるってことも、はじめて知ったな。
「
ぼくの言葉を先取りしたのはリアだった。
言ってから、自分がかなり前のめりな姿勢でぼくの話を聞いていたことに気づいたらしい。車椅子に深く座りなおすと、ばつが悪そうに笑った。
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