第29話


 床に投げ出されたカバン、いつ倒れても可笑しくない私服の山。広げられていないぺしゃんこ段ボールは壁に寄りかかってずり落ち、一種のブービートラップと化している。


「何も言わなくていいですわよ?」

「片付けろよ」

「何も言わなくていいって言いましたわよねっ!?」


 顔がうるさい。首を振って孔雀院さんの顔を視界の隅に追いやる。玄関で待たされた時に部屋を片付けたのかと思ったらこの有り様だ。もう呆れる気にもならない。


 荷造りの前に片付けから入った。小物をまとめて段ボールを立てかけ、作業用の足元を確保してから荷造りに入る。


 小さなため息が口を突く。

 孔雀院さんは、白菊さんの部屋を見て何も学ばなかったのだろうか。俺の飼い主は毎日綺麗に部屋を使っていたのに、とても同年代の少女とは思えない。


「ため息突かないでくれません?」

「ため息突かせないでくれないか?」

「誤解しないでくださいまし。いつもはこうじゃありませんのよ?」

「いつもっていつだよ」


 俺だってまだ荷造りは終わっていないんだ。あまり時間をかけていられない。

 テキパキと段ボール箱を広げて日用品を詰め込む。横目を振ると、孔雀院さんが日用品を持って眉をひそめていた。


 孔雀院さんには掃除を命じた。俺はタオルや書物を段ボール箱に詰める。蓋が閉まる程度に収めてガムテープで蓋をする。側面には入っている物の名称を記してやった。

 

 一通り作業を終えて床に尻もちを付く。


 大半は俺が段ボール箱に詰めた。孔雀院さんがやったことと言えば、俺が指示した箇所を掃除したことくらいだ。 


 峯咲学園に入学したら、俺と孔雀院さんは男子寮と女子寮に分かれる。お人好しな同級生が世話を焼いてくれればいいけど、それを期待してバイバイするのは楽観的だ。入学までに色々教え込む必要がある。


 もうわくわくどきどきだ。仕込み甲斐がある。

 もちろん皮肉だが。

 

「お疲れ様。これは労いですわ」


 孔雀院さんがお盆を持ってきた。上には二個のティーカップが乗っている。カップの底がテーブルの天板を鳴らし、紅い液体に波紋を伝播させる。


「ありがとう。ちなみに菓子は?」

「ありませんわよ?」


 そんなきょとんとされても困る。


「思い出してみてほしい。孔雀院さんの前に紅茶が出る時は、いつもケーキスタンドとか並んでなかった?」

「そういえば並んでましたわね。それが何か?」

「こういうのって基本甘い物と出すんだよ。紅茶って少し苦いだろ?」

「舌がおかしいんじゃありません? わたくしが飲む紅茶はいつも甘かったですわ」

「それは紅茶を入れた人が、お前の好みを知ってて砂糖を入れてたからだ。本当に何も知らないんだな」

「そんなことありません。わたくしは博識ですもの」

「いいか? 他の人に質問する時は、くれぐれも下手に出るように心かけるんだぞ?」

「分かっていますわ」

「じゃあやってみろ、練習だ。紅茶を淹れてとお願いしてみろ」

「わたくしのために紅茶を淹れてもよろしくてよ」

「あうとぉぉぉぉぉっ!」


 ビシッと声を張り上げて指摘し、孔雀院さんに物の頼み方を教える。


 ごねられた。

 よく分からない言い訳を聞くに、孔雀院さんは人生の大半を国外で過ごしたようだ。髪が金色を帯びているから外国人の血は感じていたが、日本での生活に慣れていないから常識外の言動を取るのだろうか。教えることが増えてしまった憂鬱でため息が出そうになる。


 俺は紅茶を一口含んでまぶたを閉じる。

 何というか……お湯だ。香りも味もあったもんじゃない。


「ねえ、猫田に聞きたいことがあるんですの」

「いいぞ。紅茶の淹れ方を教えてやる」

「違います。学校のことですわ」


 俺はまぶたを開ける。

 整った顔立ちは少し陰っているように見えた。


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