第21話

 俺は猫の姿で屋根に立つ。アパートの出入り口とは反対側に身を隠して白菊さんの帰りを待つ。

 

「来た。あの子だ」


 夕焼けの中でも分かる驚きの白さ。すらっとした腕を振り、ローファーの裏が階段の段差を踏み鳴らす。いつ見ても絵になる立ち姿だ。


「……ん?」


 呼び掛けたのに、いつまで経っても返答がない。

 いぶかしんで振り向くと、少女が背を向けて体育座りをしていた。


「……何してんの?」

「何でもありませんわ。気にしないでくださいまし」


 嘘付け。

 思ったけど発するのはやめておいた。近くに来るよう呼びかけて、部屋突入の機会をうかがう。

 

 高飛車高慢ちきちきお嬢様の友人候補は白菊さんだ。

 

 相手の白菊さんも、コミュニケーションには多大な不安を抱えている。高飛車少女こと孔雀院遠子とは違って、白菊さんには未来がある。こんなのでも人付き合いのリハビリくらいにはなるだろう。

 仮に失敗しても、どうせこいつが消えるだけだし。


「いいか? くれぐれも口調には気を付けるんだぞ?」

「わ、分かっていますわ」


 孔雀院さんが人差し指をくるくるさせる。緩いカールのかかった髪がしゅるしゅると渦を巻く。とぐろを巻く蛇を想起させるが、不思議となまめかしく映る。ほんと容姿だけはいいんだよな。容姿だけは。


「とにかく言葉遣いだ。1にあいさつ2に笑顔、3に丁寧あと口調」

「それさっき聞きましたわ」

「そうか、なら復唱しろ。1にあいさつ2に笑顔、3に丁寧あと口調だ」

「何回同じこと言うつもりですの!? もう子供じゃありませんのよ!」

 

 繰り返し過ぎてキレられた。

 

 でも不安なんだから仕方ない。ああ、俺に何度も同じことを言った母はこんな心情だったのだろうか。ごめんよ母さん、心配をかけてしまって。


 少女が屋根から見下ろす。あどけなさの残る表情が微かに強張っている。高飛車お嬢様でも緊張の概念を持ち合わせていたらしい。


 俺はふっと口元を緩める。


「チャンスは今日一日じゃないんだ。駄目で元々、気楽に行ってこい」


 鋭い視線が返ってきた。


「何を言ってますの? この孔雀院遠子に失敗などあり得ませんのよ」


 孔雀院さんが屋根から飛び降りる。

 数拍置いて、下の方でゴンッとぶつかった音がした。


「ばッ⁉」


 俺は慌てて口を押さえる。屋根から身を乗り出すと、思った通り孔雀院さんが額に手を当てている。


 俺は声を抑えて抗議する。


「何やってんだ! 窓際には札が貼ってあるって言っただろーがっ!」

「分かってますわ! これはそう、あれですの! 敢えてぶつかることで、敢えてわたくしの存在を知らしめたのですわ!」

「ドアホ! 窓に頭突きしたら、白菊さんに警戒されるに決まってんだろ!」


 スリッパの音が近付く。俺は窓際を指差して白菊さんの接近を知らせる。

 孔雀院さんが窓の方に視線を戻し、優雅に髪をかき上げる。


「ご、ご機嫌よう。あなたが白菊さんでいいのですわよね?」


 おおいッ!? 何で白菊さんが自己紹介する前に名前を呼ぶんだよ⁉ 白菊さんは妖怪に狙われているって言っただろ! 捕食目的の妖怪と思われたら仲良くなるどころの話じゃないぞ⁉


 とはいえ今は白菊さんとお話中。猫の俺では会話が終わるまで助言できない。左胸の奧をバクバクさせながら成り行きを見守る。


「そ、そうだと言ったら、どうするんですか?」


 部屋の方から強張った声色が発せられた。


 ほらみろ、白菊さんに警戒されちゃったじゃないか! もう捕食しに来た幽霊としか思われてない。


 終わった。俺は頭を抱えて一人うなる。

 俺の内情など知る由もなく、下の方で嬉々とした声が上がる。


「わたくし、孔雀院遠子と言いますの。あなたが独り寂しく過ごしてると聞いて、仕方なくここに参じたのです。お友達になって差し上げますから、ここを開けるとよろしいですわ」


 ああ、ああ……っ! 

 お・お・ば・か・がッ!


 信じて送り出した俺が馬鹿だった! 何が仕方なくだ、何が差し上げるだ! 

 

 プライドか? プライドなのか? 白菊さんと合わせる前に、その天を衝かんとばかりに高い鼻っ柱をへし折っておくべきだったのか? これじゃ嫌われて当然だ。


 時すでに遅し。白菊さんが窓を開けない意思表示をして、孔雀院さんが声を荒げる。

 

 ついにカーテンを引かれた。数分間ぎゃーぎゃー喚いた挙句、孔雀院さんがぷんぷんとしながら屋根の上に戻る。

 

 これは無理かもしれない。初日だけどそう思った。


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