第30話

「学校のことって、片付けや人間関係以外に不安なことでもあるのか?」

「不安はありません。改善点は一通り把握したのですから、わたくしが失敗することはありませんもの」

「その思考がもう大失敗してることはさておき、何が聞きたいんだ?」

「しいて言うなら心構え、でしょうか」

「と言うと?」


 孔雀院さんが紅茶を口に含む。ティーカップの底を天板の上に置き、数拍置いて口を開く。


「わたくし達って、結構ずるいですわよね」


 何の話だ? 

 口に仕掛けて、言葉の意味に察しが付いた。

 

「まあ、はた目から見るとずるいかもな」


 基本的に人生は一度しかない。やり直しは効かないし、失敗したら汚点として残る。リカバリーできたとしても、一度失敗した事実は消えない。


 俺達はその事実をなかったことにしてここにいる。他の受験生からすればずるいの一言だろう。


「それで、ずるいから何なんだ?」

「え?」


 孔雀院さんが目を丸くする。それでも飽き足りずに目をしばたかせる。


「どうしてそんなに驚くんだ?」

「いえ、開き直るとは思ってなかったものですから」

「開き直るも何も、人は誰しもずるいものじゃないか」

「性格や素行の話ですの?」

「それだけじゃないよ。そもそも人生は不平等だ。頑張っても環境のせいでチャンスすら得られない人がいれば、恵まれた環境にいながらも勝手にずっこけていく奴もいる。もちろん順当にぬくぬく肥え太る人もいる。ずるいだろうそんなの、持ち得なかった人からすれば」


 俺よりも成績や素行が悪かった同級生は、俺よりもいい大学に入学していい企業に就職した。


 逆に一般人よりも生活能力の低い孔雀院さんは、家柄の良さだけで女王様をやっていた。彼女の場合はそれが裏目に出たけど、そこそこまともな感性があれば成功は約束されていた環境だった。


 他の人だってそうだ。病院のミスで赤子の取り違いが起こって、本来幸せになれたはずの人が涙を呑んだ事例がある。


 背丈が足りなくてバレーやバスケの選手を諦めたとか、容姿を指摘されて声優や俳優になれなかったとか、この世にはどうしようもないことが蔓延はびこっている。

 

 にもかかわらずそういうのは是正されない。その理由は明白だ。


「人間にそのずるさを正す力はない。そういうものはそういうものとして受け入れるしかないんだ。だから俺はためらわないよ。グランアースで得た知識や技術を活かして、思い描いた青春をこの世界で実現させる。ずるいなんて言葉で自重するつもりはない」

「達観しているんですのね」


 他人事なつぶやきを耳にして、俺は苦々しく口角を上げる。


「ずいぶん他人事だな」

「だって、わたくしには特別な何かがあるわけじゃありませんもの」


 孔雀院家には力があった。


 その孔雀院家と結びついていたのは生前の孔雀院さんだ。孔雀院家にとっての『孔雀院遠子』は黒歴史。知り合い無き今ではただの女学生に過ぎない。むしろ高校入学までのつながりがなくなったと思えば、その分ハンデを背負っているとも言える。


「でも強い後悔はあるだろう? だったらちょっとやそっとの苦しみなんて苦にならないはずだ。それができるだけでも違うよ」


 子供なら大半は言われたであろう『勉強しなさい』。


 子供の頃はうっとうしさしかなかった言葉も、強い後悔を得た今では納得しかない。同じ考えを持つ人が子供に戻ったら前回以上にペンを握るだろう。


「今の内にはっきり言っておく。俺は二度と時間を巻き戻すつもりはない。誰かを気遣ってやりたいことができなかった、なんてのは無しだ。全力で行け。二度と後悔したくなかったらな」

「分かっています。もうあんな思いをするのはごめんですもの」

「それならいい。じゃ紅茶を飲んだら続きするぞ」

「まだやるんですの?」

「当たり前だ」


 引っ越しの荷造りだけじゃない。孔雀院さんには多くが欠けている。入寮までに、このお嬢様の頭に常識を叩き込めるだけ叩き込んでやる。


 ああ、誰か俺の荷造りしてくれないかなぁ。


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