最強猫のやり直し~課長の俺。失われた青春をやり直すために時間を巻き戻したら妖怪が見えるようになっていた~
原滝 飛沫
第1話
気が付けば会社の課長になっていた。
やりたかったことじゃない。正直やりたいことには程遠いけど、生きるために選んでいたらこうなっていた。
道から外れることをした覚えはない。真面目だと褒められたこともあるし、成績だって一時期は良い方だった。成績が下がった理由だって邪なものじゃない。誰にだって起こり得る、運が悪いとしか言いようのないものだった。
「猫田、今日残業な」
上司から無慈悲な宣告を受けて、俺は渋々首を縦に振った。残業仲間の小言を耳にしながら、キーボードの上に指を走らせる。
二十代に差し掛かった頃には、もうちょっと希望を抱いていたと思う。年相応の体力と気力があったから、色々と余裕があったのだろう。
その年齢ブーストも、三十代に差し掛かってからは鳴りを潜めた。身体の不調が現れ始めて、体力と気力の減衰を感じるようになった。
給料もよくないからできることも少ない。贅沢できる余裕もない。気力を奮い立たせることにも疲れて、俺は仕事をするだけの人型に成り果てた。
働く。働く。指を動かすたびに文字の羅列が伸びる。何かを考えることにも疲れて、ひたすら文字を入力する。
終わった。俺はカバンを持ってオフィスを後にする。
会社を出る頃には、外は真っ暗になっていた。灯りが見えて、自然と足が前に出る。コンビニの店内を照らす照明だ。外套に群がる蛾になった気分で入店し、何回購入したか分からない弁当と缶ビールを握る。カウンターまで持って行って喉を震わせ、商品と硬貨を交換する。昔は唐揚げが好きだった記憶があるけど、今は食べても何も感じない。黙々と胃に詰める作業にも飽きてきた。
コンビニを出た足でアパートに向かう。上へと続く段差に足を掛ける作業を繰り返し、やっとの思いでドアの前までたどり着く。ドアノブに指を掛け、腕を引いて玄関に踏み込む。
そのタイミングでバイブレーションが鳴った。俺はズボンのポケットに視線を落として、革靴から足を抜く。靴下に包まれた足で廊下の床を踏み鳴らす。
リビングに踏み入っても、ポケットの中のスマートフォンが自己主張を繰り返す。無視してうるさいのと応答の手間を考えて、俺は小さく息を突く。ポケットに手を突っ込み、長方形の端末を持ち上げる。
電話の主は俺の妹。母が亡くなったことを告げられた。適当に言葉を返して、強烈な倦怠感に襲われた。食べるのも面倒くさくなって、広げたままの布団に倒れ込む。
正直に言おう。ちょっと安堵した。ショックはあったけど、それ以上にほっとしたんだ。肩の荷が下りた気分だった。
明日のことは明日の俺に任せて目を閉じる。意識が闇に同化した。
◇
俺が中学生だった頃に母が倒れた。
頭の病気だ。自由に外を出歩けなくなり、俺は母の介護を妹の面倒を見ることになった。男性ということで力にはそれなりに自信があったけど、実際に介護してみると抱き上げるのも精一杯だった。自分の意思で動かない人間の体は重いのだと、この時に初めて知った。
子供が家族の面倒を見る。世間ではそういった子供をヤングケアラーというらしい。友人関係や学業に影響が出るとのことで、少子高齢化社会において挙げられるようになった問題だ。その名称自体は知っていたけど、まさか俺がそうなるとは思っていなかった。
父は単身赴任で都外にいた。俺は妹と母の面倒を見ることになった。朝は早く起きて朝食を作り、妹が食べるのをよそに母の口元へとスプーンを運ぶ。食器を洗って身支度し、学校へ向かう。そんな生活が始まった。
俺は受験生だった。行きたい高校があった。朝と夜は母の世話で時間が取れない。俺は休み時間を使って英単語を覚えて、可能な限り勉学に時間を使うことを心掛けた。話していた友達が離れていくのを感じたけど、後悔はしたくなかった。
頑張りもむなしく、俺は受験に落ちた。他の受験生は、俺が介護に時間を取られる間も死に物狂いで勉強していた。塾での勉学ブーストも掛かれば差は絶望的だ。勝てるわけがなかった。
分かっていても、俺は泣いた。拳を振るえるほどに握りしめて、考えてはいけないことを考えた。同じ後悔が胸の奥で渦を巻いた。
人間三日もすれば飽きるらしい。俺は別の高校受験に挑み、そこそこの学校に進学した。その後も介護に時間を捧げ、またそこそこの大学に進学。社会に出て妹に生活費を送った。
そして今に至る。葬式の準備をして母を送り出し、スーツを着た人と相続の話をする。
母はアパートを持っていた。初耳だった。何だかんだ俺が大学に進学できたのは、そっちからの収入があったからなのだろうか。とはいえ大したアパートでもない。誰も住んでないし、大した収入もない。管理できないし、売り払った方がいいだろう。
一応は俺の物だ。一度は見ておこうと思って、そのアパートに足を運んだ。外観は薄汚れている。母は動けないし、管理も行き届いていないことがうかがえる。
野良猫を見つけてわしゃわしゃする。もうちょっと丸っこい方が好みだけど、もふもふするのに不都合はない。
猫がギニャーと鳴き声を残して走り去った。俺は肩を落とし、階段に足を掛けて二階の地面を踏む。
奥の部屋から物色した。長い間人が踏み入っていないせいか、内装は見るも無残にボロボロだ。
二階の確認を終えた。
後は一階。憂鬱な気分を押して部屋を回る。
最後の部屋まで物色して、俺は安堵のため息を突く。
住人だった人の忘れ物はなかった。もし何か残ってたらどうしようかと思ったけど、その心配は杞憂に終わった。面倒な人探しはしなくていい。それが知れただけでも肩が軽くなった。
後はアパートを売るだけだ。
もっともこのボロボロ具合。買い手が見つかるかどうかも怪しい。
どうしたものか。
思った瞬間、体が浮遊感に包まれる。
「いったッ⁉」
遅れて衝撃がやってきた。顔をしかめて尻をさする。
「どんだけボロいんだよこのアパート……」
愚痴が口を突いた。苛立ちに任せて腰を上げ、周りを見渡す。薄暗いけど輪郭は分かる。ちょっとした小部屋になっていた。最初から空洞になっていたということか?
「……何だ? この扉」
扉があった。アパートはボロいが、扉はより一層ボロい。苔がこびりついていて年季を感じさせる。
ヒカリゴケ。洞窟のような暗所では光を放っているように見える苔。
眼前にある苔はヒカリゴケに似ているけど、それとは違う気がする。部屋を後にする寸前だったし、上の部屋はカーテンやドアを閉め切っている。何よりここは地下だ。反射する日光なんてどこにもない。
にもかかわらず苔は光を放っている。どんな原理で発光しているのだろう。そもそもこの扉は何だ? どこにつながっているんだ?
開けてみれば分かるか。もしかしたら母のへそくりが隠されてるかもしれないし、確認するだけしておこう。
俺はドアノブを握って腕を引く。
体から力が抜けた。意識が吸い込まれるような錯覚を覚える。
やばいと思った次の瞬間に視界が暗転した。
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