第2話

 痛い。


 うめいて目を開けると、視界いっぱいに緑が広がっていた。樹木と土が織りなす濃厚な臭い。遠足に行った時以来の芳香だ。


「どこだここ?」


 ぐるっと見渡す。後方に木製の小屋があるばかりだ。あの古びた扉もない。


 俺は腰を上げて尻を叩く。懐かしい感触だ。子供の頃はバカをやって、よく母にお尻を叩かれたっけ。体が動かなくなってからは、母は力のない笑みを浮かべるばかりだった。前みたいに叱ることもしない。俺に後ろめたさを感じているのが伝わってきて辛かった。


 俺は頭を振って嫌な記憶を振り払う。尻に付いた土を落として、ひとまずは目に付いた小屋に歩み寄る。


 腕を伸ばしてドアノブを握る。


「あれ」


 開かない。見た感じ古いし、建付けが悪くなっているのだろうか。

 もう少し力を込めてみる。


「ぬっ」


 開かない。

 開かない! 開かない⁉ 


 どんだけガタついてるんだこのドア! 接着剤で地面とくっついてるんじゃないか⁉ 背筋を反らしても、壁に靴裏を付けて脚力を味方に付けても駄目だ。


 欠陥品だこの小屋! 建てた奴見つけたら文句言ってやる!


「うおっ⁉」

 

 ドアが遠ざかる。

 いや違う。体が浮遊感に包まれるこの感覚は――!


「いったッ⁉」


 母なる大地にヒップドロップした。顔をしかめて手元を見ると、ドアから取れた取っ手がある。

 バッと顔を上げると、さっきまで取っ手があった箇所に空洞ができていた。


 いらっとした。チリチリした感情に身を任せて腰を上げ、五歩程度後退する。


「ぶっ壊れちまえオラあああっ!」


 雄叫びを上げて助走を付ける。こんなところに連れてこられた理不尽への怒りを込めて、空洞目掛けて足を突き出す。


 砕け散った。


 本当に砕けやがった! 一応は建物だろう? こんな蹴りで壊れてドアの意味あるのか!?


 てか今さらだけど、この小屋誰の所有物だ? 俺やっちまった? もしかして慰謝料請求される? 


 ああ、頭から血が引くこの感覚は懐かしい。小学生だった頃にう〇ちもらした時以来だ。

 嫌なこと思い出しちまった。このオンボロ小屋のせいだ、このう〇ちめ!


 う〇ち!

 

 憤怒を乗せて叫んだらすっきりした。気を取り直して脚を前に出す。


 せっかくだし物色しよう。こんなどことも分からない森の中、丸腰で歩くのは自殺行為だ。持ち主に会ったらその時に謝ればいいや。


 室内に靴先を入れる。ミシッと床が軋んだ。あるのはやっぱりボロい家具。テーブルの上に何かの書類が乗っている。


 奇妙なのは、小屋の外装に似つかわしくない品が置かれてあることだ。ライトスタンドなんかは結構新しい。小屋が建てられた時とは違う時期に持ち込まれた事実がうかがえる。


 俺は一枚の紙を握って眼前にかざす。記されている文章を視線でなぞって、目を見開く。


「これ、母さんの字だ」


 見覚えがある。間違いない。

 どうしてこんなところに? まさか母さんはこの場所を知っていたのか? 


 もっと情報が欲しい。テーブルに置かれた書類に片っ端から目を通す。物色すると手記らしき物も置かれていた。


 この世界には、魔法なんてファンタジーな概念がいねんが実在するらしい。魔法の種類、それらを身に付けるまでの過程が事細かに記されている。キャリアウーマンだった母が記しただけあって非常に読みやすい。


 魔法は巻物を読んで覚えることもできるらしい。ほんとかよ? どんな原理だ? 


 やってみれば分かるか。


 思って本棚へと足を進める。視線の先で色んな本が背表紙を向けている。端の方では、巻物が積み重なってピラミッドを形成している。


 巻物の一つに手を伸ばす。丸いそれを握りしめる。身をひるがえしてテーブルに戻り、天板の上に巻物を転がす。

 思わず眉をひそめる。


「何だこれ」


 日本語じゃない。象形文字にも似た落書きが記されている。


「あれ」


 俺は目をしばたかせる。

 一瞬巻物の内容が読めた気がした。じっと文字を見つめていると、だんだん馴染みのある平仮名と漢字に変換されていく。


 読める! 読めるぞ! 思わず巻物の両端を握りしめて持ち上げる。今なら石碑の文字を読む大佐の気持ちがよく分かる。最高の気分だよな! ム〇カ!


 どうやらこの巻物は、あらゆる文字を読者の馴染みある文字に変換するらしい。これが魔法の力なのか? ただ読むだけでこんな力が手に入る。この感動は素晴らしいなんて感想じゃ言い表せない。


 他の巻物はどうだ? 

 もう一個一個運ぶのも面倒だ。両腕を使って一気に抱え、テーブルの上にぶちまける。


 片っ端から読む。並んだ文字を視線でなぞる。


 この巻物には、耳にした言語を馴染みある言語に変換する魔法が記されていた。英語にも使えるんだろうか。だとしたら翻訳家に転職できる? もしそうなら転職しよう。さらばクソ上司! フォーエヴァーッ!


 さあ次と思って、巻物の表紙に数字が記されていることに気付く。俺が呼んだ巻物には1と2が記されている。


 読んだ順番? それとも読むべき順番? 


 おそらく後者だ。未知の言語を解読できないと魔法は修得できない。最初に慣れ親しんだ言語に置き換えるのは合理的だ。


 次は3番。4番。時間も忘れて読みふける。

 何本の巻物を読んだだろう。残った最後の巻物を広げて視線を落とす。

 俺は目を見開く。


「これは……!」


 今までの中にも、特殊な力に付いて記された巻物があった。


 これは格別だ。時間を操る魔法。極めれば世界の時間を巻き戻すことも可能らしい。

 とんでもない力だ。時間を巻き戻すアニメや漫画は知っているけど、まさか本当にできるのか?


 魔法を使うには魔力を要する。母の手記から読み取った知識だ。魔力は生命力のようなもので、あらゆる動物に備わっているみたいだけど、魔力の保有上限は鍛えないと増えないようだ。


 強力な魔法ほど、行使する際には多大な魔力を消費する。今の俺に使える魔法は少ない。時間を巻き戻すまでに至るには長期間の修行が必要だ。


 だけど頑張る価値がある。


 俺の人生は後悔の連続だった。青春なんてものは無きに等しかった。やり残したことは山ほどある。

 

 俺がやるべきことは決まった。巻物から目を離して本棚へと足を進める。今はとにかく知識が欲しい。背表紙の一つへと腕を伸ばす。


 時間を巻き戻そう。母を助けよう。

 そしてやり直すんだ。俺が失った青春を。


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