第42話

 

「篝さん、まだ着かないんですか?」

「もうそろそろだよ」


 足元でパキッと軽快な音が鳴る。

 樹木と土に匂いにつつまれて、一体どれだけの時間が経ったのだろう。オレンジ色の空は夜のトバリが降りかかっている。


「こんな所で会合をするんですか?」

「祓い屋は表に出せない裏稼業だからね。妖怪のことも伏せなきゃいけないし、表立って集会を開くわけにもいかないんだよ。薄暗くて不気味だけど、大丈夫かい?」

「はい」

 

 本当は大丈夫じゃない。暗くなると妖怪も元気になるし、正直言って今すぐにでも帰りたい。


 でもここで帰ったら、きっと篝さんとはこれっきりになる。本当の意味で孤りになることと比べたら、この程度の恐怖はあってないようなものだ。

 口元を引き結びながら歩を進める。


 前方に洞窟の入り口が見えた。

 嫌な予感がする。まるでドス黒い闇が私達をのぞき込んでいるかのようだ。ぶわっと鳥肌が立つのを止められない。


 篝さんがためらうことなく入り口に踏み入るのを見て、小走りで大きな背中を追いかける。


 薄暗い通路を進んだ先に大きな岩があった。頑丈そうな縄でぐるぐる巻きにされていて、神社で見るような白い髪が何本も垂れ下がっている。物々しくて凄く不気味だ。


 篝さんが足を止めて振り向く。


「白菊さん、この石に霊力を注いでくれ」

「大丈夫なんですか? これ何かの封印じゃあ……」

「これはカモフラージュだよ。一般人が踏み入れないように、あえて不気味な様相に仕立てているんだ。実態は、霊力を感知して隠し通路を空けるためのカラクリだよ」

「用心深いんですね」

「用心するに越したことはないんだよ。一般人が私達みたいな人と行動するのは危険だからね」


 祓い屋と妖怪は対峙する関係にある。


 妖怪視点では、祓い屋と一般人の違いなんて分からない。下手に一緒に行動すると、妖怪に祓い屋だと勘違いされて襲われる危険がある。


 それは私も一緒か。今までは何もなかっただけで、もしかすると明日にでもクラスメイトが妖怪に襲われるかもしれない。ずっと表社会にしがみついてきたけど、いよいよ覚悟を決めるべき時が来たんだ。


「分かりました」


 足を前に出す。左胸の奧から伝わる鼓動を聞きながら岩の前で立ち止まる。


「さあ、岩に手を当てて目を閉じるんだ。後は岩の方が勝手に霊力を感知してくれる」

「分かりました」


 岩に触れる。ひんやりした表面に体温を吸われる感覚があった。

 言われるがままにまぶたを閉じる。


 ゴツゴツした岩に触れること数秒。聴覚がビキッと不吉な音を捉えた。


「ひゃっ⁉」


 反射的に飛び退く。


 音の源は目の前にある岩だ。硬そうな物体に、目を見張るほど大きな亀裂が走る。


 無機質な岩が一定間隔で鈍い光を発する。心臓の鼓動を思わせる光が薄暗い空間を暴く。洞窟全体の揺れも相まって、何かが出てきそうな雰囲気であふれている。


 岩が真っ二つに割れる。


 巨大な何かが立ち上った。噴き上がる黒煙に続いて、蛇を思わせる胴体が天井へ昇る。くねる胴体が部屋のスペースを上から埋める。


「な、なに、これ……」


 右脚が勝手に下がる。

 巨大な目が私を見た。首をもたげて大きな口を開く。


 体が動いたのは奇跡だった。身を投げ出した後方で鈍い振動が伝わる。振り向くと、大きな口が土を大きく抉っていた。


 洞窟は一本道。化け物の攻撃をかわしながら逃げるのは無理だ。

 

「た、助けて! 篝さん!」


 懸命に呼びかけた先で篝さんと目が合う。


 いつも親切にしてくれた、唯一信頼できる大人の人。

 その表情は、今までに見たことがないほど歪んでいた。


「……くはっ」


 こらえきれないとばかりに、篝さんが口端を吊り上げる。


「篝、さん?」


 語尾が疑問形になった。

 洞窟内に愉快気な笑い声が伝播する。聞くからに小ばかにしたような響きを帯びている。それが誰を嘲笑っているかなんて考えるまでもない。


 目を見張る。頭の中が真っ白になる。


 信じられなかった。いつも優しく微笑みかけてくれたあの篝さんが、今は喜悦に身を任せた悪人のような顔をしている。私の危機を前に哄笑している。


 篝さんが笑い声を抑えて目元に手を当てる。


「いやいや驚いた。昔からアホウドリみたいな子だなぁとは思っていたが、見るからにヤバいの封印してますって感じの置物に普通霊力注ぐかね? あ、失礼。君は『普通』の子ではなかったね」 


 もはや侮蔑ぶべつを隠そうともしない。

 頭からサーッと温かみが引いていく。視界内で侮蔑の情を浮かべる人型と、私の知る篝さんの人物像が乖離かいりする。


「あなたは、誰ですか?」

「おいおい、ひどいじゃないか僕のことを忘れるなんて。僕は篝優一だよ。普通じゃない君と仲良くしてあげていた、頼りがいのあるお兄さんだよ」

「うそ。じゃあ、どうしてこんなこと……」

「どうしてって、この妖怪に君を食べさせるために決まってるじゃないか」


 言葉が喉につかえた感覚があった。

 篝さんが肩をすくめる。


「本当に分からないのかい? 前に式神の話をしただろう。祓い屋の格は、実績と保有する式神の強さで決まる。私はね、ずっと強い式神が欲しかったんだよ。だからそこそこ強い個体が見つけて君を食わせようとしていたのに、手塩にかけて育てたモアイが忽然こつぜんと消えちゃってさ。誰かに取られたと想像しただけで、もう……あああああああアアアアアアアアアッ!」


 篝さんみたいなナニカが咆哮した。忌々いまいまし気に表情をくしゃくしゃにして地団太を踏む。


「くそ! くそ! くそがッ! 忌々しいッ! どこの誰かは知らないが、人の獲物を横取りしやがってッ! 僕があれを育てるのに、一体どれだけの年月を費やしたと思ってんだ! しかもあれを祓ったのはどこの誰とも知れないクソガキだぁ? 社会を知らないガキが! 大人様を舐めやがってッ!」


 篝さんが吼え終えて息を荒げる。

 深呼吸をすませたのを機に微笑が浮かぶ。


「そんな時、この洞窟を見つけたんだ。調べた所、この化け物は遠い昔に街を壊滅寸前にまで追いやった個体らしい。君を食わせればこいつはもっと強くなる。式神にすれば、私は祓い屋業界に名を馳せることになるだろう」


 つまり、篝さんは最初から私をエサとしか見ていなかったと。


 バカみたいだ。こんな私でも誰かとつながれるなんて淡い希望を抱いて、残った唯一の絆にすがった結果がこの有り様。本当にどうしようもない。


「……篝さんは、この化け物を倒せるんですか?」

「当たり前じゃないか。そこの化け物に、私達の会話を邪魔せず静観する知能が備わっていると思うかい? この洞窟は先日から私の儀式場さ。真正面からぶつかっても勝ち目は薄いが、私の知識や技術を総動員して備えれば動きを封じるくらいわけはないよ。もちろん、動くことを許可することもね」


 篝さんがにこっと笑む。

 それが合図とばかりに、妖怪が大きな頭をもたげる。


「ようやくだ。強い式神を得て、祓い屋業界に名を馳せる時が来た! 喜んでくれたまえ。誰の役にも立てないあわれな君でも、人々の役に立てる時が来たんだよ。この妖怪に喰われて、私の式神の一部となることでね」


 花にでも語り掛けるような優しい声色。本心で言っているんだろうなと、この場にそぐわないことを思った。


 不思議と腹は立たない。篝さんが口にしたことは、たぶん間違っていないから。


「本当に、篝さんならこの妖怪を調伏できるんですね?」

「無論だ。その気になれば数秒で事はすむ。せめてもの慈悲だ。君はもう寝ていなさい」


 指が鳴らされる。

 緊張の糸が途切れたように意識が遠のく。


 焦りはない。恐怖もない。

 どのみち私の人生は終わっていた。ずっと独りで生きていくなんて心が持たないし、いつかどこかで人生のレールを外していたに違いない。

 

 そんな無意味で無価値な私でも、この身を捧げるだけで不特定多数の誰かの役に立てる。なんて贅沢ぜいたくな交換条件なんだろう。


 唯一の心残りはと言えば、篝さんを人殺しにしてしまうことだ。


 またやってしまった。関わった人を不幸にすると知っていたのに、寂しさに耐え兼ねてつながりを断ち切れなかった。私が心の拠り所を求めて頼ってしまったから、篝さんに重い罪業を担わせることになる。彼の華々しい未来に、消したくても消えない汚点を残してしまう。


……ごめんなさい。

 

 生まれてきて、ごめんなさい。


「さあ食らえ欲深き蛇よ! 極上のエサを貪り食らい、この僕の力となれ!」


 大きな蛇の頭部が迫る。

 視界が光度を増し、大きな口が閃光に呑まれた。


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