第32話


 俺は一人ベンチでスマートフォンをいじる。


 時刻はすでに放課後。授業から解放された生徒が、日が落ちかけた空の下で笑む。大学受験まで三年を切った身でも、放課後の開放感には表情を緩めざるを得ないらしい。


 明日になれば部活勧誘が始まる。校舎内も騒がしくなるし、多くの生徒に用事ができる。

 その前に接触しておきたい相手がいる。

 

 視界に金色の髪がちらついた。俺はスマートフォンをポケットに入れてベンチから腰を上げる。


「孔雀院さん」


 あくまで初対面を思わせる態度で歩み寄る。

 孔雀院さんを挟む女子達が察したように口角を上げた。頑張ってとつぶやいてどこかに走り去る。


 繊細な指がさっと前髪をいじり、小さな顔が振り向く。


「どうしましたの? 猫田さん」

「二人きりだし、さん付けはしなくていいぞ」

「そうですの? ならそうしますわ」

「あの二人は友人か?」


 俺は女子寮の方に視線を向ける。

 二人の視線と目が合った。二つの顔が建物の陰に引っ込む。名門校の生徒と言えど、色恋は大好物のようだ。


 のぞき見を知ってか知らずか、孔雀院さんが大きな胸を張る。


「ええ、貴子たかこ友里ゆりはわたくしのお友達です。見たところ猫田は一人のようですけれど、お友達作りに失敗したんですの? わたくしのお友達を紹介してもよろしくてよ?」

「孔雀院さん。君は本当に嫌な奴だな」

「ひどい言われようですわっ⁉」


 小気味いい響きが空間を伝播する。入寮前以来のやり取り。すごく昔の出来事のように感じる。何だかんだ、この張り上げられた声を聞くと落ち着くんだよなぁ。


「猫田って、わたくし相手だと歯にきぬ着せませんわよね」

「孔雀院さんのことはよく知ってるからな」


 今でこそ誰もが認める美少女だけど、生前はやらかしまくった挙句に身を投げた。超常現象として神隠しを起こしていた頃は、誰に気兼ねすることなく激臭を振り撒いていた。


 俺はそれを知っている。今さら気を遣うなんて無理だ。


「そう、それなら、仕方ありませんわね」


 孔雀院さんがそっぽを向く。いつになく語尾に覇気がない。

 元は悪霊でも、今は一人の少女だ。さすがに言い過ぎたか。


 孔雀院さんが口元に拳を当て、こほんと咳払いする。

 仕切り直しの意図を感じ取って俺も姿勢を正す。


「でも、これからは気を付けた方がいいですわよ? わたくし結構人気ありますから」

「早朝の人溜まりのことを言ってるのか?」

「ええ」


 孔雀院さんは見てくれはいいからな。言葉を交わしたらいじりがいもあるし、性格は子供っぽさ全開だ。気後れする美貌が中和されて、前にしても敬遠する理由がない。その点は白菊さんよりもうまくやれている。


「人気と言えば、白菊さんのクラスにも人が集まってたな」

「そうなんですの?」

「ああ。孔雀院さんは白菊さんに会ったのか?」

「いえ、今日は登校からさっきまでクラスメイトとお話をしてました」

「意外だな。てっきり白菊さんの元に突撃すると思ってたよ」

「わたくしもそのつもりでしたけれど、貴子から話しかけられたのを機に質問攻めにされましたの」

「へえ。おどきなさい! わたくしを誰だと思っていますの⁉ とは言わなかったんだな。偉い!」

「わたくしを何だと思っていますの?」

「孔雀院遠子様だ」


 整った顔立ちがむくれる。

 言葉とは裏腹に、胸の奥では歓喜の情が込み上げていた。


 ついに、ついに俺の教育が実を結んだ! 鉄棒を握って逆上がりを決めた時とはまた違った達成感。人はこの感覚を味わいたくて教師を目指すのだなぁ。


「その顔腹が立ちますわね。ビンタしてもいいかしら?」

「却下だ。白菊さんの話に戻すけど、前見た時と様子が違ったんだよ。一線を引いたというか、以前より近付きがたい感じがしたんだ」

「以前よりと言いますけれど、猫田は白菊さんが校舎で過ごす姿を見たことはありますの?」

「ないな」

「だったら、元々校舎ではそういうスタンスだったのかもしれませんわよ?」


 一理はあるが、そのスタンスには引っかかりを覚える。妖怪とのつながりすら捨てきれなかった白菊さんが、自らクラスメイトとの接触を断つとは思えない。


「気になるなら、明日にでも会いに行けばいいではありませんの」

「簡単に言ってくれるなぁ。孔雀院さんは生霊だったってことでどうにかなるかもしれないけど、俺に至っては初対面も同然だぞ? ナンパと間違われて敬遠されたらどうするんだ」

「面倒くさいですわね」

「面倒くさいんだよ思春期は」


 孔雀院さんは人溜まりを見ていないから好き勝手言えるんだ。あれだけ視線がある中で接触してみろ。悪目立ちするし、白菊さんにも迷惑をかける。

 これが最後の高校生活なんだ。うかつな真似はしたくない。


「そもそもいつ会いに行くんだ? 明日は部活勧誘が始まるんだぞ? 部活に所属しないのかよ」

「放課後が駄目ならお昼休みだってあるでしょう? 言葉を交わすだけなら十分もあれば事は済みます。わたくしに任せなさいな」

「すっごく不安だけど、大丈夫か? ついて行ってあげようか?」

「子ども扱いしないでくださいまし! そんなに意地悪を言うなら見てなさい。一足早く白菊さんと仲良くなって、あなたを鼻で笑ってあげますから」


 孔雀院さんが巻き髪をかき上げて身をひるがえす。


「また明日な」

「ふんっ!」


 孔雀院さんがをそっぽを向く。ぷんぷんとした背中が女子寮の方向に遠ざかった。

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