第33話


 もったんと小雨が戻ってこなくなった。

 最初は気のせいだと思っていた。もったんはぶらっと外を出歩くことが多かったし、小雨は時々しか顔を出さない。気長に部屋で来訪を待ち望んでいた。


 一週間が経った頃から、胸の奥で焦燥が渦を巻いた。絶対戻ってくる。だって今まではそうだったから。自分に言い聞かせて毎日を過ごした。


 二週間を経てから、自分の脚で外を駆け回った。


 もったんは丸々したお腹をしている。あんなに太っていたら遠くまでは行けないはずだ。そう予想して近辺を探し回った。

 

 一か月経っても見つからなかった。


 めげずに、放課後や休日の時間を使って丸いフォルムを探した。勇気を出して、見ず知らずの人にも声をかけた。


 妖怪さんやナンパの人に捜索の邪魔をされた。どっちも怖かったけど、外出を止める選択肢はなかった。また独りに戻る恐怖と比べれば、そんな障害はあってないようなものだった。


 半年探しても見つからない。部屋を訪れない。

 さすがに私でも悟った。もったんと小雨は、もう私の元には戻らないのだと。

 

 理由は大体察しが付く。


 小雨は私に愛想を尽かしたんだ。人と妖怪は関わるべきじゃないと、あれだけ口酸っぱく言っていた。私が一向に成長を見せないから、呆れて自分から去って行ったのだろう。


 もったんが帰って来ない理由はもっと簡単だ。猫は死期を察すると飼い主から離れると聞く。人知れず息を引き取ったに違いない。誰かが手厚く葬ってくれたことを祈るばかりだ。


 私が関わるとみんな不幸になる。ネガティブな考えに頭の中を支配される。


 ある時、それが的外れじゃない可能性に気付いた。私が公園で拾ったりしなければ、もったんは野良猫として長生きできたかもしれない。

 

 小雨だって、あのモアイ頭と交戦して怪我をすることはなかった。仮面を付けた少年が助けてくれなかったら、きっと私と一緒に殺されていた。

 

 もう誰とも深く関わるべきじゃない。以前から薄々感じていた予感を確信して、高校からは自分を戒めることにした。


 迎えた入学式の日には、そこら中から視線を感じた。教室内の内部進学生はもちろん、外部入学の生徒が廊下に人溜まりを作っていた。


 私の外見が人目を惹くことは自覚している。最初はみんな私に興味を持ってくれるんだ。

 でも私の奇行を見ると、みんな海辺から引く波のごとく距離を取る。試さなくても分かってるんだ。多くの人には妖怪なんて見えないし、これまでずっとそうだったから。


 独りで過ごすために本を用意した。


 クラスメイトが話しかけてきた。中東部の校舎にいた頃なら、私は前のめりに承諾していただろう。今でも微かに胸の奧が熱を帯びる。


 でも今の私は自覚的だ。普通の人にとっての妖怪は厄災そのもの。私を介して不幸にするのは忍びない。断って中庭におもむいた。


 素っ気ない態度が功を奏したのか、二日目からは私に声をかける生徒がぐっと減った。


 申し訳なさを抱きながら、それでも謝罪を口にする愚は犯さない。下手に謝ったらみんなの興味を引いてしまう。私はつれないクラスメイトを演じなければならない。不幸を伝染させる人型ウイルスになるのはもう御免だ。


「そこの白い方、ちょっとお時間よろしいかしら?」


 近くで声が上がった。とうげを越えていきそうなくらいよく通った声色だ。昨日は聞かなかった声だけど、クラスの外から来たのだろうか。

 妙に聞き覚えがある気もするけど、興味を持たないように本を開く。


「よくありません。これから読書をするので」


 ページを握る指に力がこもる。装うにはまだ努力不足だ。これから練習を重ねていかないと。


「読書なんて、寮に戻ってからすればいいでしょう? 今はわたくしとお話しなさいな」

「今いいところなんです。邪魔しないでください」

「は?」


 声色が乱れた。空気が悪くなったのを肌で感じる。


 ビンタを覚悟した刹那、右の肩に圧力を感じた。椅子の脚が床を擦り、華やかな立ち姿が視界に飛び込む。


「今はわたくしが話しているのです! 会話中は話している相手を見なさい!」


 思わず目を見張る。

 人型の黄金比を突き詰めたような美貌だった。失礼とは思いながらも、モデルをしていそうなスタイルに見惚れてしまう。


 それ以上に、容貌が友人の顔に似すぎている。これは、まさか……!


「っ」


 息を呑んで教室を一瞥する。

 奇異な物を見咎める視線があった。幾多ものそれが、矢雨のごとく心に突き刺さる。


 小、中学校の校舎でも向けられた異物を見る目。

 何もない所で動揺する私を嘲笑う目。


 私の前から消えた友人は幽霊だった。もし眼前にいる少女が、他の誰にも見えていないのだとしたら――。


「雪莉華!」


 この室内において、私は独りでブツブツ言っている痛い子だ。


「っ、失礼します」


 短く告げて席を立ち、華奢な体の横をすれ違って廊下に踏み出す。羞恥と小さい頃のトラウマを置き去りにすべく、手足を振り落とさんとばかりに一生懸命振った。

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