第25話

「お泊り会なんて、私初めてです!」

 

 パジャマ姿の白菊さんが笑顔を弾けさせる。体の前で指をぎゅっと丸めるさまはあどけなさ全開です。気後れするような美貌が親しみを帯びる。


 言葉を重ねて分かったことだけれど、白菊さんは結構子供っぽい人だ。神秘的な雰囲気を存分に発揮していたのは最初だけ。自然に言葉を交わせるようになってからは、静謐とした表情を見せる方が稀になった。


 きっと人肌が恋しかったのでしょう。その気持ちは胸が痛むほどによく分かります。


「ところで、お泊り会って何をするんですか?」

 

 白菊さんが小首を傾げる。

 思わず目を見開く。


「何をって、もしかしてお泊り会は初めてですの?」

「はい! こうして誰かとお話すること自体、めったにありませんから!」


 万人が目を止めるであろういい笑顔で、何とも言えない内情を告げられた。


 やりたい放題だった頃のわたくしでも、お泊り会なら何度かやったことがあります。こんないい人が誰からも誘われないとは思えません。ご両親が厳しい方なのでしょうか。

 

 思い返すと、わたくしは白菊さんのご両親を見たことがありません。白菊さんと知り合って一週間以上経っていますのに、いまだ電話の一本すらない。こんなアパートに閉じ込められている辺り、一族に冷遇されている方なのでしょうか。


 他人事とは思えない。同情にも似た憐れみが泉のごとく湧き上がる。


 本人は慣れてしまったのか、何食わぬ顔でスキップしてキッチンに消える。


 お湯を沸かす音が聞こえて数分。白菊さんがお盆を持って戻る。お盆の上にはお菓子の袋とティーカップが乗っていた。


「お菓子を持ってきました。よかったら食べてください」

「わたくし霊体ですけれど、お菓子食べられますの?」


 紅茶が体を素通りして床を濡らす、なんてことになったら大変です。最初はクッキーで試した方がいいでしょうか? でも個体と液体で違いが出るかもしれないし、困りました。


「霊力がある程度あれば食べられるみたいですよ?」

「そうなんですの? 霊力が強ければ物理的干渉ができるってことかしら」

「知り合いはそう言ってました。小雨は食べてましたし、信ぴょう性はあると思います」


 天井を仰ぎ見る。屋根の上には小雨さんが待機しています。猫田さんいわく、そこそこ強い妖怪のようです。


 地球を離れている猫田さんの代わりに、白菊さんを守っていると聞きます。妖怪が人を守るというのはしっくりきませんけれど、人や猫に化ける猫田さんが地球上に存在するのだから本当のことなのでしょう。ちょっとやそっとのことでは驚かない自信があります。


 お盆の底がセンターテーブルの天板をコトッと鳴らす。皿の上にある物体が気になって視線を落とす。


「これは何ですの?」

「クッキーです」

 

 目を瞬かせる。

 わたくしの知っているクッキーは、もっと見た目からして楽しめる物でした。


 これがクッキー? なんて思っても言葉にはしません。こういう時に思ったことを言葉にすると、大抵ろくでもないことが起こることを知っています。わたくしも成長しているのです。


 すーっと空気を吸い、意を決して切り出す。


「雪莉華、大事なお話があります」

「何ですか?」

「わたくし、近々ここを離れようと思いますの」

 

 息を呑む音が聞こえた。桃色のくちびるが引き結ばれる。


「離れるって、何かの用事ですか?」

「用事はありません。単に、この街を離れるという意味です」

「それは、私のせいですか?」


 整った顔立ちが目に見えて陰る。しゅんとした子供のようで、見ているこっちまで胸が苦しくなる。


 わたくしはかぶりを振って否定する。


「そうではありません。雪莉華は何も悪くありませんわ」

「それならどうして街を出るんですか?」

「立ち止まるのもそろそろやめようと思いましたの。わたくしも挑戦したくなったのですわ」

「挑戦?」

「ええ。わたくしの友人のお話は知ってますわよね?」

「はい。後ろ盾を失って、ひどい目に遭ったっていう話ですよね?」

「ええ。実はあのお話、わたくしのことなんですの」


 指をぎゅっと丸める。雪莉華からの軽蔑を覚悟した。

 お世辞にも、生前のわたくしが良いことはしたとは思っていません。お人好しの雪莉華でも鼻白むくらいはするでしょう。


「はい、知ってましたけど」

「え?」


 思いがけず目をしばたかせる。

 鈴を鳴らしたような笑い声が上がった。


「さすがに気付きますよ。話がやたらと具体的でしたし、話す表情がとても辛そうでしたから」

「そう、でしたの」


 顔がお風呂でのぼせたように熱くなった。この体に血液なんて流れていないはずなのに、どういう原理なのかしら。幽霊って不思議です。


「あ、孔雀院さん真っ赤になりましたね」

「もう許してください……」


 首を縮める。笑われて恥ずかしいのに、不思議と嫌な感じはしません。以前のわたくしなら声を荒げて糾弾していたでしょう。


 生前のわたくしは、色々な人からもてはやされていました。スーツ姿の大人にうやうやしくかしずかれるのは当たり前。取り巻きもわたくしの命令には逆らわずに従いました。

 

 誰も彼もがわたくしの機嫌をうかがう。きっと女王様の気分でいたのでしょう。森羅万象はわたくしの思い通りになるべきなのだと、あの頃は本気で思っていました。


 そんな甘ったれだったから、感情を抑え込む忍耐力を付ける機会にも恵まれなかった。決してわたくしをばかにしたわけじゃなくても、弱いわたくしにはそれを許容できませんでした。今ならどうすればいいか分かります。


 わたくしは小さく笑って姿勢を元に戻す。

 一緒に笑って楽しい時間を共有する。たったそれだけでよかったのです。


「孔雀院さんが何に挑戦するかは分かりませんけど、頑張ってくださいね」


 雪莉華の笑みが寂しげに陰った。

 

「そんな顔をする必要はありませんわよ? これが永遠の別れというわけではないのですから」

「はい。孔雀院さんが戻るのを楽しみに待ってます。まあ、両親と待つというのは無理ですけど」

「あら、どうしてですの?」

「母は鬼籍に入ってますし、父は放任主義ですから」


 反射的に口を閉ざす。うかつに問いかけたことを後悔した。

 

「それはその、ごめんなさい」

 

 手元に視線を落とす。


 こういうところは本当に変わらない。


 でもわたくしならもっとうまくやれるはずなのです。あの頃と違って悪いとは思えている。時間はかかるかもしれないけれど、どうか見捨てないで。

 まぶたを閉じて祈る。


「謝らないでください。こちらこそ、うかつなことを言ってすみません」


 おそるおそる顔を上げる。

 端正な顔に苦々しい笑みが浮かんでいた。


「そんな顔をさせるつもりはなかったんです。もう割り切ったことなので気にしないでください」

「無理ですわ。こんなわたくしでも、放任される寂しさは知っているつもりですから」


 わたくしが実家から見捨てられたのは自業自得。


 けれどその一因には、家族に構ってもらえなかった寂しさの発散があったと思うのです。

 

 みなさんはポンとお金や後ろ盾をくれるだけで、わたくしと楽しいひと時を過ごすことはしてくれなかった。その苛立ちが、子供心を攻撃的にさせた可能性は否定できません。

 

 寂寥感は人を変える。それはわたくし自身、身を以って知っています。


 そう考えると、雪莉華はよくここまで真っ直ぐに育ったと思います。母は亡くなり、父はろくに電話も寄越さない。学校では大半の時間を独りで過ごす。そんな時間が何年も続けば、わたくしだったらどうしていたか分かりません。


 凄いと思う。尊敬できます。

 だからこそ、わたくしは白菊さんと一緒に通学路を歩きたい。その思いの分だけ口角を上げる。


「分かりました、暗いお話しはここまでにしましょう。雪莉華はお泊り会を知らないのですわよね? 任せてくださいまし。わたくし達の夜はこれからですわ!」


 笑え、笑え。

 こんなわたくしでも、雪莉華の孤独を紛らわせることくらいはできます。


 正直なところ、わたくしの胸中でも暗いものが渦を巻いています。気を抜くと表情が陰りそうになります。

 

 だって怖いんですもの。もし猫田さんの試みが失敗したら、わたくしの意識は闇に呑まれて二度と戻れなくなるかもしれない。二度と誰かと、お二人と言葉を交わせなくなるかもしれない。


 でも止める選択肢はありません。尊敬できるお友達だからこそ役に立ちたいのです。いまだにプライドの高いわたくしでも、雪莉華となら対等に学校生活を送れるはずですから。


 お泊り会の記憶を頼りに、雪莉華と場を盛り上げる。


 覚えている盛り上がりと比べれば、騒ぎの規模は比べ物にならないほど小さかった。

 それでも胸を張って言えます。この一夜は楽しかったと。

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