第24話 

 意識が遠のいたような感覚に遅れて、視界一杯に緑が広がる。


 懐かしい土と樹木の芳香。よくよくかいでみると、地球に生息する植物や土とは微かに匂いや形状が違う。魔素が空気中に含まれていることで、何かしらの成分が異なっているに違いない。


「ここも変わらないな」


 魔法を解いて人の姿に戻る。


 中学生相当の体。問題が解決したら高校生として通学路を歩む。人目がないうちに二足歩行の感覚を取り戻しておかないと。

 

 靴裏で土を踏みしめる。雑草をガサガサ言わせて、半壊した小屋に踏み入る。

 

 長年ほったらかしだったからほこりだらけだ。建付けの悪い窓枠に手を当てて、固いそれを無理やりこじ開ける。


 ひゅーっと入った風が室内を撫でる。灰色の粉がぶわっと噴き上がった。


「ごほごほっ⁉」


 顔の前で手を振り、我先にと殺到するほこりを払い散らす。強くなっても肺は肺。マスクは必須のようだ。


 魔力をこねこねして即席でマスクを作る。


 懐かしい。火山に希少な鉱石があると聞いて、必死にマスクの材料と原理を研究したっけ。結局分からなくて術式をこねくり回したのはいい思い出だ。

 

 鈍く輝くマスクで口元を覆い、部屋の隅に立てかけられたほうきとちり取りを握る。一度外に出て、まとわりつくほこりを払い落してから掃除に精を出す。

 

 グランアースを旅して分かったことがある。この木製小屋を建てたのは父だ。

 名前までは分からなかった。地球人なのかグランアースの人間なのかは分からないままだ。


 それでもこの小屋で過ごし、母と魔法の研究に明け暮れた。そしてある日を境に母の元に戻らなかった。 


 おそらくはグランアースで亡くなったのだろう。魔物、戦争、日本と違って命を落とす要因には限りがない。母がグランアースのことを黙っていたのは、俺達がこの世界に興味を持つことを恐れていたからに違いない。


 俺は母の願い通りには動かなかった。そのことに罪悪感を抱いた時もあった。


 今はそんな葛藤ともおさらばしている。この世界で積み上げたものが母を、妹を、中学生の俺を救う。実際一度は救った。この事実の前では、母の願いなんてささいなことだ。


 俺はもう一般人の猫田餅成には戻れない。母も母じゃなくなるし、妹と俺は他人になる。母を病院におもむかせたら、面と向かって話す機会は二度と訪れないだろう。


 胸の内が苦しくなった。叫び出したい夜があった。


 それらと決別するためにここに来た。俺が魔道を目指すに至った始まりの地。保管されていた書物には世話になった。この場所を訪れなければ、俺はとっくに不幸で圧し潰されていた。文字通り、人の形を留めてはいなかっただろう。


 今日の掃除は、耳のない小屋に対する感謝の意。そしてけじめを付けるためのみそぎだ。


 小屋にある書物は非常に有用。地球では国宝級の代物と言っても過言じゃない。

 

 一方で、一つでも流出すれば致命的な事態になる。悪意のある者が悪用すれば混沌の時代が始まる。


 そんな輩がこの場所を訪れないとも限らない。今のうちに封印して立ち入りを禁じる。俺はそのためにここにいる。


 隅々までほうきで掃き、雑巾で床やテーブルを拭く。棚の上や壁との隙間まで、考えつく箇所はもれなく綺麗にする。


「こんなものか」


 一息突いて口角が浮き上がる。


 掃除の達成感に浸るのは中学生時代の清掃以来だろうか。皆で協力してとはいかなかったけど、そういう掃除は高校に入学してから嫌になるほどできる。その時の楽しみにしておくとしよう。


 掃除用具を壁に立てかけて椅子に腰を下ろす。


 まぶたを閉じて瞑想する。

 体の奥底からエネルギーが満ち溢れる。グランアースの空気は魔素が濃い。瞑想による魔力回復の効率は段違いだ。


 充填完了。

 

 俺は腰を上げて外に出る。人差し指の先端に魔力を集中させ、小屋をぐるっと囲むように円を描く。円の空白を文字化した術式で埋め尽くし、一種の儀式場を作り出す。


 小屋を仰ぐ。


 木製の建物が鈍い光を帯びる。暗褐色の小屋が景色に溶け込み、人の手が入らない景観が残される。


 完璧な封印なんてあり得ない。時間の経過でも劣化するし、たびたび足を運んで再封印する手間もかかる。自動で再構築される魔法を開発できればよかったけど、バグで意図しない魔法が発動する危険もある。今の技術ではこれが限界だ。


 とはいえ、術師は世界最高とうたわれるこの俺だ。ちょっとやそっとの輩では、小屋を召喚することも叶わない。家臣には小屋の封印を定期的に確認するよう伝えてある。放っておいても問題はないはずだ。


「今までありがとう。さようなら」

 

 俺は扉を開ける。振り返ることなく、俺が居るべき世界へと踏み出す。

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