第35話
途中で新しい帽子を差し出された。深くかぶるように言われて深くかぶる。篝さんのことだから、帽子に妖怪を避ける効力でもあるのだろう。
「元気だったかい?」
「はい。篝さんもお変わりないみたいで安心しました」
「ひどいなぁ。これでも鍛えているのに」
談笑を交わすうちにカフェが視界に入った。店員さんに怪訝な目を向けられながら床を踏み鳴らし、奥の席で同じテーブルを挟む。
「何か食べる?」
「いいんですか?」
「ああ。こうして会うのは久しぶりだし、お金を使う機会もなくてね。たまには散財して経済を回さないと」
冗談交じりな笑みを見て、思わず口元が緩む。
「ありがとうございます。遠慮なくご馳走になりますね」
紅茶と新作のケーキを注文する。
去り行く店員の背中を見送ってから篝さんに向き直る。
「いつから東京に戻っていたんですか?」
「最近だよ。君ももう高校生か。高等部には馴染めそうかい?」
「はい、何とか」
微笑を取り繕う。
中学生の頃からずっとつき続けている嘘だけど、篝さんに気付いた様子は見られない。ばれる心配はないに等しい。
今日も篝さんは騙されてくれた。いつものように微笑を浮かべる。
「それはよかった。ところで最近何かなかったかい?」
「いえ、特には」
「そうかい? 少し雰囲気が変わったと思ったんだけど。まあ君も高校生だし、大人っぽくもなるか」
雰囲気か。
たぶん諦観が私の雰囲気を変えたんだ。賑やかな学生生活は諦めた。活力の欠乏が私を落ち着いたように見せているに違いない。
篝さんが表情を引き締める。
「実はね。最近この街に強い妖怪が入り込んだみたいなんだ」
「妖怪、ですか」
気分がげんなりする。
嫌だなぁ強い妖怪。篝さんのお札が効くといいけど。
「姿や名前は分かりますか?」
「名前は分からないが、姿は知っている。体が大きくて、頭部はちょうどモアイに類似しているらしい」
「モアイ?」
目をぱちくりさせる。公園で見たモアイ頭の妖怪を思い出した。
「そう、モアイだ。モアイは知っているよね?」
「はい。人面を模した石像ですよね」
「そうだ。イースター島で有名なやつだ」
「私、たぶんその妖怪を知ってます」
「本当か⁉ どこで見た!?」
篝さんがテーブルに身を乗り出す。その食い付きように思わず背筋を反らす。
「最初に見たのはちょうどこの辺りです。それ以来目を付けられていたんですけど、仮面を付けた男の人が祓ってくれました」
「祓った、だと?」
篝さんが目を見張る。すごい驚きようだ。そんなに強い妖怪だったのだろうか。
「そう、か。ならよかった」
篝さんが背もたれに寄りかかる。脱力したように足元を見つめる。ずっと私のことを心配してくれていたのだろう。本当に優しい人だ。
篝さんには昔からお世話になってきた。窓際に張り付けてある札も篝さんから受け取った物だ。あれがなかったら、私はとっくに捕食されて土の中に埋まっていた。
お札の効力は一か月しかもたない。今日も忘れないようにお札をもらわないと。
店員がテーブルの近くに立つ。ティーカップが乗ったソーサーと、ケーキが乗った皿の底が天板を鳴らす。
篝さんがハッとしたように顔を上げる。
「それじゃ私はそろそろ行くよ」
「え、コーヒーはどうするんですか?」
「そのままにしておいてくれ」
篝さんが腰を上げ、財布を取り出して一万円札を置く。
焦燥が私の口を突いた。
「あの篝さん、お札をもらえませんか?」
「ん、ああ。忘れるところだった」
篝さんがコートのポケットに手を入れ、中から茶色の封筒を抜き出す。放るように手首をひねり、無造作に天板の上を滑らせる。
「今月の分のお札だ。ちゃんど窓際に貼っておきなさい」
「ありがとうございます」
封筒を握ってカバンの中に入れる。
様子がおかしい。いつもは丁寧に手渡ししてくれるのに。
お札を渡すタイミングだって、いつもは顔を合わせるなりすぐ渡してくれる。渡すのを忘れるくらい疲れているのだろうか。
祓い屋の人は大変だ。私も何か力になれればいいのに。
「あ、帽子ありがとうございました」
頭に腕を伸ばす。
手をかざされて制止された。
「それはあげる。持っておきなさい。君は目立つから、できれば外出の際は毎回かぶっておくといいよ」
「妖怪が寄ってこないからですよね」
得意げに推測を口にする。
篝さんが目をぱちくりさせる。
あれ、違った?
湧き上がった疑問を肯定するように、篝さんが苦笑する。
「ああ、違う違う。君の容姿は目立つからカモフラージュの意図で渡したんだよ。私のような大人が女学生といると、世間は色々勘繰るんだ。君は自身が綺麗だと自覚した方がいい」
それじゃ。篝さんが足早に歩を進める。
店外に出た背中を見届けて、私はフォークを握る。口内に広がる甘さで口角が上がった。
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