第36話

「何なんですの! もうっ!」


 孔雀院さんがいつになくぷんぷんしている。すらっとした脚を組み、菓子をつまんで口に含む。

 

 もぐもぐして憤怒の表情が笑みに移り変わる。

 分かってはいたけど、ちょろいなこいつ。


「それで、白菊さんに何をしたんだ?」

「何でわたくしが何かをしたことになってますの?」

「白菊さんが誰かを怒らせるとは思えなくてさ」

「ほんっとに失礼ですわね。わたくしは何もしてませんから」


 大きな目が不満げに細められる。

 これも美味いぞと告げて菓子を勧める。秒とせず笑顔が戻った。


 俺達がいるサロン室では、お金を払えばお菓子や紅茶をたしなめる。周りで談笑する生徒の前にもお菓子と紅茶が並んでいる。


 室内を賑わせる談笑に混じって会話を進める。


「とにかく話してみろって。別に孔雀院さんを疑うわけじゃないけど、状況を教えてくれないと何も分からないじゃないか」

「仕方ありませんわね」


 孔雀院さんが語り出す。


 教室に踏み入って、読書中の白菊さんに声をかけたこと。

 言葉を投げかけても、白菊さんは視線を合わせようともしなかったこと。

 無理やり正面を向かせたら周囲を気にしたような素振りを見せて、次の瞬間には廊下へと走り去ったことを告げられた。


「どうですの? わたくしは悪くありませんでしょう?」

「いや、孔雀院さんが悪いだろう」

「何故にっ⁉ わたくしのどこが悪いって言うんですの!?」


 俺は顔をしかめる。

 声が大きいし、ただでさえ周囲から見られている。誤解を招くような反応はしないでほしいものだ。


 それにしても困った。孔雀院さんの人気は想定外だ。学校生活に支障が出ても困るし、以降はアプリ越しにやり取りするのも一考すべきか。


 思考をやめて孔雀院さんに意識を戻す。


「まず一つ、本を読もうとしている相手に話しかけるな」

「話しかけないと会話にならないじゃありませんの」

「白菊さんは一度拒否したんだろう?」

「ええ」

「だったら話す気分じゃなかったってことだよ。手に握った本も、独りの時間を確保するための道具だった可能性がある」

「どうしてそんなこと。だって雪莉華は、幽霊だった頃のわたくしにも優しくしてくれましたわよ?」

「幽霊だったからって言うのもあるかもな」


 形のいい眉がひそめられる。

 うなり声も数秒。端正な顔が得意げに口角を上げる。


「わたくし、分かってしまいましたわ」

「ほう。何を悟った、言ってみろ」

「雪莉華はぼっちですの。わたくしに話しかけられたから、思わず気後れしてしまったに違いありません」

「断言するが、絶対に違う」


 小さな顔がむっとした。


「だったら確証を述べなさいな。根拠も無しに否定するだけなら馬鹿でもできますわよ?」

「白菊さんは途中まで孔雀院さんだと気付いてなかったんだろう? 最初から気後れしてたなら、これから読書をするなんて言葉で拒絶なんかしない」


 孔雀院さんが口をつぐむ。


 気後れするってことは、本能的に相手を上と見なしたってことだ。上に立つ者の言葉には強制力が宿る。普通は本を伏せて相手の予定に付き合うだろう。


 白菊さんはそうしなかった。気後れしていなかった証拠だ。


「だったら猫田はどう考えますの? わたくしにだけ言わせるのはずるいですわ!」

「そうだな、じゃ二つ聞きたいんだけど、白菊さんが室内を見渡したのはどのタイミングだ? 孔雀院さんを見る前か? それとも見てからか?」

「見てからですわね」

「次の質問だ。白菊さんにお別れを告げた時、次は生身で会うみたいなことを言ったか?」

「言うわけないじゃありませんの。あの時は成功する保障なんてありませんでしたし、どうせなら会った時にびっくりさせたいじゃありませんの」

「だよな。だったらこうは考えられないか? 白菊さんは、孔雀院さんを幽霊だと思ったから逃げたって」

「どうしてそれが逃げる理由になりますの?」

「おいおい、周囲にはクラスメイトがいるんだぞ? 幽霊は他の生徒には見えない。傍から見れば、白菊さんは空気相手に話してるようにしか見えないんだよ」

「だったらどうして今まで……」


 孔雀院さんがハッとして目を見張る。


 孔雀院さんがアパートを離れるまで、白菊さんとは仲睦まじく会話を重ねていた。二人の仲がよかったのは疑いようもない。


 だけどそれは、白菊さんの部屋には視線がなかったからできたことだ。他の人に幽霊と話すところを見られて、奇異な視線を向けられる機会がなかった。


 教室ではそうもいかない。常にクラスメイトの視線がある。廊下に人溜まりができたくらい注目されているんだ。誰もいない空中に話しかければ、またたく間に変なうわさが広がる。


 白菊さんが知る孔雀院さんは幽霊。人前で言葉を交わすのはハードルが高い。


「難しいですわね。わたくしはただ仲良くしたいだけなのに」

「白菊さんが生きてきた環境は特殊だからな。孔雀院さんも知ってるだろ?」

「じゃあわたくしはどうすればいいんですの?」

「それは簡単だよ。孔雀院さんが実在する人物だと認識させればいい。白菊さんの前で、他のクラスメイトと会話すれば事は済む」

「なるほど、他者の目を借りるってことですわね。次の機会に試してみますわ」


 孔雀院さんが満足げに笑んでクッキーをつまむ。

 黙っていればただの美人なのに。そんなことを、ふと思った。

 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る