第37話

 晴天の下、体育シューズの裏でグラウンドの土を踏みしめる。


 四月の風は肌寒いが、容赦なく外を走らされる。子供は風の子なんて言葉が脳裏をよぎったけど、寒いものはいくら若くて活力があっても寒い。

 

 それも数分前までの話。手足を動かす内に体はぽっかぽかだ。白黒のボールを追いかけて声を張り上げる。


「行くぞ山田」

 

 ボールに靴の側面を当てる。サッカーボールが地面を擦った先で友人の靴がトラップする。


「ナイスパス!」

 

 山田が口角を上げて走る。

 ボールを蹴りながらの疾走。全速力よりは遅くなる状況だけど、敵チームの選手が追いつく様子はない。


 ほとんどの生徒はボールを交えての走りに慣れていない。山田は中学の頃からサッカー部の部員として球とたわむれてきた。ボールは友達。スピードを落とす要因にはなり得ない。


「止まれ山田! お前のママが泣いてるぞ!」

「泣かねえよ⁉ 俺のお袋めっちゃつええし! ゴリラだし!」


 笑い声を歓声にして山田が足を引く。

 シュートモーションからの流れるようなシュート。動きが洗練されていて淀みがない。何度もモーションをチェックして最適化してきたのだろう。


 ボールの弾道も申し分ない。鋭角を描いてゴールの右角へ突き進む。素人は眺めるしかない一撃だが、いささか相手が悪かった。


「お前最初は大体ここ狙うよなっ!」


 ナナフシのような体格の男子がボールを突いた。球体が白い枠に当たって跳ね返り、同じゼッケンを着用した男子が蹴り飛ばす。


「止めんじゃねえよ七伏!」

「キーパーに何言ってんだよお前!」


 サッカー部のやり取りを視界に収めつつ、正面から迫る男子の一挙手一投足に注目する。


 基本的にキーパー以外は手を使えない。一部界隈ではそのルールを破った者をゴッドハンドと呼称して敬うみたいだけど、一般人にはその規則を破れない。


 使えるのは足だけ。


 その制限があっても、多彩な動きをなせるのがサッカーの特徴だ。かかとから擦り上げて相手の頭上を越えるように放ったり、ダッシュと小技を駆使して高速で切り返したりと、やれることは幾多もある。


 ましてや相手はサッカー部所属。相手の取れる選択肢は多い。ボールを奪うのは至難の業だ。


 ちょっと前まではそう思っていた。


「おわっ⁉」


 後方から驚愕の声が上がった。単純に驚いたのだろう。

 無理もない。素人の俺にたやすくボールを選ばれたのだ。


 大規模な戦争ならともかく、個人対個人は動きを読まないと先手有利だ。相手の動きを五感で捉えた頃には、相手はすでに動いている。動きを読まないと対応しきれない。


 俺はグランアースで人型異形問わず、多くの相手と戦ってきた。魔法によるごり押しで勝てる相手はたかが知れる。戦いに長けた者に教えを請い、一から戦闘技術を身に付けた。


 俺はグランアースで最も強い。人の、ましてや発達途上の動きを見切るくらいわけはない。


「うわ岡田だっさ!」

「うっせえ!」

 

 じゃれ合いを耳にしながらパスを出す。

 狙った先はもちろん山田の進行方向。再び流麗なシュートフォームからボールが蹴り出される。


 細長い腕が弾いた。今度は拾われ、手からこぼれ落ちた次の瞬間に蹴り上げられる。ボールの軌道は俺の頭上を通過するが、そこまで高くはない。


 これなら届く。ヘディングは届かないが、脚の長さも込みすれば。


「ふっ!」


 宙で一回転してボールを捉える。確かな感触とともに、白黒の球体がゴールネットを大きく揺らした。


「すげーっ! 何だ今の!」


 山田含めたクラスメイトが駆け寄る。


「オーバーヘッドキックだよ」

「そりゃ知ってるけどさ、普通できねえよあんなの」

「え」


 できないの? そんな言葉が飛び出しかけて、とっさに口をつぐむ。あおってるみたいだし、何よりサッカー部の山田ができないと言ってるんだ。俺の価値観よりもそっちを信じるべきだろう。


 ぬかった。グランアースでは宙返りして攻撃する奴なんてそこら中にいたけど、地球ではそうもいかないんだ。

 

「猫田、お前サッカー部に入るべきだよ」

「馬鹿言え、それだけの身体能力があればバスケだろうが」

「今バスケ関係ねーだろ」


 男子が騒ぐ一方で、遠くの方でも声が上がる。振り向くと、女子の集まりがネット越しに視線を送っていた。目が合うなり手を振られ、俺は口端を引きつらせながら手を振り返す。


 嬉しくはあるけど、それ以上にやってしまった感が強い。改めて男子高校生にできることとできないことを見極めなければ。


 試合が終わって整列する。整列を経て解散になった。友人と並んで昇降口へと向かう。


「なあサッカー部入ろうぜー?」

「どうしようかなー」


 ほんとどうしよう。昔から熱中すると周りが見えなくなるタイプだし、試合に熱中して全力を出したら大変なことになる。青春に部活は付き物と考えてきたけど、手加減しなきゃいけない部活動で青春は得られるものだろうか。


 ああ、青春を謳歌するって難しい。

  

「ところでさ、猫田って孔雀院さんと仲いいの?」

「悪くはないと思うけど、何で?」

「何でって、サロンで話してたんだろ? 二人きりで」


 言いたいことを察した。

 弁解するより早く肩を組まれた。クラスメイトによって左右に揺さぶられる。


「うーらーやーまー」

「やめろうっとうしい。そういうのじゃないって」

「照れなくてもいいじゃん」


 言っても聞かないんだよなぁ。

 分かってる。恋愛に積極的な年頃だし、そういう話題が気になるのは分かってるし理解もしてるけどやっぱりうっとうしい。


「それで、本当のところはどうなんだよ?」

「孔雀院さんは友人だよ。それ以上でも以下でもない」

「嘘つけー。あんな綺麗な子見て興味ないわけないだろー」


 視界がぶれる。ああ、このノリに乗り切れる精神年齢に戻りたい。というか汗臭いっての。


「嘘なんかついてないって。大体お前らは孔雀院さんのどこがいいんだよ?」

「綺麗じゃん」

「可愛いじゃん」

「だよな」


 合点した。傍目で見る分にはどう見ても高嶺の花だけど、会話をすれば金切り声が飛び交う。幻想を見た分だけ奈落に突き落とされることになる。

 

 友人の態度からして、ろくに孔雀院さんと顔を合わせていない。友人の夢を守ってやるべきか、こじらせる前に現実を見せてやるべきか。友人としての行動はどちらが正解なのだろう。悩む。


「綺麗って言えば、白菊さんはどうなんだ? あの人も綺麗だろ」

「白菊さんなー。確かに綺麗な人だけど、ちょっととっつきにくいんだよな」

「休み時間になったらすぐ読書始めるみたいだしねぇ。一度教室行ってみたんだけどさ、ほんとにずっと読書してんの。絵になるから眺めるだけで幸せなんだけどね」

「本当にずっとか? 孔雀院さんは?」

「ん? 何でそこで孔雀院さんが出てくるんだ?」

「白菊さんと仲良くやってるんじゃないのか?」

 

 孔雀院さんはまだ白菊さんを諦めていない。大して策を巡らせることなく白菊さんに突撃するはずだ。孔雀院さんが生身の生徒として存在する以上、白菊さんが彼女を敬遠する理由はない。


 友人が顔を見合わせる。

 その反応が現実を如実に物語っていた。


「そんなところ見たことないよな?」

「ああ」


 どういうことだ? 

 まあいいや、休み時間にチャットでも送ってみよう。


「そういや近くにラウンドドーンできたんだってさ」

「まじで? 放課後行ってみるか?」

「いいね!」


 友人と遊びに行くのもまた青春。放課後の予定を決めて教室へ向かう。

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