第39話

 入学式から時間を経て、クラス内のグループができ上がった。少し前まで他人同然だった少年少女が、周りなんて視界に入らないとばかりに談笑する。


 教室の一風景。大して珍しくもない日常風景。

 その日常がとても遠く感じる。自分からこの道を選んだくせにと内心叱りつけて、独り廊下に靴先を出す。


 一月も経てば人溜まりができることはなくなった。各々親しい友人と笑みを交わして校舎内を賑わせる。お前はこの場にいるべきではないと言われている気がして、自然と足が速くなる。


 昇降口を介して外気を吸う。


 いつの間にかため息も出なくなった。クラスメイトに話しかけようとして失敗し続けた日々が懐かしい。

 諦める、たったそれだけのことで心はこんなにも平穏だ。どうしてもっと早くに諦めなかったのだろう。


 人には向き不向きがある。人は社交性の生き物なんて言われても知らない。私みたいに、できない人にはできないんだ。スポーツには才能才覚言うくせに、人付き合いは努力でこなせるなんてあまりに都合がよすぎる。それを告げて仕事したふうな顔をした担任も気に入らない。


 すさんでいる。最近は気が付くと何かを悪く言っている気がする。内面は外に出てくると言うし気を付けないと。


 今日は篝さんと会ってお札をもらう約束をしている。


 四月に顔を合わせてまだ一か月も経っていないけど、篝さんにも用事がある。

 祓い屋は妖怪の居場所次第で、あっちこっちに足を運ぶ職だ。近々別の街におもむく予定でもあるのだろう。


 別の、街。東京じゃないどこか。

 また知り合いが遠くに行ってしまうと悟って、胸がきゅっと締め付けられる。


 分かっていたことだ。今までだって篝さんは各地を転々としていた。妖怪は人の居る場所に現れる。全国が活動範囲。東京に留まってはいられない。


 理屈では分かっているのに、寂しさが泉のごとくあふれ出す。私はまだ期待しているんだろうか。篝さんは他人であって、私とは血がつながってすらいないのに。


 もやもやを渦巻かせながらドアの取っ手を握る。鈴の音に歓迎されて、篝さんと待ち合わせているカフェの床を踏み鳴らす。


 席に着いて待つこと十分。入り口のドアから外気が侵入し、店内の景色にいつも通りのコート姿が付け足される。


 自然と口角が浮き上がった。

 

「篝さん、こっちです」


 腕を上げる。

 真顔に笑みが貼り付いた。


「遅れてすまなかったね。待たせてしまっただろう」

「いえ、私もさっき来たところですから」

「そうか。取り敢えず忘れないうちに渡しておこう」


 封筒が差し出される。窓際に貼るお札だろう。

 私はお礼を告げて封筒を握る。


「明日、私は東京を出るよ」


 封筒をカバンにしまおうとした手が止まる。口元を引き結んで表情を取り繕う。


「そうですか。ちょっと寂しいですけど、仕方ないですよね。お仕事頑張ってください」


 指に力がこもる。気を緩めると笑みが崩れそうだ。


 大丈夫。私は十年近くずっと独りでやってきた。孤独には慣れている。

 だから大丈夫。大丈夫、大丈夫……。


「君はどうするんだ?」

 

 気が付くと手の甲に視線を落としていた。視線を上げて目をしばたかせる。思いがけなかった言葉に思考が追いついていない。


「どうする、とは?」


 かろうじてそんな言葉が口を突いた。

 抑えた吐息が店内の空気を震わせる。


「白菊さんは、このまま普通の生活にしがみついて生きる気かと聞いているんだ。そろそろ自分の生活に限界を感じているはずだ。違うかい?」

「それは……」


 言うまでもない。限界なんてとっくに前から感じている。

 私には見えて、周りには見えない。見えない人との親交と妖怪からの逃走を両立させるのは並大抵のことじゃない。


 何度も失敗してきた。何人もの友人が私の元から去っていった。これからもそんなことを続けるのはおっくうだ。


「自覚はしているだろうが、君は普通じゃない。ここで談笑している人には見えないものが見えて、おまけに妖怪には極上のエサと認識されている。受験の時も、社会に出てからの仕事中も、ありとあらゆる大事な瞬間を邪魔される。君はそんな状況でやっていけると、本気で思っているのかい?」


 返す言葉もなくうつむく。

 正論だけど、私の居場所はここしかない。


「篝さんが言いたいことは分かります。でも、だったらどこに行けばいいって言うんですか?」

「相応しい場所ならある。白菊さん、君は祓い屋になりなさい」


 目を見開く。


「祓い屋……私が、ですか?」


 力強いうなずきがあった。


「そうだ。君は人よりも霊力が強い。間違いなく優秀な祓い屋になれるはずだ」

「私には式神も術もありません」

「そんなの、初めは誰だってそうさ。私が使っている術だって、先祖が努力を重ねて積み上げたものだ。君の家系は祓い屋じゃない。何もなくて当然だよ」

「でも……」

 

 祓い屋になるってことは、妖怪と敵対関係を築くってことだ。小雨と再会しても、今までのようには仲良くできなくなる。下手をすれば、命のやり取りをする羽目になる。そんなのは嫌だ。


 篝さんがテーブルの天板に肘を突く。


「心配することはない。私が全部教えてあげよう。道に通じている者が才ある者を教え導く。祓い屋はそうやって人数を増やしていったんだ。君のことは私が導こう。何も考えず、私の元に来るといい」


 微笑みと優しい声色が誘惑する。


 篝さんにはよくしてもらってきた。ついていけば、比較的安全に祓い屋にはなれるのだろう。


 逃げることしかできなかった今までとは違う。妖怪相手に戦えるだけの力を手に入れて、安全が確保された生活を送れるようになるのだろう。師弟関係を築くことで、しばらくは篝さんが一緒にいてくれる。私はもう独りじゃなくなる。


 なのに、心は冷えて動かない。歓喜の情とは程遠い。


「すみません、ちょっと考えさせてくれませんか?」


 今の私が決断しても、きっとろくなことにならない。そんな気がした。

 

「……そうか」


 永遠かに思えた沈黙ののちに、篝さんが体を引く。

 平淡な声色と無表情。篝さんの静かな苛立ちをうかがわせて、罪悪感で視線が落ちる。

 

「それなら、君とは今日でお別れかもしれないね」

「え?」


 聞き間違いかと思って視線を跳ね上げる。

 篝さんの表情は至って真剣そのものだった。


「これは言おうか迷っていたんだが、次の仕事場は海外なんだ。そこそこ強力な個体でね、現地の祓い屋と協力して事に当たるんだ。数か月では決着が付かないかもしれない」

「そんな……」


 頭の中が真っ白になる。


 篝さんのことだ。お札の枚数は大目にしてくれているはず。

 でも一か月置きに会うことはできなくなる。篝さん以外に安心して接せる相手はいない。私、本当に独りになっちゃう。


「どうしても嫌と言うなら仕方ない。完全に独りで暮らすことにはなるが、まあ頑張ってくれたまえ」


 篝さんが椅子から腰を上げる。

 衝動に駆られて腕を伸ばした。


「ま、待ってください!」

 

 遠のきかけた背中が止まる。


「すまないが待てないんだ。私にも色々準備があるからね」

「いえ、あの」

「ああ、お札のことかな? だったら心配はいらない。少なくとも半年はもつだけの枚数を入れておいた」

「そうじゃなくて、私も行きます」


 篝さんが身をひるがえす。


「君ならそう言ってくれると思っていたよ」


 窓ガラスから差し込む光の加減か、いつも優しい笑顔には含みがあるように見えた。

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