第8話

 部屋主が登校したのを機に外出する。窓に掛かった鍵を開け、猫指の先端に魔力を集める。ベランダに脚裏を付け、手をひねってちょちょいと鍵を閉める。


「よし!」

 

 満を持してアパートを後にする。


 俺は猫。人がやったら怒られることも白昼はくちゅう堂々と行える。堀の上をてててと踏み鳴らし、白菊さんが向かったであろう方角へ進む。


 賑やかな街並みでも、その後ろ姿を見つけるのに苦労はしない。背筋を伸ばしてすっすっと歩く白さからは言いようのない気品が漂っている。周囲に同じ制服が付け足されても違いは一目瞭然いちもくりょうぜんだ。


 視界を占める制服の比率が増える。学生の多さが、校舎に近付いていることを視覚的に教えてくれる。


 似た装いの少年少女が談笑しながら同じ校舎を目指す。


 何気ないその光景に違和感を覚えた。他の学生は顔を見合わせて談笑しているのに、白菊さんはポツンと一人でローファーを鳴らしている。

 ひょっとして敬遠されているのだろうか。あんなにいい子なのに、周りはずいぶんと見る目がない。もしや美人すぎて近寄りがたいのだろうか。


 遠くに大きな建物が見える。白とそれに近しい色合いで彩られた校舎。落ちた影と窓越しに映る暗さがアクセントになってシックな様相を醸し出す。


 思わず目を見張る。

 遠目からでも分かる。いい所の子息子女が通う学校だ。ただの建物がオーラを発しているように見える。


「あ、猫ちゃんだ!」

「すっごい太ってるねーやわらかそう!」

 

 我に返って視線を下げる。

 二人の女子が見上げていた。俺に腕を伸ばしておいでおいでと口角を上げる。さてはもふもふする気だな? そうはさせん、そうはさせんぞ。


「にゃああ~~」


 気が付くと地面に脚を付けていた。細い指にあごをくすぐられる。背中や腹部の毛もわしゃわしゃされる。気持ちいい。自分の存在が肯定されている感覚。まさに夢心地だ。


 いや違う! これは違うんだ! 足が滑って地面に落ちただけで、断じて撫でられたかったわけじゃない。

 くそっ、何てことだ。猫に変化したせいで、思考能力に影響が出てしまっているのか。猫の本能、恐るべし。


 女子が腰を上げ、俺に手を振って歩き去る。

 ハッとして周囲を見渡す。俺としたことが、すっかり白菊さんを見失ってしまった。


 でも行き先ははっきりしている。俺は再び塀の上に飛び乗って校舎を目指す。下から向けられる視線には見向きもしない。名残惜しいけど足を止めずに突き進む。


 校門をくぐると騒ぎになりそうだ。人目を忍んで跳躍ちょうやくし、塀越しに学校の敷地内へと侵入する。


 硬質な地面を踏みしめて茂みに隠れる。腹に枝が引っ掛かった。真ん丸の猫は可愛いけど隠密行動には向かない。細身の猫に調整した方がいいだろうか。


 あり得ない。俺は人の目を盗みつつ移動を繰り返す。


 心臓がばくばく言っている。頼れるのは自分だけ。形容できない高揚に駆り立てられる。

 懐かしいな。ラデルフィア森林で行われた作戦のように、誰にも見つからず奥地まで侵入してやるぜ。

 

 人気が無くなって数分後。敷地内に甲高い音が鳴り響く。校舎から鳴り響くチャイム。おそらくは授業前のショートホームルーム開始を知らせる音だ。


 校舎内に踏み入りたいところだけど、巡回中の教師が廊下を跋扈ばっこしているはず。見つかるとプリティな俺でも面倒なことになる。


 リスクを考えて、二階より上への侵入は諦めた。静かな空間に抑えた足音を伝播させて歩を進める。


 土と樹木の芳香が鼻腔をくすぐる。

 目を見張った。口から感嘆の吐息がもれる。


 円を描くように配置されたベンチ、色とりどりの花。視界を満たす特別感は手入れされた風景のなせる業か。

 俺が知っている中庭はもっと味気ない。抱いていたイメージとのギャップに呆然とする。


 数秒で我に返って足を速める。

 見つかって追い出されても事だ。いい感じの茂みを見つけて歩み寄り、丸くなって枝葉に同化する。身の安全を確保したのち、体内で魔力を練りながら時間を潰す。


「……はッ⁉」

 

 いつの間にか眠っていた。ここはどこ? 今何時? そして私はだあれ?

 俺だ。


 靴音。

 近付いてくる。靴音を聞いて目が覚めるなんてさすが俺。伊達に何度も暗殺者を返り討ちにしてきたわけじゃない。

 経験が活きている。異世界での積み重ねを感じて歓喜の情が込み上げる。


 茂みの向こう側で布ずれの音がした。記憶では、確かベンチが設けられていたはずだ。誰かと思って茂みから見上げる。


 さらっとした髪が彩るのは新雪にも負けない白。十代の若者では発現の仕様がない色合いだ。見間違うはずもない。居候先の部屋主こと白菊さんの頭髪。その麗しさに一瞬目を奪われる。


 俺は足音を立てないようにを歩を進め、ベンチを回り込むようにして斜め後ろから様子をうかがう。


 太ももの上に弁当箱が乗っている。真面目な白菊さんのことだ、早弁ってことはないだろう。しかしお昼休みか、結構爆睡したな俺。夜中に叩き起こしてくる妖怪どものせいだ。


 土と樹木の匂いに芳しい香りが混じる。

 今朝白菊さんは何を作ってたっけ。確かレタスにトマトに卵焼き。盛り付けた弁当箱は実に美味しそうだった。


 思い出してごくっと喉が鳴る。茂みからにゃ~~んと飛び出せば、何だかんだで食べ物を恵んでくれないだろうか。


 葛藤する間にも白菊さんが箸を進める。迷っている時間はない。このままでは俺のおかずが無くなってしまう。だけど本当に飛び出してしまっていいものか。遅れて来るであろう友人がどういう人物か分からない。徹底的にわしゃわしゃされると尊厳に関わる。


 数分は悩んだ。

 思った以上に人が来ない。友人おっそいなぁと内心愚痴った刹那せつな、通学路での後ろ姿が脳裏をよぎる。おぼろげながらも事情を察した。

 

 考えてみれば当たり前のことだったのかもしれない。

 白菊さんには、他の生徒に見えないものが見える。クラスメイトが何食わぬ顔で進む場所でも、そこに妖怪が居たら反応せざるを得ない。相手が飛び掛かって来たら逃げないと命が危ない。


 突然走り去る白菊さんの背中を見て、クラスメイトは何を思うだろう。何だあいつ、可笑しな奴。何もないところで悲鳴を上げるやべー女だ。周りが敬遠の選択をするのは容易に想像が付く。

 白菊さんも、ヒソヒソ言われる空気を感じ取って距離を取る。事情を知らない人からは人付き合いを避ける子と認識されて、見知らぬ人からも後ろ指を差される。抜け出せない悪循環の完成だ。


 白菊さんが小さく息を突く。普段は伸ばされている背筋が丸みを帯びる。


 ふと部屋での光景が想起される。脳裏をよぎったのは白菊さんの笑顔。何度見ても目を奪われるそれと、視界内で落ち込む表情とのギャップが、俺の胸をきゅっと締め付ける。


 自然と足が前に出た。甘えるような声が口を突き、俺の意識を一匹の猫に堕とす。

 白菊さんが振り向いて目をぱちくりさせる。


「もっちゃん? どうしてここに……もしかして付いてきちゃったの?」


 目を丸くする白菊さんの足元で立ち止まり、にゃーんと一声。


 白菊さんがくすっと笑い、弁当箱を太ももの上からずらす。前かがみになって腕を伸ばし、食事そっちのけでもふもふを堪能する。


 言葉でなぐさめはしない。黙々と体を差し出した。

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